(2013年 アメリカ)
ザック・スナイダー印の圧倒的なビジュアルと、ドン底のように暗いオリジンストーリーが相まった異形のヒーロー映画。好き嫌いは分かれるだろうけど、私は大好き。今となっては手遅れだけど、DCEUはザック・スナイダーの意図した形のままで完走してほしかった。

作品解説
DCEU第一作
『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)の熱狂も今や昔、アメコミ疲れ、ヒーロー疲れなんて言葉が囁かれ、かく言う私もMCUフェーズ4に対しては「もう見てらんないかも」なんてレビューを書き散らかしてきた(『エターナルズ』、『ドクター・ストレンジ2』、『ブラックパンサー2』etc…)。
そんな不評を受けてマーベルは新作の公開ペースを大幅に落としたところだが、無くなったら無くなったで「やっぱりヒーロー見たいかも…」と思う天邪鬼な私がいる。
とはいえ現時点で膨大なリリース本数に至っているMCUを見返すという気の遠くなる作業にも着手できず悶々としている中で、ふと思い出したのがDCEU(DC Extended Universe)だった。
MCUよりもはるか前から危険信号の出ていた、というか満場一致に近い評価を一度も受けることのないまま「やっぱりなしってことで」とジェームズ・ガン率いるチームによるリブートの対象となった悲劇のアメコミ作品群で、その第一作が本作『マン・オブ・スティール』である。
ブライアン・シンガー監督の『スーパーマン・リターンズ』(2006年)が興行的にも批評的にも伸び悩んだ後、2008年頃からスーパーマンのリブート企画が進んでいたらしい。
『ダークナイト』(2008年)を記録的大ヒットに導いたクリストファー・ノーランとデヴィッド・S・ゴイヤーがスーパーマン側のプロジェクトにも起用されたのが2010年。
当時『ダークナイト ライジング』(2012年)を製作中だったノーランはプロデュースに回り、ギレルモ・デル・トロ、トニー・スコット、ベン・アフレック、マット・リーブスらが監督候補として検討された後、『300』『ウォッチメン』のザック・スナイダーに決定した。
アメコミ映画に極限のリアリティをもたらしたクリストファー・ノーランと、グラフィックノベル(大人向けの長く複雑な漫画)の実写化で評価を受けたザック・スナイダーのコンビである。重苦しい内容になることは見る前から明らかだったが、それでも公開後には暗い・説教臭い・ユーモアがないと批判された。
世界興収6億6800万ドルは決して悪い数字ではなかったけど、10億ドル以上を稼ぎ出した『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』と比較すると見劣りした。
ここからDCEUの迷走が始まる。
焦ったワーナー幹部は映画を作家性に委ねることをやめた。『マン・オブ・スティール』の続編『バットマンvsスーパーマン』(2016年)は中途半端に尺を詰められた結果、訳のわからん話になり、『スーサイド・スクワッド』(2016年)はテイストの定まらない映画になった。
身内の不幸もありザック・スナイダーが途中降板した『ジャスティス・リーグ』(2017年)では、『アベンジャーズ』(2012年)を大ヒットさせたジョス・ウェドンをMCUから引っこ抜いて新監督に据えた。
ウェドンは追加撮影をガンガン実施して『ジャスティス・リーグ』を陽の作風で再構築したけど、これも客にウケず興行収入は過去最低となった。
なお、ザック・スナイダーカットとはまったくの別物になった劇場版を区別するため、ジョス・ウェドンが監督した劇場版は『ジョスティス・リーグ』と呼ばれることもある。
『ワンダーウーマン』(2017年)や『アクアマン』(2018年)といった派生作品、および、まったく無関係な『ジョーカー』(2019年)の興行成績はかなり良い一方で、軸となる『ジャスティス・リーグ』は低迷。
このユニバース続ける意味あんのかいとなってしまい、DCEUは終わりを迎えた。
とまぁ概ね不評のうちに終わったDCEUだけど、『バットマンvsスーパーマン』と『ジャスティス・リーグ』のザック・スナイダーカット版の出来が随分と良かったことで、ワーナーが要らんことせずスナイダーに任せ続けていれば、そのうち軌道に乗ったんじゃないかというスナイダー支持層が形成された。
私もスナイダーのビジョンで最後まで見たかった方の人間であり、ユニバースに込められたスナイダーのビジョンがある程度分かってきたところで第一作『マン・オブ・スティール』を見返すと、随分と意義深い作品に感じられた(ようやっと本作の感想・・・)。
感想
暗く救いのないオリジンストーリー
本作は公開時に映画館で鑑賞し、ザック・スナイダーの圧倒的なセンスとテクニックの元で繰り出される宇宙人バトルには大興奮だった。
初見時の感想は「ドラゴンボールの実写化みたい」ということだったけど、実際、本作のコンセプトアートを担当したジェイ・オリバとザック・スナイダーは『ドラゴンボール』や『鉄腕バーディー』といった日本のアニメを参考にしたらしい。
本作のアクション演出におけるスピード感や大規模破壊はこれまでの実写映画で見たことのなかったレベルに到達しており、これによってスーパーマンが破格のヒーローであることが十分に伝わってきた。
ヒーローの強さを言葉で説明するのではなく、実際に目で見せてこそザック・スナイダーの真骨頂である。
そしてスーパーマンの地球での養父母を演じたケビン・コスナーとダイアン・レインの名演もあって、ズーンと重いドラマにも感銘を受けた。
二人は『すべてが変わった日』(2020年)でも再共演するのだけれど、アメリカ南部の良き老夫婦という感じが滲み出ていて、この組み合わせを考えた人は天才じゃないかと思った。彼らがスーパーマン=クラーク・ケントの良き面を支えている。
本作のスーパーマンは、かつてクリストファー・リーブが演じたような純粋まっすぐな正義の味方ではない。
たった一人の異邦人としての孤独、己の正体を隠しきらねばならない者としての苦悩にスポットライトが当てられている。
クラークは幼少期より周囲になじめず孤立しがちで、いくらでも闇落ちする要素を持っていた。
ケント夫妻という良心の塊みたいな人たちに拾われたおかげでギリギリ均衡を保てていただけで、いつ崩れるかもしれぬという不安定さこそが本作のスーパーマン像なのである。
なお、この辺りはジェームズ・ガンがプロデュースした『ブライトバーン/恐怖の拡散者』(2019年)のアプローチと似ているので、現在ガンが製作中の『スーパーマン』(2025年公開予定)にも重いドラマ要素が含まれることになるのかもしれない。
で、なんやかんやあって地球に来襲してきたゾッド将軍(マイケル・シャノン)から「クリプトン再興に力を貸せ」と勧誘されるんだけど、それは地球人を犠牲にするプランだったのでクラークは面喰う。
クリプトン人の発想としてはゾッド将軍の方が正しいのかもしれないが、その民族の血筋であるという以外の接点がなく、クリプトンへの帰属意識など無きに等しいクラークはこれを拒否。最終的にはゾッド将軍を殺害せざるを得なくなる。
内心は心待ちにしていたであろう同胞とせっかく出会えたのに、相容れることなく殺し合いへと発展するという鬱展開。
本作の構成を振り返ってみると、序盤はクラークの自分探し、中盤にてようやくカル・エルの宇宙船に辿り着いて「自分はクリプトン人である」というアイデンティティを発見したのに、直後に同胞との殺し合い。クラークの立場で考えるとまったく救いのない話である。
初見時には「なんちゅー暗い話なんだ」と胸焼けしそうになったが、『ウォッチメン』(2009年)を見ていれば「ザック・スナイダーならこのくらいやるだろう」ってことも分かっていたので、別に嫌いにはならなかった。
世間一般の人は『ウォッチメン』を見ていなかったようで、もうちょい景気よくやれないものかという文句の方が多く聞かれたが。
スーパーマンの危うさサーガ
そして、今回あらためてDCEUの一連作品(『BVS』、『ジョスティス・リーグ』、『ジャスティス・リーグ スナイダー・カット』)と併せて鑑賞すると、スーパーマンの危うさこそがDCEUを貫くテーマだったことが分かった。
それは『BVS』のブルース・ウェインの予知夢であったり、『スナイダー・カット』のクライマックスだったりするのだけれど、最強のヒーローが最強のヴィランに転じるかもという「スーパーマンの危うさサーガ」が意図されていたのだろうと思う。
『ジャスティス・リーグ』の中盤では、復活したスーパーマンがジャスティス・リーグ相手に大暴れをするが、あれがスーパーマンの素の性格なのかもしれない。ただケント夫妻やロイス・レインといった良き人たちの存在によって本能が抑え込まれているだけで。
じゃあそのタガが外れたら一体どうなるんだというのがスナイダーが意図したサーガだったのだろう。
戦力バランスで考えると、スーパーマンさえいればジャスティス・リーグはどの敵にも勝ててしまえる。しかもかなりの余裕を持って。
そういえばMCUにおいても破格のパワーを持つキャプテン・マーベルは持て余し気味で、いかにアベンジャーズから遠ざけておくかに神経を使っている様子だった。いたら問答無用で勝ってしまうので。
であるから、スーパーマンのようなバランスブレイカーを善悪半々の存在にしておき、やがて手に負えなくなるかもというドラマで観客をハラハラドキドキさせようとしたザック・スナイダーの意図は的を射ていたと思う。できればスナイダーが意図したとおりの形でDCEUをやり切ってほしかった。
それと併せて、スナイダーは第一話を作るのがうまくないってことも分かった。
直近、Netflixで制作した『アーミー・オブ・ザ・デッド』(2021年)や『REBEL MOON』(2024年)もまさにその罠にハマっていたんだけど、サーガ全体は緻密に構築されている(っぽい)のに、第一話で観客の心を掴むことに失敗して、全体像を提示する前にシリーズ継続が危うくなる。
今のところ、ザック・スナイダーが意図する全貌を提示できたシリーズはないんじゃないか?
スナイダーのポテンシャルは素晴らしいだけに、『スターウォーズEPⅣ』や『マトリックス』のような「頼むから続きを見せてくれ」と観客を唸らせる第一作を作れるようになってほしいと思う。
コメント
幼少期のときに観たが、クリストファー・リーヴ版の印象が強かった僕にとってはつまらなく感じた。しかし中学生になった今見返してみると、これが驚くほど面白かった。同じ作品を昔と今で見比べることでこんなに印象が変わるのは、改めて人間は不思議だな、と感じた。
「ジャスティス・リーグ スナイダーカット」で監督のビジョンが分かった後に見ると、本作の感じ方も大きく変わりますよね
というか今中学生って、あなた若すぎ!