新聞記者(2019年)_製作姿勢が内輪に向きすぎ【3点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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実話もの
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(2019年 日本)
日本版『ザ・レポート』(2019年)を期待したのですが、これで日本アカデミー賞かと驚くほどの完成度の低さでした。事実のトレースに終始して娯楽として昇華されておらず、題材の掘り下げ方も浅いために、政治に無関心な人、政権に擁護的な人をも振り向かせるような力がありません。

あらすじ

内閣府が関連する大学新設に係る機密情報が、匿名のファックスにより東都新聞にもたらされた。新聞記者の吉岡エリカ(シム・ウンギョン)がその調査を任されるが、調査の過程で浮上した内閣府の官僚・神崎(高橋和也)が不可解な自殺を遂げる。

葬儀の場で内閣情報調査室の若手官僚・杉原(松坂桃李)と出会う吉岡だったが、神崎の部下だった杉原もまたその死に疑問を持っていることが分かり、共に調査を進めることにする。

スタッフ・キャスト

監督・脚本は藤井道人

1986年東京都出身。日大芸術学部映画学科在学中より脚本や演出を手掛け、岡田将生主演の『オー!ファーザー』(2013年)で長編監督デビューしました。

今のところの代表作は俳優の阿部伸之介が企画・主演し、山田孝之も脚本に参加したサスペンスドラマ『デイアンドナイト』(2019年)。

他に読売テレビの連続ドラマ『向かいのバズる家族』(2019年)も手掛けたのですが、こちらは視聴率1%台を何度か記録するという大惨敗となりました。

主演は韓国人女優シム・ウンギョン

1994年ソウル出身。2004年に子役としてデビューし、韓国の人気子役となりました。2010年にアメリカ留学し、帰国後に主演した『怪しい彼女』(2014年)が韓国国内で大ヒットとなり、また多くの映画賞で演技賞を受賞しました。

岩井俊二と是枝裕和のファンであることから日本での活動にも積極的で、本作では日本と韓国にルーツを持ち、アメリカで育った新聞記者吉岡役を演じ、日本アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。

日本アカデミー賞で演技部門の最優秀賞を外国人が受賞するのは史上初の快挙でした。

共演はシンケンレッド(松坂桃李)

1988年神奈川県出身。モデルとしての活動後、『侍戦隊シンケンジャー』(2009年)のシンケンレッド役で俳優デビュー。子供向けとは思えぬ大胆な仕掛けを終盤に持ってきた脚本の出来の良さに加え、松坂桃李や高梨臨ら後の人気俳優を複数人輩出したことから、同作はスーパー戦隊の歴史の中でも屈指の人気作となりました。

その後は一般向け映画で活躍するようになり、『日本のいちばん長い日』(2015年)と『孤狼の血』(2018年)では日本を代表する名優・役所広司の相手役を務めました。

作品概要

現役の新聞記者による原作

本作の原作を書いたのは中日新聞東京支社の現役新聞記者である望月衣塑子。

1975年東京都出身で、慶應大学卒業後に中日新聞社へ入社し、東京本部へ配属。2017年3月から森友学園、加計学園の取材チームに参加し、菅官房長官の記者会見に出席して厳しい質問をぶつけたことで注目を集めました。

本作はフィクションという体裁をとっているものの、現実の政権スキャンダルがはっきりと見て取れる内容であり、主人公の吉岡エリカも望月氏の投影として見ることができることから、Netflixの『ナルコス』と同じく便宜上フィクションということにした実話ものであると捉えて間違いありません。

感想

上記の通り、現実の政権スキャンダルをモチーフにした作品なので見る人の支持政党や思想によって大きく評価の異なる作品ではありますが、私はそういった時事問題の評価を極力避け、純粋に映画として面白かったかどうかという点でレビューしたいと思います。

ポリティカルスリラーとしての山場がない

新聞記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)とエリート官僚・杉原(松坂桃李)が手を組んで政権スキャンダルを暴くという骨子から考えるに、本作のジャンルはポリティカルスリラーであると言えます。

ポリティカルスリラーの醍醐味とは、有力な証言者が突然消えたり、主人公の社会的地位が脅かされそうになったり、主人公の知り合いや所属する組織に圧力がかかって調査をやめざるを得ない状況が出現するといった見えない巨悪による非道と、それにどうやって立ち向かうのかという知的な駆け引きにあります。

では本作でその点が追及されているのかというと、これが全然でした。

作劇上の悪役として設定されているのが内閣情報調査室の多田(田中哲司)という男なのですが、このキャラクターが小役人にしか見えず恐怖の源泉足りえていません。

また主人公二人にかかる圧力も大したものではなく、情報をリークしたことがほぼ明らかな杉原に対しては「奥さん出産したんだってね」と回りくどい脅しがかかるだけで実害が見られないし、吉岡に対しては誹謗中傷記事が出る程度で、これまた個人としての痛恨のダメージには見えませんでした。

この場面で誹謗中傷記事を掲載しているのが文春っぽい週刊誌だったことは興味深かったですね。新聞社から見れば週刊誌なんて二流なのに、今や「文春砲」と呼ばれるほど世論に対する影響力を持っている。そんな週刊誌に対する新聞記者たちのやっかみみたいなものを感じました。

終盤では誤報であるとのクレームが入っているため記事を掲載できないかもという局面を迎えるのですが、これも「何かあれば私が実名を出す」という杉原の一言で即解決するので、面白くありませんでした。

なお、このくだりには日本のジャーナリズムが抱える問題点が凝縮されていて、「誤報ではないか」という圧力に対しては「動かぬ証拠がある」が回答であるべきなのに、吉岡と杉原は「情報を自分で背負う」という精神論で返答し、客観的な証拠で争わないんですね。

加えて、謎解きにも面白みがありません。

内閣府主導で怪しげな大学が設立されているようなので、その目的を探ろうということになって、吉岡と杉原は何かを知りつつ自殺した杉原の元上司の家に行くのですが、そこで政府の陰謀に繋がる資料がすぐに出てくるというお手軽加減。

続いて、杉原は現在の上司である都築のオフィスに潜入して新情報を探すのですが、施錠もされていないキャビネットを開けるとそのものズバリのファイルがすぐに出てくるので、やはり面白くありません。

同じく事実に基づいたポリティカルスリラーである『ザ・レポート』(2019年)なんて、窓一つない部屋に2年間も籠って、精神に支障をきたしながらも膨大な文書を漁って証拠を探り当てた男の話でしたが、それと比べると本作は情報へのアクセスが簡単すぎて、この題材が本来持つべき面白さを失っているような気がしました。

本作は、割かし早くに真相を掴むものの圧力がかかって公表が危ぶまれるという『ペンタゴン・ペーパーズ』(2017年)の路線で行くか、個別案件を調査しているうちに隠されていた巨大な陰謀に辿り着くという『ホワイトハウスの陰謀』(1999年)の路線で行くのかを決めるべきだったと思います。

しかしどっちつかずにしているので、中途半端に探偵ごっこをするがいとも簡単に証拠が入手できるし、中途半端に圧力がかかるが告発者側が腹を括りさえすればすぐに何とかなったりします。

その結果、ポリティカルスリラーとしての山場を作れていないという問題が発生しています。

ファクトとフィクションの折衷に失敗している

こうした詰めの甘さってどこから来るのかと言うと、なまじ事実をモチーフにしているからだと思います。

森友学園や加計学園など現実の政権スキャンダルがベースとなっていることは一目瞭然なので、事実という縛りがあってあまり羽目も外せない。だから謎解きの過程で面白くなりそうな展開を挿入できず、娯楽性が犠牲にされているのではないかと思います。

そうかと思えばおかしな形で羽目を外している部分もあって、政権スキャンダルを揉み消したい内閣府がカウンターとなるシナリオを考え、内閣情報調査局の官僚たちに命じてSNSにひたすら書き込みをさせるという描写はやりすぎでした。

ああいうのは「政府が情報操作をしているかもしれない」という含みを置き、主人公側の正論がいつの間にか掻き消されていくような不気味さを描くだけで良くて、直接的な描写はむしろ恐怖を減衰させます。

薄暗い部屋で何十人もの官僚がひたすらカタカタとPCを打っているという描写は滑稽でしかなく、いまだにネット書き込みは薄暗い部屋というイメージなのかと笑ってしまいました。

暴かれた陰謀の正体が「ナチスが作ろうとしていた生物兵器の開発のため」という異常なものであったこともマイナスでした。さすがに飛躍しすぎであり、ここで一気に作品はリアリティを失います。

また、取材していた当事者が原作者であるというアドバンテージも生かせていません。「実はこんな裏話があったんです」という面白さがなく、ほとんどの国民が報道で見聞きした情報が反芻されているにすぎません。

原作者の望月衣塑子氏と、加計学園問題で内閣府とやり合った前川喜平氏をカメオ出演とは言えないほどの役で起用し、彼らの政治思想を劇中で語らせてしまっていることは逆効果で、あれをやると胡散臭くなると誰も指摘しなかったのでしょうか。

2時間のドラマを見終わった観客が作り手の意図するテーマに辿り着くのが映画という芸術作品なのに、本作は現実世界の当事者たちにテーマをはっきりと語らせるというミスを犯しているのです。

あの劇中討論会は、『沈黙の要塞』(1994年)のラストのセガール演説に匹敵する酷い選択だったと思います。

沈黙の要塞【凡作】セガールの説教先生

本作はファクトとフィクションの折衷に失敗しており、ファクトに足を引っ張られてフィクションが盛り上がらなかったり、フィクションが飛躍していてファクトが持つ生々しさを毀損していたり、リアルの当事者をフィクションに登場させるというメタ的な構成が逆効果になっていたりと、両者が打ち消し合うような働きをしています。

善悪二元論の映画は面白くない

これは他の映画のレビューでもよく述べていることなのですが、単純な娯楽作ならともかく、多少なりとも考える部分のある映画においては、善悪二元論的な切り口は面白くありません。

作劇上、悪とされている側にも一定の理念や理解可能な目的はあり、一方で正義とされる側の論理も完全ではない。

そんな中で、必要悪と割り切って醜い選択をするのか、表面的な正義にこだわるのかということで主人公達が悩み、観客に対しても「あなたならどうしますか?」と問いかけるような映画が面白いのですが、本作はあまりにスパっとやりすぎていて、観客から考えるチャンスを奪っています。

前作『デイアンドナイト』(2019年)で心優しき車泥棒vs雇用を守るためにリコール隠しをする自動車メーカー経営者という表面的な善悪を超越した因縁と意地のぶつかり合いを描いた藤井道人監督が、こんなに単純で味気ない映画を作るのかとガッカリしました。

藤井監督は政治に関心がないという理由で本作のオファーを二度断ったとのことですが、監督自身に政治的定見がないために、発注者側の言いなりになってしまったんじゃないかと思います。

根底にある古臭い価値観

本作の描写で印象に残ったのは、デジタルvs紙という構図です。

悪党の側はSNS上に悪口を書き込むのに対して、正義の側は新聞記者という紙媒体の人間であり、主人公は考えたことを付箋に書き留めて自室の壁を張り紙でいっぱいにしている人物で、リーク情報はFAXでやってくる。

今日び、誤送信が多く、オフィスの誰に見られるかも分からない、誰かに捨てられるかもしれないFAXという媒体を選ぶのかという疑問を普通の人だったら抱くのですが、本作はそうしたリアリティへの目配せをしていません。

そして、内閣府の陰謀が白日の下に晒されたということを激しく動く輪転機のイメージで伝えるという表現手法の古臭さ。多くの人がスマホでニュースを読んでる時代に輪転機のイメージかと、悪い意味で驚かされました。

言い方はアレですが全体的に年寄り臭い映画だという印象です。

年寄り臭いと言えば本田翼扮する杉原の妻の存在も気になりました。彼女は良妻賢母タイプであり、いつもニコニコしてお家で待っていますという昭和の価値観を反映したかのようなつまらないキャラクターに終始しています。

杉原は仕事面での悩みを抱えていても妻に相談せず一人で抱え込んでいるし、妻もまた笑顔で夫を励まそうとするのみで、その悩みに立ち入って行こうとはしません。

今の時代、主人公の妻も物語にガンガン絡んでいくことが通常の作劇であり、同じく実話をベースにしたフィクション『凶悪』(2013年)などはそのアプローチで作られていたのですが、それに対して本作はえらい古い価値観で作られている点が気になりました。

本作が、その完成度の割には一部の観客からの賞賛を受けたのは、ある特定の人々が見たいものが描かれていたからなのかもしれません。

内輪の映画になっている

で、結局行きつくのは内輪の映画になっているという結論です。

現実世界で安倍政権に不満を持っている人たちや、デジタル媒体に何となくの冷たさを感じている人たちは、何となく感じていた嫌なことを可視化されて喜んだのかもしれませんが、作品はそれ以上のものになっていません。

例えばオリバー・ストーンなどは強烈な政権批判映画を作るのですが、面白いし考察も鋭いので、異なる思想を持つ人や、そもそもアメリカの国内情勢に疎い外国の観客までを振り向かせるような力があります。

ストーンが脚本を書いた『ミッドナイト・エクスプレス』(1978年)に至っては、公開時には実話を売りにしていたのに後で嘘八百だらけだったことが分かり、トルコ政府から猛抗議を受けて、ストーン自身も誤謬を認めているのに、いまだに世界中で見続けられています。面白いから。

それに比べて本作は、そのタイムリーさこそ買うものの、5年後10年後に日本国内で見続けられているかどうかすら怪しいものです。

森友学園問題や加計学園問題の印象が薄れた時、これらの問題自体をよく知らない世代が現れた時に、果たして日本アカデミー賞に足る作品であると評価されるのか。時流に乗ればこの程度の映画でも評価されるという悪しきサンプルとして扱われるのが関の山でしょう。

そもそも製作の座組がよくありませんでした。映画が開始していきなり気になったのがイオンエンターテイメントのクレジットであり、本作は元民主党代表・岡田克也氏の実弟が在籍する東京新聞記者の著作をベースとし、実兄が社長を務めているイオングループが出資している映画だというわけです。

もちろんイオングループが政権批判映画に金を出すことは自由だし、大企業がこうした題材に出資することは見ようによっては勇気ある行為とも言えるのですが、あまりにも同じ方向を向いている人間で固まり過ぎたかなという感じです。

製作メンバーの中に題材をより客観視できる人も入れていれば、政権批判映画としての完成度も上がったのではないかと思います。

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