ガンニバル_岡山は日本のテキサスだ【8点/10点満点中】(ネタバレなし・感想・解説)

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スプラッタ
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(2022年 日本)
日本にこんな面白いドラマがあるのかと思うほど面白かった。田舎のジトっとした空気感、主人公を雁字搦めにする人間関係、胸糞の悪い事件と、不快度数は極めて高いのだけど、その不快感がエンタメの領域にまで昇華されていて、全7話をあっという間に見終わってしまった。

感想

田舎は怖い

一般的な日本の映画やドラマでは、田舎は「美しい自然と素朴で温かい人たち」として描かれるが、本当にそうなのだろうか。

2023年1月には、愛媛県の山間部の限界集落に家族とともに移住した、東京都出身の30代男性がアップした「移住失敗」という動画が話題を呼び、メディアでも取り上げられた。

地元の顔役的な人物と対立したことをきっかけに、常識では考えられないほど高圧的な態度をとられた上に、身に覚えのないうわさ話までを立てられて、その地での生活を断念せざるをえなくなったという。

また2023年2月には、移住者を受け入れている福井県のある町が、地元の広報誌に「移住者は都会風を吹かせるな」という趣旨の記載をして、軽く炎上した。

私は広島県のさびれた町の出身だが、田舎とはこういうものである。

少年期に私自身が見聞きした事例でも、毎朝喫茶店でモーニングを食べているというだけで、「なぜあの家にはあんなに金があるのか」「借金でもして無理な生活をしてるんじゃないか」などと、訳の分からん噂話が町内を駆け巡っていた。

喫茶店のモーニングを食べているだけで借金まで疑われるとは論理の飛躍も甚だしいが、田舎ではこうしたどうしようもない噂話がまことしやかに囁かれ、勝手に尾ひれはひれが付いていく。

田舎の人間関係は濃くて家族構成から資産状況までほぼ把握されているし、基本、田舎の人たちは暇なので、隣人の些細な変化にもすぐに気づく。そして噂話が町内を駆け巡るのだ。

山間の限界集落ともなると、もはや蛸壺のようなものである。

何世代にもわたって同じ顔触れで回している社会なのだから、そこにプライバシーなるものはなく、独自のルールが多岐にわたって存在している。いざとなれば助け合わねばならない関係性なので、他人は自分の一部なのである。

であるから、よそ者は激しく警戒される。本当に仲間に入れてもいい相手なのか、集落の全員からの厳しい視線を注がれる。

前置きは長くなったが、その閉塞感が作品の重要な構成要素となっているのが、本作『ガンニバル』である。

原作は2018~2021年まで「週刊漫画ゴラク」に連載された二宮正明著のコミックであり、連載終了からほとんど間を空けずに実写化された。

岡山県警の阿川大悟(柳楽優弥)が中国山地の限界集落に駐在として赴任するのだが、赴任早々に発生した老婆(倍賞美津子)の死亡事件をきっかけに、この地では何かやばいことが起こっているということに気づく。

「カニバリズム(食人)」を連想させるタイトルからもお察しの通り、この地では食人行為が行われているらしい。その主題自体も十分にショッキングなのだが、それと並んで印象に残ったのが田舎の閉鎖性である。

最初は「新しい駐在さんが来てくれた!」と言って村をあげての歓迎を受けるのだが、そのうち品定めをされるかのような視線を受けるようになり、村のリーダーとの行き違いをきっかけに集落全体との関係性が悪化する。

村のリーダーは山口サブという初老の男で、演じる中村梅雀の芸達者ぶりもあって、とにかくこいつがむかついて仕方ない。

最初は面倒見のいい人情家のようなのだが、阿川家で何かあるたびにタイミングよくサブが近くを通りかかるので、こいつが家を監視してるんじゃないかという疑念が持ち上がる。

猜疑心の高まった大悟はたった一言、小声で「うぜぇ」とつぶやいてしまうのだが、その日の夕方には「駐在がサブさんに因縁をつけた」という噂が集落全体を駆け巡っており、場を収めねばならない大悟は渋々サブに謝罪をする。

この謝罪をきっかけにサブの猛烈なマウントが始まり、それまで「駐在さん」とさん付けだったものが「駐在!」と大悟を呼びつけるような関係性となる。

このサブ自身の戦闘力は低そうで、大悟がキレればどうとでもできそうな感じではあるのだが、村全体の同調圧力の頂点として権力をふるう様が、とにかくむかつく。小物のくせにえらそうなのである。

そして現実にもこういうおっさんは結構いるので、多くの視聴者にとっても身近な悪なのではなかろうか。

あまりにも演技がうますぎて、演じた中村梅雀自体を嫌いになりそうだったのだが、梅雀も劇団で先輩からのいじめを受けるなどの苦労をしてきた人のようで、彼自身が嫌いな人のイメージをサブという役柄に投影したのかもしれない。

岡山は日本のテキサスだ

このサブは凡庸な悪なのだが、一方謎の核心部分にいるのはガチのやばい連中。

彼らは後藤家と言い、山で林業を営んでいるので集落に出てくることは少ないのだが、もとは村全体の土地を所有していた大地主で、先祖代々、村を支配する立場にいたので、彼らは今でも他の村人を完全に見下している。

そしてサブをはじめとした村人たちは、いまだに後藤家を恐れ続けている。

その土地の名士がありえないほどの権力を持っているというのも、田舎あるあるだ。

余談ではあるが、私の地元には『仁義なき戦い』(1973年)に登場する大久保という長老のモデルになった有名な顔役がいて、その家系は今でも地元の名士扱いなんだけど、迂闊にあの家の話はしちゃいけないという空気感がわが地元にもあった。これが田舎。

どうも後藤家には食人の風習があるようで、実際、周辺ではおかしな事件がよく起こるのだが、駐在の立場で大悟がこれを調べようとすると、後藤家からの凄まじい反発を受ける。

俗世間であれば警察の捜査は受けざるを得ないのであるが、法律よりも人間関係の方が重い限界集落ではそうもいかない。後藤家は駐在に対しても堂々と脅しをかけてくる。

常識が全く通用しない相手として思い起こされるのが、『悪魔のいけにえ』(1974年)のソーヤー家である。

ソーヤー家は身内意識がやたら強い異常者集団だったが、本作の後藤家も負けず劣らずで、身内以外を人としては見ていない。

そしてソーヤー家や後藤家のような極端すぎる集団を、ある程度のリアリティをもって描くことはなかなか困難な作業だともいえるが、『悪魔のいけにえ』はテキサスを、本作は岡山を舞台とすることで、この問題をクリアーしている。

岡山は『八つ墓村』(1977年)や『丑三つの村』(1983年)などの舞台になっており、地域の因習が絡んだ殺人事件の舞台として、日本映画界では固有の地位を築いている。

岡山の山間部のジトっとした感じは唯一無二で、他の地域にこの味は出せない。岡山という舞台自体が、本作のもう一人の主役だと言える。

柳楽優弥の暴走コップぶりは最高

もう一つ秀逸なのが、主人公阿川大悟の人物設定である。

限界集落で明らかにやばいことが起こっている上に、自分自身の立場も危うくなりそうだ。どう考えても逃げ出すべき状況なのに、阿川は逃げない。

この不自然さを埋めるべく、阿川には特殊な人物設定が施されている。

第一話、村に赴任直後の阿川は若くて爽やかな警察官という雰囲気なのだが、後藤家とはじめてトラブった際にチンピラのような言葉遣いが飛び出し、「こいつも何かおかしい」という違和感を残す。

その後に判明するのは阿川は元暴力警官だったということで、あるショッキングな事件をきっかけにおとなしく生きるよう自分を律するようになったのだが、ふとしたタイミングで本来の自分があらわれてしまうのである。

抑え込んできた暴力衝動の解放を無意識レベルで望んでいるようで、阿川自身が騒動や暴力を欲しているために、村の事件から逃れるどころか、どんどん深入りしていくのである。

この人物設定はよくできていると感心したし、これを具体化した柳楽優弥の演技力にも舌を巻いた。

冒頭の好青年ぶりから一転して、他人に暴力をふるう際には恍惚とした表情すら浮かべる。この振れ幅の広い役柄を説得力を持って演じているのである。

吉岡里帆には惚れざるをえない

そして大悟の妻・有希を演じる吉岡里帆も素晴らしかった。

実はこれまでさほど気にしてこなかった女優さんなのだが、本作では彼女の色気ダダ漏れ状態で、完全に惚れてしまった。

田舎で浮くことのないよう髪型もファッションも地味に押さえてはいるのだが、ピチっとしたジーンズや、胸のふくらみが意識されるTシャツなど、彼女のセクシャルな部分がわかるような衣装が選択されている。

これは『わらの犬』(1971年)のスーザン・ジョージを意識したものなのだろうか。

ストーカーされた経験があるという何気ない一言からも、周囲を刺激してしまう女性として有希は描かれているんだけど、これを演じる吉岡里帆が完璧すぎた。彼女の美しさがよく表れているのだ。

聞くところによると吉岡里帆は女性人気がないそうなのだけど、そんなパブリックイメージも含めて本作へのキャスティングがなされたのだろうと思う。

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