鬼滅の刃は中年こそ見るべき【社会人視点での魅力解説】

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2019年頃からブームとなり、2020年10月の映画公開で加速し、いまだにその勢いの収まる気配のない『鬼滅の刃』ですが、1981年生まれの私は完全に乗り遅れていました。

同世代の友人たちも押しなべて「面白いらしいね、俺は知らんけど」「うちの子が見てる、俺は知らんけど」という態度だったのでこのままスルーでいいかとも思っていたのですが、たまたま時間ができたこともあってアニメシリーズをまとめて見たところ、「よもやよもや」という感じでハマっていきました。

実はこれ、過去のジャンプイズムを換骨奪胎した作品であり、我々中年のツボもちゃんと押してくれる作品なのです。中年こそ食わず嫌いせず見ましょう。

作品解説

『鬼滅の刃』という商品について

2016年2月から『週刊少年ジャンプ』にて連載が開始された少年漫画ですが、その人気が加速したのは2019年4月のテレビアニメ放送開始後でした。

2019年には「オリコン年間コミックランキング」で第1位を獲得。これは11年間首位の座を守ってきた『ONE PIECE』を抜くという大金星であり、コミック業界に激震が走ったのですが、アニメ放送前の単行本売り上げが450万部だったのに対し、アニメ放送期間中だけで750万部も売れたので、やはり人気を押し上げたのはアニメ化だったと言えます。

そんな好評を受け、アニメ放送期間中に続編の製作が決定。ただし『無限列車編』はテレビの1クールでやるには分量が少なかったことから、映画という媒体が選択されました。

かくして『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』が製作され、2020年10月より公開されたのですが、『鬼滅の刃』というコンテンツ自体がブーム真っただ中であったことや、コロナ禍で大作が軒並み公開延期されており有力なライバルがいなかったこともあって、2021年7月29日までの大ロングランとなりました。

その結果、日本国内で初めて興行成績が400億円を突破した作品となり、また全世界での売上高も5億ドルに達して、2020年の全世界興行成績でNo.1を獲得しました。

そして2021年12月からは、『無限列車編』の続編である『遊郭編』が放送される予定です。

ざっくりとあらすじ

大正時代。少年 竈門炭治郎(かまどたんじろう)は不在中に家族を鬼に殺され、唯一生き残った妹の竈門禰豆子(かまどねずこ)は鬼になっていた。妹を人間に戻す方法を探す炭治郎は、2年間の基礎訓練を経て「鬼殺隊(きさつたい)」に入隊する。

面白くなるのは十一話から

実は私、鬼滅の刃に挑戦するのは二度目です。

映画が公開された2020年秋頃にもテレビアニメを見始めたのですが、3話まで見たところで関心が続かなくなり、しばらく放置したので見た回の記憶も薄れてしまいました。

映画、ドラマ、アニメ問わず、ストーリーを持つ作品は立ち上がりにどうしても時間がかかってしまうものであり、「鬼滅」に関しても最初の数話で脱落してしまったという人は結構います。

ではいつから面白くなるのかというと、鬼殺隊同期にして友人の我妻善逸(あがつまぜんいつ)と嘴平伊之助(はしびらいのすけ)が登場する十一話あたりからです。

それまでは思うところあっても付いてきてください。

作品の魅力

躊躇のない残酷描写

少年誌での連載や子供向けのグッズ展開から、我々おっさん世代は本作を子供向けのアニメと見做しがちですが、いざ内容を見ると「これを子供に見せていいの?」と仰け反りそうになりました。

第一話から炭治郎の家族の惨殺死体がハッキリと映し出され、幼い子供達も容赦なく血まみれ。

その後、唯一生き残った禰豆子と炭治郎は鬼殺隊の剣士 冨岡義勇(とみおか ぎゆう)に発見されるのですが、禰豆子が鬼になっていることを察した冨岡は、躊躇せず禰豆子に斬りかかってきます。

子供でも容赦なく殺戮に巻き込まれるという殺伐とした世界観に、私は呆気にとられました。

その後も、いざ戦闘となると首が飛び、血しぶきが舞う修羅場が出現し、残酷描写には一切の手加減がありません。

加えて、人間の形から変化する鬼は『遊星からの物体X』(1982年)のようでもあり、そのグロテスクな造形も見どころとなっています。

善悪二元論を貫くシンプルな構成

そうした躊躇の無さの延長にあるものは、人間vs鬼のシンプルな二元論です。

ここ数十年来の作劇にありがちな善悪のボーダーレス化や、戦いの意義に疑問を抱く主人公像、また従来の敵対者が味方につくという展開もなく、人間と鬼は決して相容れず、鬼は駆除するしかないものという扱いとなっています。

一応、鬼にも同情すべき背景があることが描かれ、炭治郎は断末魔の鬼を憐れんだりもするのですが、かと言って鬼側に歩み寄ったり、斬ることを躊躇したりということはありません。

人間vs鬼の二元論は絶対なのです。

それは古典的とも言えるのですが、ここまでシンプルな構図を守り切った作品にはここ最近お目にかかっていないので、一周回って新鮮さを感じました。

そして「みんな仲良く」とか「共存の道を」という学級会的な価値観に辟易とし、「社会は食うか食われるか」「敵は敵だ」という感覚を持つ擦れた大人こそ、本作の価値観には感じるものがあるのではないでしょうか。

スポ根漫画のような主人公と体育会系組織

そんなお話なので、主人公像も超古典的。

妹を人間に戻すという明確な目標を持ち、どんな苦境に立たされたとしても常に前向きで、努力と精神力で困難を乗り切ろうとする真っすぐな少年。また人を憎んだり弱音を吐いたりしない、素直で朗らかな気質の持ち主です。

隙や弱みを覗かせるという現代的なキャラクター像は友人の善逸や伊之助に割り振られており、炭治郎には一点の曇りもない完全無欠の主人公像があてはめられているのですが、最近ではお目にかからないタイプの主人公なので、かえって新鮮でした。

ボロボロになった炭治郎が「まだまだ!」と言って立ち上がり続ける様は、往年のスポ根漫画を見ているような気持ちになります。

そして、彼が所属することになる鬼殺隊という組織もゴリゴリの体育会系組織。

組織からの命令は絶対であり、先輩は後輩よりもえらい。特に柱と呼ばれる幹部に対しては深い敬意を払う必要があり、もし1年生がその言葉を遮ろうものなら容赦のない制裁を受けてもおかしくないほどのピリついた空気が漂っています。

また、入隊したはいいが剣術に才覚を発揮しなかった者、メンタルが弱く鬼との戦いに耐えられなかった者も一定数いて、彼らは戦場の後片付けや戦士たちの身の回りの世話係に割り当てられています。

組織内でのスポットを浴びられる者と、実力がなく縁の下の力持ちにならざるを得ない者の対比。この容赦のなさも私的にはツボでした。

「No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly One」という昨今の生ぬるい価値観に違和感を覚え、「できない奴は置いて行かれるのが社会の掟!」を信条とする中年サラリーマンこそ、本作の価値観に深く同意できるのではないでしょうか。

その他、炭治郎は自分を鼓舞したい時に「男だから」「長男だから」というセリフを口にするのですが、これもまた男らしさ・女らしさという価値観を忌避しがちな昨今の潮流に逆らっています。

そして「男なんだろ?ぐずぐずするなよ」「Oh Yes! 俺たち男さ」という宇宙刑事の価値観で育てられた世代こそ、こうした炭治郎のセリフがすっと心に入ってくるはずです。

組織vs組織というトランスフォーマー的な図式

鬼殺隊に対することとなる鬼側も組織化されています。

すべての鬼の祖である鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)を頂点とし、十二鬼月(じゅうにきづき)と呼ばれる幹部層がいて、その下に普通の鬼たちがいます。

で、敵味方双方がピラミッド型の組織という構図からは、『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』を思い出しました。

サイバトロンとデストロンはそれぞれコンボイとメガトロンというリーダーに率いられており、組織内にはエアーボット隊やジェットロン隊といった幹部クラスが率いる小集団が存在している。

個の力で脅威に対抗するのではなく、敵味方双方がリーダーによる統率で戦うというアニメや漫画は意外と珍しいので、これもまた本作固有の魅力となっています。

パワハラ組織とやりがい搾取

加えて面白いのが両リーダーのマネジメント方法の違いが描かれているところで、鬼舞辻無惨は文字通り鬼の指導。期待する成果が得られなければ容赦なく部下を処分し、敵より何よりリーダーが怖いということで兵隊たちは戦場に臨んでいきます。

鬼舞辻の凄いところは幹部クラスである十二鬼月に対しても粛清を行うことで、組織内の人材を交換可能な消耗品として見ている傾向があります。

実際、鬼舞辻は自分の血を分け与えることで容易に鬼を強化することができるため、人材マネジメントが荒っぽくなるのは必然とも感じられますが。「お前らの換えなんていくらでもいるんだよ」というブラック企業のような発想ですね。

ちなみに、鬼舞辻が十二鬼月を集めて行う会議はパワハラ会議として有名です。

議題は「なぜお前らは弱いのか」。

部長の一人が「そんなことはありません。私は社長のために頑張ります!」と前向きなことを言えば、鬼舞辻社長は「私の意見を否定するのか」と怒り、別の部長が「鬼舞辻様の血を与えていただき肉体を強化すれば(≒予算を増やし陣容を強化すれば)成果を出せます!」と具体的な提案をすれば、「なぜ私がお前らの指示に従わねばならん」と怒る。

部下がどう言い繕おうが、鬼舞辻社長の気持ちが収まるまでは否定しかないという理不尽極まりない会議であるわけです。というか会議として成立していませんが。

他方、「お館様(おやかたさま)」と呼ばれる鬼殺隊トップ 産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)は人格者であり、隊員達を「私の子供達」と呼び、彼らを包み込むような優しさで組織をまとめています。

部下と意見を違える場面であっても決して声を荒らげたりせず、「君の意見はよく分かったよ」「でも、こういう理由で問題があるんじゃないかな」という穏やかな形で組織内の意見を調整していきます。

こうしたマネジメントの結果、隊員達は「お館様のお役に立ちたい」という思いを自然に抱くようになり、任務に対する高い士気が維持されているというわけです。

こちらは人材を資産として見ているマネジメントであり、剣士の熟練には時間がかかることから、一人一人を大事に育てなければならないという必要性にもかられた部分があります。

お館様の声を演じるのはトム・クルーズの吹替でお馴染みの森川智之ですが、この方は『剣風伝奇ベルセルク』(1997-1998年)で鷹の団団長グリフィスを演じた経験もあって、カリスマ性と神秘性を兼ね備えたリーダー像を見事に表現しています。

ただし前述した通り鬼殺隊そのものは体育会系の組織であり、隊員の命よりも任務優先という非情な面があることを考慮すると、お館様のやり方も結構エゲつない。

もし最初から柱を送り込んでいれば犠牲を出さずに制圧できた可能性もある那田蜘蛛山(なたぐもやま)掃討作戦では、大量動員された鬼殺隊1年生や2年生が数十人単位で死亡しており、お館様は新人隊員達の命をかなり軽く扱っているということが伺えます。

すでに膨大な時間とコストを投資済みである柱たちはなるべく温存し、まださほど金をかけていない新人たちを様子見に使いたいという。

で、命という高い代償を払わされる隊員達は、やりがい搾取をされているとも言えます。

この辺りの現実の組織論を反映した両組織のあり方って、中年こそが身に染みて理解できるのではないでしょうか。

シリアスとユーモアのバランスの絶妙さ

以上の通り人間と鬼との死闘を基礎としており、同情すべき背景を持つ者でも戦場では容赦なく斬られるという殺伐とした作風なので全体的にはシリアスなのですが、視聴者を疲れさせないよう、適度なユーモアも含まれています。

ただしその間合いが独特なもので、例えば『シティハンター』のように普段はコミカルに振る舞う主人公が戦いの時にはキリっとするという類の線引きではなくて、物凄くシリアスな場面なのに、突然善逸がおかしなことを言い出すという形でユーモアが挿入されます。

これってうまくやらないとドラマの流れを断ち切るウザイ間合いになってしまうのですが、原作者のセンスなのか良い箸休めとして機能しているので、私は実に心地よく感じました。

ちょいと残念な点

モノローグが多い、多すぎる

原作が少年漫画なので基本的にはセリフが多いし、原作者のセンスの良さもあってインパクトのある名言も多いのですが、それにしてもモノローグが多すぎます。

映像表現がなされているのだから、戦況や敵の力量なんて見ればある程度分かるのに、それらすべてが炭治郎の心の声という形で説明されるので、「もういいよ」となりました。

同じく、心境の説明もクドすぎます。

それまでのドラマの流れや炭治郎の表情を見れば、彼が今何を考えているのかなんて十分伝わってくるのに、「お前だけは許さない!絶対!」みたいなセリフが必ず入ってくる辺りは余計だし、アクションのテンポを悪くする原因にもなっています。

精神力で何とかなりすぎる

「心技体」という言葉がありますが、圧倒的な生命力と身体能力を持つ鬼に対して、鬼殺隊は技の鍛錬と精神力の向上で立ち向かうという根本的な構図が置かれています。

これを踏まえると、人間の肉体という制約条件は厳に守られるべきだと思うのですが、実際には精神力でいろいろ何とかなりすぎなので、私はガッカリしました。

例えば炭治郎はあばらと足を骨折しているにも関わらず鬼相手の交戦を続け、「頑張れ!俺!」と自分を鼓舞すれば、折れてるはずの足でぴょんぴょん飛び回り続けられるのですが、これはやり過ぎでしたね。

原作が少年漫画なので基本的にはいろんな無茶があってもいいのですが、人間の体の脆弱性が何度も強調される物語において、気合さえあれば大怪我でも克服できるというのは良くありません。

禰豆子を下ろして戦えばいいのに

背中に大きな木箱を背負っていることが炭治郎の特徴の一つですが、あの中に入っているのは妹の禰豆子です。

鬼化して日の光を浴びられなくなった禰豆子をあのように背負って移動しているのですが、戦いが始まっても木箱を下ろさないことが多々あって、それがずっと気になりました。

普通に重いから行動を制限されるだろうし、中にいる禰豆子を危険にさらすことにもなるので、下ろして戦えばいいのに。

また鬼との交戦は基本的に夜間なので、禰豆子は箱から出てればいいような気がするのですが。

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