シン・ゴジラ_官僚vs大怪獣【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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キャラもの
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(2016年 日本)
人間ばかり映っているのに、人間ドラマがほとんどないという奇怪な映画だが、これこそがみんなの見たい怪獣映画だった。「もしも怪獣が東京に現れたら」を極限のリアリティで具体化し、圧倒的なテンションで2時間を突っ切る。最後には特撮魂に満ちた見せ場もあって、大満足の作品だった。

yujinn23duoさんからリクエストをいただいたレビューです。

作品解説

純国産怪獣映画

レジェンダリーゴジラの世界的大ヒットに触発されて12年ぶりに製作された純国産ゴジラ。

レジェゴジにすっかり夢中になっていた私は公開直後にIMAX劇場へと向かったのだが、現在からは信じられないことに、公開直後の劇場はさほど混んでいなかった。

最後の純国産ゴジラ映画『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)がコケたこと、総監督の庵野秀明が実写作品で成功していなかったこと、監督の樋口正嗣が『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015年)でヤラかしたことなど、実のところ不安の方が大きかったのだ。

そこから口コミで盛り返して、最終的には興収82.5億円の大ヒットとなったのだから、本作がいかに内容面での支持を受けたかが分かる。

感想

怪獣映画で怪獣を描く必要なし

今回、『シン・ウルトラマン』(2022年)に合わせて再鑑賞したのだが、徹底して観客の好みに合わせにいった作品だという感想を持った。

私を含む怪獣映画ファンが何を求めているのかというと、怪獣そのものよりも、怪獣という存在を受けた人間社会のリアクションではないかと思う。

本作がメルクマールとしたであろう平成ガメラ三部作は、実のところ怪獣の設定はかなりいい加減で、ガメラに至ってはアトランティスの守護獣というファンタジー設定までがあったのだが、そんなことなど誰も気に留めていなかった。

これに倣ったのか、本作のゴジラの設定はさほど深掘りされていない。放射性物質に触れた謎の深海生物程度の説明であり、残りの部分は「我々の理解を越えている!」というセリフで補われている。

従来のゴジラで強調されてきた反核の象徴性さえも重要視されない。

捉え方によってはゴジラであることを捨てたゴジラとも言えるのだが、それでもちゃんと「シン(真)ゴジラ」になっているので、これまで我々が重視してきた反核要素って、実のところ大して重要なものでもなかったんじゃないのと思えてくる。

では怪獣映画において重要なものとは一体何なのか、平成ガメラの何がそんなにウケたのかというと、怪獣が現れた際の政府や自衛隊の動きに対して可能な限りの真実味を持たせたことだった。

かつ、『ガメラ2/レギオン襲来』(1996年)でシミュレーション路線が行き着くところまで行った後、美少女キャラにフォーカスした『ガメラ3/邪神覚醒』(1999年)がやや不評だったことから、特定の人物を濃く描くドラマが望まれているわけではないことも分かった。

怪獣映画における人間側の主人公とは観客の視点になる人物でさえあればよくて、その素性がどうのとか悩みがどうのという話など不要なのである。

本作には、そうした過去の怪獣映画から得られた知見がぶち込まれており、緻密なマーケティングがなされた映画であるという印象を受けた。

オタクを拒絶したエヴァ旧劇場版の終わり方もあって、庵野秀明とは我が道を行くクリエイターだと思われがちだが、実のところ想定顧客の好みに対して細心の注意を払っている人物ではなかろうか。

観客に対する意地悪をやめて分かりやすい娯楽を志向した『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(2007-2021年)を見るにつけてもそう思う。

本作の製作に当たって庵野秀明はシミュレーション路線に特化することを提案し、友人でもある樋口正嗣監督をはじめとしたクリエイター達にそれをやり切らせた。

ここまで迷いなく一方向に振り切ってしまうというのはなかなか覚悟のいることだと思うが、庵野はそれが正しい道だと信じ、誰に何と言われようがやり切った。この脇目を振らない姿勢もまた、彼の強みなのだろう。

プロデューサーからは長谷川博己と石原さとみを元恋人という設定にしようなどの提案があったらしいのだが、庵野はこれを拒否。実際、そんな恋愛要素など要らんかったと思う。

作り手側のあるべき論を捨ててファン目線に徹した庵野秀明の顧客第一主義には、頭の下がる思いがする。

日本人的初動対応

物語は超シンプル。

東京に怪獣が上陸し、日本政府がその対応に当たる。以上。

なのだが、ディティールの積み重ねで成功しているのが本作の特徴である。

怪獣襲来は外敵からの攻撃なのか?天変地異か?害獣駆除か?

これをどう捉えるかによって所管官庁が異なり、指揮命令系統や対応策が異なるという議論より本作はスタートするのだが、その蘊蓄の細かさは『ガメラ大怪獣空中決戦』の比ではなく、考えられることを全部セリフにして役者に発言させるという尋常ではない情報量には圧倒された。

派手さよりも実力重視のキャスティングはここで効果を上げており、各登場人物は無機質なセリフを喋っているだけなのだが、役者の力によってきちんとそれぞれの個性が見えてくるのだから大したものである。

そしてありそうでなかったのが、人間側の兵器で当然に怪獣を倒せるはずだという予断の存在である。

怪獣が現れた時点で社会は大パニックに陥り、政府も軍隊も未曾有の脅威として身構えることが怪獣映画の定番の流れだが、本作では「相手は生物なのだから倒すことは可能。問題はその遂行方法であり、法的建付けである」という議論が先に来る。

この政府は随分と呑気かつ悠長なのであるが、「確かにそうなるかもね」と思わせるだけの説得力もあった。

自衛隊が一発発砲することに大変な検討を重ねたり、逃げ遅れた人を二人発見しただけで攻撃命令が取り消されたりといった、政治や役所のめんどくささがここで露わにされる。

「目の前の脅威に対抗するのだ」という強い意志よりも、「対応を誤って責任をとらされたくない」という消極的な発想の方が意思決定の根幹部分にあるという、いかにも日本人的なメンタリティが作品には反映されているのだ。

そんなこんなで政府が検討に検討を重ねている内に、初上陸したゴジラは東京湾へと帰っていく。「良かった良かった」と安堵する政府関係者たち。

ゴジラが生きている限りは何の根本解決もしていないのに、とりあえず目の前から脅威が去ってくれたことで楽観論が場を支配するという点もいかにも日本人的であり、日本人論としても見応えがあった。

歯が立たないという絶望感

案の定、ゴジラは戻って来る。より陸上に適応した姿になって。

ようやっと政府も怪獣退治に本腰を入れねばならないという必要性に迫られ、攻撃ヘリに発砲命令を下すのだが、どれだけ弾を撃ち込んでもゴジラを殺すどころか足止めすらできない。

ここに来て「我々はとんでもないものを相手にしている」と気付く、その絶望感が凄かった。

続いて戦車部隊も投入した大作戦に移り、それまでは一発撃つことすら躊躇っていた姿勢からは一転して、武器使用無制限との指示が出される。

ついに総力戦開始という高揚感があったのだが、やはりゴジラを止めることはできない。戦車部隊の一員だった斎藤工も橋の下敷きになってしまった。

万策尽き果てた日本政府は、在日米軍にバンカーバスター(地中貫通爆弾)を撃ち込んでもらって、何とかゴジラの足止めに成功する。

結局米軍頼みか、自衛隊は情けないなぁなどと言うことなかれ。専守防衛の精神のもと、攻撃力の高い武器を持たされていない自衛隊は、米軍と比べてやれることが少ないのである。

そういえば、米軍が怪獣にバンカーバスターをお見舞いするという描写は『シン・ウルトラマン』にもありましたな。庵野&樋口監督は、バンカーバスターがお気に入りなのだろうか。

官僚こそ日本の防衛線

とはいえゴジラは死んだわけではなく、当座のエネルギーを使い果たしてしばしの休眠状態にあるだけなので、そのうち活動を再開する。

国際社会は核兵器の使用によるゴジラの抹殺を計画して、復興支援を条件に日本に原爆投下を受け入れさせようとする。

公開当時には、専ら国内事情のみが描かれることの多い怪獣映画において、近隣諸国の動きまでを織り込んだことは斬新であると評価されたのだが、実のところ、ゴジラシリーズはこれまでも国際情勢を描いてきた。

『ゴジラ』(1984年)でもアメリカやソ連から核の使用を迫られる展開があったし、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)ではアメリカのバイオメジャーと中東の王国がゴジラの生体サンプルを巡って攻防を繰り広げた。

そんなわけでこれまでも国際情勢に明るかったシリーズを継承発展させたのが本作であるが、「首都に核を落とされるわけにはいかない」と瀬戸際で粘ろうとするのが与党の若手政治家と、生き残った霞が関の官僚達だったという点は新鮮だった。

何かと悪者にされがちな与党や官僚であるが、この国の屋台骨を支えているのは紛れもなく彼らであり、大規模な作戦を立案し、日本中に働きかけて実行していく能力を持っているのは彼らしかいない。

官僚こそがこの国の最終防衛線であるという事実を本作は炙り出す。これは本作で一番燃えたポイントだった。私は官僚でも与党関係者でもないが。

特撮愛に満ちたヤシオリ作戦 ※ネタバレあり

かくして急ごしらえのヤシオリ作戦が実行に移される。

ヤシオリとはヤマタノオロチを倒すために用いられた酒のことらしい。それでこそ『シン(神)ゴジラ』。庵野さんは相変わらず博学ですなぁ。

作戦は、休眠中のゴジラをこちらの攻撃によって叩き起こし、無人機と戦わせてひとしきりエネルギーを消耗させた後でビルを倒壊させてゴジラをその下敷きにする。

そして身動きの取れなくなったゴジラの口元にポンプ車で乗り付けて、血液凝固剤をごくごく飲ませて凍結させるというもの。まさにヤシオリですな。

ここでゴジラを叩き起こすのが新幹線爆弾であったり、無人在来線爆弾であったりするのが笑える。

それまでリアリティ一辺倒で来た本作が、ここで遊び心を全開にするのである。

この辺りになると樋口監督の演出もノリノリで、作り手側が楽しんでいるのがこちらにも伝わってくる。うまいスタッフが目を輝かせながら作った作品というものは本当に気持ちの良いものだ。

そして個人的には、ゴジラの動きを封じるビルの一つがグラントウキョウだった点に燃えた。あそこで働いていた時期があるので。

そういえば本作は、舞台選びのセンスも抜群に良かったと思う。

東京タワーや国会議事堂のような典型的なランドマークは避けつつも、東京都民なら「あ!」と思うようなロケーションが登場するのである。

そして東京駅周辺ならば、東京住みではなくともそこに降り立ったことはある、景色は知っているという人も多いだろう。

やはり怪獣は知ってる場所で暴れてナンボ。そんな怪獣映画の原点にも立ち返った素晴らしい見せ場だった。

最後のしっぽは何だったんだ ※ネタバレあり

かくしてヤシオリ作戦は成功し、ゴジラの凍結に成功するのだが、祝勝ムードの中でゴジラのしっぽのドアップになると、その先端には人型のものが。

ほんの数秒しか映らないので劇場で見た時にはよく分からなかったのだが、後にBlu-rayではっきりと人間の形をしていることを確認できた。

そこで映画は終わるので一体何だったのかの説明はないのだが、どうやらあれはゴジラの次の形態だったらしい。

単独生命体としては完成され尽くしたゴジラだったが、やはり強力な個体というものにも限界はある。その進化が行きつく所まで行ったので、今度は無数の群体に分裂しようとしていたということのようだ。

あの人型はまさにゴジラの母体から抜け出さんとしたその瞬間で固まっているので、ヤシオリ作戦は本当にギリギリのところでゴジラの増殖を食い止めたと言える。

あと少し遅かったらと、背筋が寒くなるようなラストだった。これまた怪獣映画の余韻としては悪くない。

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