(2023年 アメリカ)
ゲームの映画化作品としては完璧ではないかと思うが、あまりに完璧であるがゆえに「これを映画でやる意味って何なんだろう」という疑問もわいてくる。スーパーマリオというゲーム界最大のスターでこそ成立しているが、他のキャラで同じことができるんだろうか。
感想
世界的に凄まじいヒットになっており、それに伴い日本のメディアでの広告量も半端ではなく、ここ数週間はテレビをつければ本作の話題で持ち切り状態。
日本産コンテンツが世界でウケると嬉しくて仕方のない日本人固有の性格を見越してか、あえて全世界同時公開から公開日を後ろにズラした東宝東和の戦略勝ちだろう。
例に漏れず我が家の子供達も映画館に行きたいと言い出し、子供3人+私の料金で結構な金額の映画鑑賞となった。目ざとい長男がIMAX 3Dで見たいと言い出したために、子供料金は倍に跳ね上がったし(通常1000円→IMAX料金700円+3D料金300円の加算で2000円に)。
スーパーマリオへの思い入れは、私個人はそれほどでもない。うちの実家はファミコンNGで少年期にはスーパーマリオに触れていなくて、Wiiの時代になってからマリオカートなどをプレイし始めた程度なので。
一方子供達は別で、実家とは打って変わってゲーム無制限OKの我が家の教育方針のもと、幼稚園に入る前からスーパーマリオ オデッセイなどをプレイしてきたので、マリオは友達みたいなものだ。
そんな思い入れの違いが本作への感想にも如実に表れていると思う。
子供たちはとにかく面白かったと大興奮だった。
一方、私はそこまでという感想。面白いのは面白い。短い尺の中でイベントを詰め込むだけ詰め込んで、お子様ランチとしては極上の出来だと思う。しかし、あのテーマ曲を聞いて興奮できるかどうか、馴染みのキャラを見て感動できるかどうかの違いは如何ともしがたい。私の脳裏にはそこまで刷り込まれていないのだ。
スーパーマリオを知らない人にとっては、なかなかの地雷じゃないかという気もする。事情をよく知らない人が知り合いに誘われて見に行くと、結構な確率で置いて行かれるんじゃなかろうか。
それくらい、本作は観客の側が思い出補正をしてくれることを前提に作られている。
例えば、マリオがピーチ姫に帯同する条件としてコースのクリアを要求される場面。あれはゲームのプレイ感をアクションの見せ場として落とし込んだ見事な場面であるが、プレイしたことのない人にとっては理不尽極まりないイベントに感じられるかもしれない。
本作は全編にわたってこのような状態が続いている。
それをやっていいのは、スーパーマリオという世界一有名なゲームキャラの特権だろう。ついてこられる客だけを相手にしても十分に勝算が見込めるほどの下地がすでに存在しているのだから、ビジネス的には間違っていない。現に記録的な興行成績を叩き出しているし。
マリオがいい歳をして両親と同居で、しかも父親からはできない奴扱いを受けている点や、冒険の目的が弟ルイージの救出から「何事かを成し遂げたい」に移り変わっていく過程など、脚本レベルではそれなりにドラマ的要素はあったのだろうと推測される。
これはクッパも同じくで、ピーチ姫への一途な思いが根底にありながら、それが実現しないと見るやキノコ王国への侵攻という極端な表現方法に切り替わるなど、なかなか歪んでるなと思った。
ただしこうしたキャラクター分析的な要素は根こそぎ削られており、クッパという悪い奴をマリオが攻略するという単純な図式にまで落とし込まれている。
ドラマツルギーなるものは、映画として成立するギリギリのところにまで削られているのだ。
「ゲームにそんなもん誰が求めるんだ」というイルミネーションの豪快な割り切りの結果なのだろうが、これを批判した批評家たちの気持ちも分からんでもない。
ゲームの映画化としては完全な正解を出した作品だと言えるが、その先に何があるのかと言われると、何もないんじゃないかと思う。
本作の成功を機に任天堂IPを使ったアニメ作品が続々と生み出されることになるのだろうが、スーパーマリオという下地の整いまくったキャラ以外が同じことをやって成立するのだろうかという疑問がなくもない。
例えはちょっとズレているかもしれないが、3D映画の扉を開いたっきり後続作がなかった『アバター』(2008年)みたいなことになるんじゃないかと、個人的には思っている。
コメント
ファミコン禁止の連鎖を断ち切った貴方を私は支持するっ!
ツイッターだと今のディズニーや邦画にある説教臭さが全く無く、娯楽に振り切った傑作だ!と絶賛一色でしたね
確かこの映画は昔のマリオの実写映画の要素もあるようですね。
個人的にはアニメ版よりも実写版の方が面白そうに感じる。