(2014年 アメリカ)
オスマン帝国vsワラキア公国という時代劇と吸血鬼伝説を組み合わせた魅力的な企画なのですが、主人公のとる戦術が賢くないので歴史ものとしての説得力に欠けるし、オスマン帝国の大軍相手に吸血鬼が大暴れするというバカバカしくも盛り上がる方向性も志向されていないので爆発力にも欠けました。
あらすじ
15世紀。東欧の小国ワラキア公国はオスマン帝国からの干渉に苦しんでいた。ワラキア君主の血筋であるヴラド・ドラキュラ(ルーク・エヴァンス)は少年期にオスマン帝国に供出されてイェニチェリとして活動し、その頃の残虐な戦いぶりから「串刺し公」と呼ばれていた。その武勲が認められてイェニチェリの任を解かれ、現在はワラキア公国の君主となっているが、ある日オスマン帝国より1000人の子供の供出命令を受ける。
これを拒否することに決めたヴラドは戦争の準備を開始するが、圧倒的な兵力を誇るオスマン帝国に対抗すべく、ワラキア領内の牙の山に潜む古来の吸血鬼(チャールズ・ダンス)に加勢を求める。
スタッフ・キャスト
CF監督ゲイリー・ショアの長編デビュー作
1981年ダブリン出身。国立映画学校で学び、卒業作品”The Draft”(2006年)が王立テレビ協会最優秀学生ドラマ賞を受賞。同年にはカンヌ国際広告祭でヤングディレクター賞にノミネートされ、以降は多くのグローバルブランドのCFを手掛けました。
2010年代に鳴り物入りで映画界に進出し、程なくユニバーサルと契約。長編デビュー作の本作こそ全世界で2億ドル以上を稼ぐヒットとなりましたが、第2作『ホリデイズ』(2016年)が興行的にも批評的にも行き詰まり、以降はクレジットを見かけなくなりました。
『モービウス』(2021年予定)のコンビ脚本家
本作の脚本を書いたのはコンビ脚本家のマット・サザマとバーク・シャープレス。
二人が書いた本作の脚本は2006年のブラックリスト入りを果たしました。その後、二人はSFファンタジー分野の有力なコンビ脚本家となり、ヴィン・ディーゼル主演の『ラスト・ウィッチ・ハンター』(2015年)、アレックス・プロヤス監督の『キング・オブ・エジプト』(2016年)、日本のスーパー戦隊の海外版『パワーレンジャー』(2017年)などの脚本を執筆しています。
Netflixの連続ドラマ『ロスト・イン・スペース』(2018-2019年)では脚本のみならず製作も担当。
また現在製作中のマーベルコミック作品『モービウス』(2021年予定)の脚本も手掛けています。
主演は『ワイルド・スピード EURO MISSION』のルーク・エヴァンス
ドラキュラ役を演じるのは英国人俳優ルーク・エヴァンス。
1979年ウェールズ出身。2000年からロンドンの舞台俳優として活躍し、『タイタンの戦い』(2010年)でハリウッド進出。アポロン役を演じました。続いて『インモータルズ-神々の戦い-』(2011年)、『ホビット』三部作(2012-2014年)とファンタジー映画に連続して出演し、『ワイルド・スピード EURO MISSION』(2013年)の悪役オーウェン・ショウで強烈な印象を残しました。
ただし、キャラクターがシリーズ内で残留し、続編ではファミリーに合流するという『ドラゴンボール』形式をとる『ワイルド・スピード』シリーズとしては例外的に、オーウェン・ショウは蚊帳の外に置かれっぱなしという不遇を受けています。兄のデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)はすっかり打ち解けているというのに。
当初本作にはサム・ワーシントンがキャスティングされていたんですが、降板を受けてエヴァンスに決定しました。
登場人物
- ヴラド・ドラキュラ(ルーク・エヴァンス):ワラキア公国君主。少年期にはオスマン帝国の歩兵軍団イェニチェリに所属しており、串刺し公と呼ばれるほどの凶悪な戦いぶりで悪名を轟かせていた。ワラキア帰国後には串刺し公時代を悔い改めて平穏な国家運営をしていたが、子供1000人を差し出せというオスマン帝国からの命令に対して再び鬼に戻る。
- ミレナ(サラ・ガドン):ヴラドの妻。当初、オスマン帝国からの要求に迷っていたヴラドに対して、決して子供を差し出さないようにと主張した。
- メフメト2世(ドミニク・クーパー):オスマン帝国君主。ヴラドとは少年期からの付き合いだが、立場の変わった現在ではヴラドに対して一切の情けをかけず、要求を断ってきたワラキア公国に対して大軍を差し向ける。
- 古来の吸血鬼(チャールズ・ダンス):ワラキア領内の牙の山に潜む魔物。圧倒的なパワーをヴラドに見込まれて対オスマン帝国への加勢を要求されるが、逆にヴラドが魔物になれば良いと提案し、自分の血をヴラドに飲ませる。
作品解説
ドラキュラとは
1897年にアイルランド人作家ブラム・ストーカーが発表したホラー小説『吸血鬼ドラキュラ』のキャラクターです。
吸血鬼は文字通り人間の生き血を飲み、その肉体は不死身。血を吸われた者もまた、吸血鬼になるという設定が置かれています。
その他、日光に当たると死亡するので夜間にしか行動できない、十字架やニンニクが苦手、銀の杭を打たれると絶命するなどの設定もありますが、これらすべてがブラム・ストーカーの考えたものではなく、アイルランドの伝承などを組み合わせて創作したもののようです。
そしてドラキュラとは吸血鬼の中の一キャラクター。現在のルーマニアに位置するワラキア公国の君主であり、オスマン帝国に対する容赦のない戦い方から串刺し公と呼ばれた実在の人物ヴラド3世(1431-1476年)をモデルにしています。
『吸血鬼ドラキュラ』は1920年代から舞台などで上映されるようになり、『魔人ドラキュラ』(1931年)で映画化。以降は数限りない派生作品が登場し、興行界での大成功によって世界で最も有名なキャラクターの一つとなりました。
イェニチェリとは
そして、本作固有のキーワードとして重要なのがイェニチェリです。
主人公ヴラドはかつてイェニチェリに所属しており、その際の戦いぶりがきっかけで「串刺し公」と呼ばれているということ、メフメト2世がイェニチェリに入れるためワラキアに子供の供出を求めたことが戦争の原因になるということから、作品中で重要な用語となります。
イェニチェリとは14世紀から19世紀にかけて実在したオスマン帝国の歩兵軍団であり、スルタン(イスラム帝国の君主)直属の兵力として組織されていました。
当初はキリスト教徒の戦争捕虜からなる奴隷軍団でしたが、そのうちキリスト教徒の子弟から優秀な子供を徴収し、イスラム教に改宗させて兵士として育成するという、恐ろしく非人道的な手段で形成されるようになりました。
育成に時間をかけ、強力な規律で統制される少数精鋭のエリート部隊であり、旧来の騎馬軍団などにはなかなか馴染まなかった鉄砲や大砲といった当時最新鋭の武器も柔軟に使いこなせたことから、徐々にオスマン帝国軍の中核を担うようになっていきました。
その後、軍閥化するようになり軍規を乱す存在になったことから、1826年に廃止されました。
感想
歴史と伝説を融合させたユニークな作風
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(1897年刊)は、1885年を舞台にした出版当時の「現代劇」であり、ドラキュラ伯爵はすでに数百年生きている吸血鬼として登場しました。
他方、本作は15世紀を舞台とした「時代劇」であり、ヴラド・ドラキュラ(ルーク・エヴァンス)がいかにして吸血鬼ドラキュラになったのかというエピソード0が描かれます。
そしてヴラド・ドラキュラは実在する人物であることから、本作は15世紀の国際情勢を踏まえた歴史ものとしても組み立てられており、そこに吸血鬼を介在させるというユニークなアプローチが取られています。
ワラキア公国は小国でありながら、当時世界最強だったオスマン帝国と対峙せねばならないという地理的条件があり、大国の不条理な要求に屈するか否かで常に揺れていました。
子供1000人を供出せよという、いよいよ飲みようのない条件を突き付けられた時、君主のヴラドは矛を取ることを決意するのですが、そうは言っても正面切って戦ってどうにかなる敵でもないので、領内に潜んでいる古来の吸血鬼(チャールズ・ダンス)の力を借りることにします。
なかなか燃える設定ではありませんか。歴史と伝説が融合した面白いお話になっていると思います。
複雑怪奇な吸血鬼のルール
加勢を求めるヴラドに対し、「お前が吸血鬼になって戦えばいい」という条件を切り出す古来の吸血鬼。国土と国民にわが身を捧げる覚悟のヴラドはこの条件を受け入れるのですが、ここから提示される吸血鬼のルールがやたら込み入っていて戸惑いました。
- 吸血鬼の血を飲むことで、ヴラドには吸血鬼と同じ力が宿る
- 効力は3日間であり、その間は血の渇望に苦しむこととなる
- 血の渇望に耐えきると、3日後にヴラドは人間に戻る
- 渇望に負けて吸血すると、ヴラドには吸血鬼の性質が定着して元に戻れなくなる
- ヴラドが吸血すると、古来の吸血鬼は呪いから解放される
特に最後のが良く分かりませんでしたね。ヴラドと入れ替わりで古来の吸血鬼が出て行けますみたいなシステムが。
吸血鬼という超常的な存在に対してここまで細かくルールが決まっていることで何だか興が削がれたし、このルールをヴラドに対して丁寧に説明してやる古来の吸血鬼が、何だかとても親切な人にも見えてきました。
もっとザクっとしたルールでも良かったような気がします。
吸血鬼ヴラドの活躍のこれじゃない感
かくして悪魔の力身に付けた正義のヒーロー・ヴラドは、ワラキア城に攻め込んできたオスマン帝国の前哨部隊をたった一人で蹴散らします。
ただしその戦い方が敵を一人ずつ殴って回るという異常に非効率なもので、千人を倒すのに何時間かかるんだよという感じでした。一気にまとめて敵を葬るような技はなかったんですかね。
それでも夜明けまでには敵を全滅させたヴラド公なのですが、おびただしい数の敵の屍を見たワラキア国民達が、昨夜何が起こったのかをあまり疑わず、「我らが串刺し公ならこれくらいやるか」みたいなリアクションだったのが笑わせました。そんなわけないだろと。
そこからワラキアの民は敵が攻め込みづらい山頂の修道院へと移動を開始し、ヴラドもその一行にお供します。
オスマン帝国軍はまだ10万人残っているのに対して、こちらのタイムリミットは3日間。寸暇を惜しんで敵を倒していかないと時間切れになるのに、何を呑気に移動なんかしてるんだという感じでした。
だいたい、ヴラドはコウモリの大群に変化できるのだから、本陣のメフメト2世を直接狙いにいけばいいものを、そうした効率的な方法を選択せず敵に攻められれば戦うという姿勢なので、本気で勝つ気があるんだかないんだかという状態となっています。
ヴラドの戦い方には総じて説得力がなく、そのことが作品の面白さを相当毀損していました。
最後の最後でヴラドが腹心達に自分の血を飲ませてヴァンパイア軍団を作るという燃える展開もあって、仮にそのようなヤケクソ感溢れる方向性で全編突っ走ってくれれば、それはそれで盛り上がったと思うのですが、そうした路線も本当に最後だけ。
説得力もなければ爆発力もないという中途半端なアクション映画に終わっています。
血への渇望が描かれていない ※ネタバレあり
吸血鬼のルールを考えると、ヴラドが血への渇望に耐えきるかどうかが大きなポイントだったと言えます。
ではその点が追及されていたかと言うとそうでもなく、ヴラドの苦しみがさほど伝わってこないので、この図式から考えられる展開を落としていたように感じました。
この手のドラマでは、人間であろうと必死に耐える主人公の姿を映すことでドラマ性を高めることが常套手段なのですが。
最終的にヴラドは3日間を耐えきるものの、息子を救うために超能力が必要となってあえて血を飲むというドラマティックな展開が最後に待っています。
しかしこの劇中最大の盛り上がりポイントもあまり観客の感情に訴えかけることなくスルーされてしまうので、勿体ない限りでした。
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