(2017年 アメリカ)
6500万年間地中に埋まっていた宇宙船を掘り出した高校生5人組が修行の末にパワーレンジャーとなり、これまた6500万年ぶりに復活した敵と戦う。
3点/10点満点中
変身するまでの90分間という拷問
本作は124分という子供向け映画としてはまぁまぁ長めの上映時間がとられているのですが、パワーレンジャーに変身するまでに90分もかかるというドエライことになっています。冗長な傾向のあるDCですら、ヒーローが姿を現すまでに90分もかけませんよ。さすがに引っ張りすぎで見ていることが苦痛でしかありませんでした。
全然面白くないドラマ
まんま『ブレックファスト・クラブ』
またこの90分が面白ければいいのですが、全然面白くないのだから困ったものです。体裁としては1985年の青春映画の名作『ブレックファスト・クラブ』を思いっきり踏襲したものであり、本来接点のない異なるタイプの高校生達が関わり合いにならざるを得ない環境におかれ、次第に打ち解けていくという内容となっています。各人物の設定は以下の通り。
- レッドレンジャー:アメフトのスター選手から街の恥さらしに転落
- ブルーレンジャー:自閉症
- ブラックレンジャー:貧困
- イエローレンジャー:LGBT
- ピンクレンジャー:同級生にSNSで嫌がらせをしたら、逆にハブられるようになった
上記の通りマイノリティ問題も絡めており、まず青春映画として観客の心を捉え、ヒーロー映画であることを忘れかけたところで大規模な見せ場をぶちかましてやろうという壮大な企画意図を感じました。
ただし、監督はティーンSFの最底辺ともいえる『プロジェクト・アルマナック』を撮ったディーン・イズラライトなので、その企画意図をまるで具現化できていませんでしたが。
ドラマがうまく流れていない
後にレッドレンジャーとなるジェイソンの物語が作品の軸なのですが、この人物のドラマからしてコケています。彼はプロ入りを確実視されるほどのアメフトのスター選手だったものの、悪ふざけの末に起こした交通事故によって膝を負傷し、二度とプレーができなくなってしまいます。冒頭ではその過程が描かれるのですが、学校のシャワールームに牛を入れるという悪ふざけがまったくの意味不明だったし、その後もヘラヘラし続けているので、事の深刻さがまるで伝わってきませんでした。
ここは場面の並べ方もうまくありません。例えば、ジェイソンの父はジェイソンに対してえらく憤っている様子なので、ジェイソンの悪ふざけと、そのことで警察のご厄介になったことに対して憤っているのかなと思ってしばらく見ていたのですが、その後になってようやくジェイソンがアメフトのスター選手だったこと、事故でプレーできなくなったことが明かされ、ジェイソンの父は事故そのものよりも、目も前にあった輝かしい将来を自ら棒に振ったジェイソンの愚かさに憤っていたことが判明します。
この二度手間は何なんでしょうね。場面を因果関係の順番に並べて一発で心境を理解させてくれればもっとスッキリしたのに、人物をある程度理解した後になって「実はこの人物にはこんな背景がありました」みたいなことをダラダラとやられるので、実にまどろっこしい思いをさせられました。ちなみに、本作の編集を担当したのは『メメント』のドディ・ドーンです。技巧に走りがちな彼女のクセが出ちゃったのかなという気がしますね。
その他、前述のマイノリティ問題等については、本当に上っ面を撫でた程度で終わってしまい、自ら置いた設定を監督も脚本家も使いこなせていない状況となっています。
また出ました、ハリウッドの過剰なポリコレ
ポリティカル・コレクトネス、略してポリコネへの配慮が現在のアメリカ映画の特色となっていますが、本作でもこんな感じになっています。
- デイカー・モンゴメリー(レッドレンジャー役):白人
- RJ・サイラー(ブルーレンジャー役):アフリカ系
- ルディ・リン(ブラックレンジャー役):中国系
- ベッキー・G(イエローレンジャー役):メキシコ系
- ナオミ・スコット(ピンクレンジャー役):インド系
田舎町で各人種がこんなにきっちり揃ってんのかという違和感しかなかったのですが、監督はLAの感覚で撮ってるんでしょうか。
また、人種構成に配慮するような態度を示しつつも、本来は日本人を配置すべきポジションに中国人を配置して、「日本人と中国人と韓国人って同じようなものなんでしょ」といういい加減なことをする辺りも癇に障りました。結局、配慮の姿勢を示すだけで、本気で配慮する意思なんてないじゃんと。
世界観や敵の目的がピンとこない
すべての設定が大雑把
物語は恐竜時代から始まり、リタに追い込まれた初代レッドレンジャーが地球に隕石を落とすことで勝負を引き分けに持ち込み、大敗北を避けるという異常な大風呂敷の広げ方をします。劇中明言はされないのですが、あの隕石は恐竜を滅ぼしたものですよね。恐竜という種を丸ごと巻き添えにしてまでレッドレンジャーが守ろうとしていたものとは一体何だったのかという点に関心を惹かれたのですが、最後まで見ても、結局何を巡って争っていたのかがピンときませんでした。
リタの行動原理も不明。リタを勝たせると宇宙が滅びるらしいのですが、宇宙を滅ぼして彼女に一体どんな得があるんでしょうか。ヒーローものには「敵を勝たせるとどんな悪いことが起こるのか」という煽りが不可欠なのですが、世界征服とか宇宙が滅びるみたいな漠然とした言葉では、何の感情も掻き立てられません。
恐竜時代から蘇ったばかりのキャラが普通に英語を話す
本作の原作の『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』の、そのまた原作の『恐竜戦隊ジュウレンジャー』がそうだったので、この企画では恐竜時代をモチーフにせねばならないという事情は理解できるのですが、それにしても、恐竜時代から復活したリタやアルファ5が英語を話せるという設定はさすがにどうなのという感じでした。6500万年封印状態にあって人類には接触したことがないはずなのに、いきなり英語を話し始めますからね。初めて接触した人間をサーチして言語を学習するなどのひと手間を入れて欲しいものでした。
ここからは私の勝手な推測ですが、5~7本の続編構想のある企画だけに、次回作以降では「人類の起源にパワーレンジャーが関与していた=彼らが人類と同じ姿かたちをしており、英語を話せるのは当然でしょ」という話になるんだろうと思います。ただし、『トランスフォーマー』や『プロメテウス』を見ればわかる通り、実は人類の起源に関係していました系の話はたいてい面白くありません。この路線で成功したのは『2001年宇宙の旅』と『新世紀エヴァンゲリオン』くらいじゃないでしょうか。
これじゃない感がハンパない戦闘場面
ほとんどがビークル戦という違和感
90分も引っ張られた末にようやくパワーレンジャーに変身したものの、等身大での戦闘は雑魚との格闘の数分でちゃちゃっと終わってしまい、ただでさえ少ない戦闘の尺の大半はビークル戦となります。いやいや、スーツアクターによる等身大アクションこそがメインディッシュで、ビークル戦というデザートが付くバランスこそがスーパー戦隊が日米の子供達を熱狂させた要因だったのに、デザートだけで勝負しちゃダメでしょ。
あと、ビークル戦中心なのであればパワーレンジャーへの変身に固執する必要がなくなり(中盤では生身のブラックがビークルを暴走させてましたね)、つまらない中盤を我慢して見てきた行為がすべて無意味に感じられました。
さっさと巨大ロボに合体しろ!
このビークル達も、なかなか合体しないんですよね。単騎では弱そうなビークルがヒーヒー言いながら敵を食い止めるという攻防戦が延々と続くのですが、観客はこいつらが合体して巨大ロボになることを知っているのだから、ハラハラドキドキはしないのです。むしろ、さっさと合体してカタを付けろというイライラしかありませんでした。
ラストカットの意味
ラストカットでは、補修クラスに転校生が来たと紹介され、その転校生のものと思われる緑色のジャケットが映し出されますが、これは『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のドラゴンレンジャーに相当するキャラクターの登場を暗示したものです。なぜ恐竜戦隊なのにドラゴンなんだよというツッコミは入れないでくださいね。
スーパー戦隊におけるシーズン途中での追加戦士登場は今では当たり前のことですが、これをスタンダード化させたのは『恐竜戦隊ジュウレンジャー』でした。当初は一回こっきりの実験的な試みだったものの、ドラゴンレンジャーが異常人気となったので、その後のシリーズにおいても恒例となったのでした。
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