(2025年 アメリカ)
2020年代の混沌を容赦なく映し出した大傑作。テンポにムラがあったり、焦点を当てるべき一部のキャラクターが埋没したりといった不備は多少あるものの、膨大な構成要素をぶち込んで一本にまとめあげたことは素直に評価したい。

科学的根拠に欠けるマスク論争
劇場公開時にはあまり関心がなかったんだけど、Amazonプライムで無料配信されているのを何気なく見たら、あまりの凄さにぶったまげた映画。
世相の反映という点では数か月のタイムラグで公開された『ワン・バトル・アフター・アナザー』(2025年)と共通してるんだけど、問題の捉え方、考察の深さ・エグさでは、本作の方が勝ってるんじゃないか。
主人公はニューメキシコ州の片田舎エディントン市の保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)。ジョーが市長選への立候補を表明したことから起こるドタバタと書くといかにも簡単な話にも思えるが、まったくこれが一筋縄にはいかない。
時は2020年のコロナ禍真っ只中。
反マスク派のジョーは基本ノーマスクで過ごしてるんだけど、住民たちとの会話をするときのみ、思い出したようにポケットからマスクを取り出して口に装着する。
保安官という権力者であるジョーはこれでも社会生活を送れているのだが、町のスーパーではノーマスク老人が入店を拒否されている。
スーパーの店主曰く「マスク着用は義務なのでノーマスクお断り」ってことなんだけど、一人で来店し、おそらく黙って買い物をするであろうノーマスク老人が感染の媒介者となるリスクなど極めて低いわけで、何ならマスクを巡って言い争う行為そのものが感染リスク高めじゃないかと思うんだけど、店主は「なぜマスクが必要なのか」という根本を理解せず、ただ「それが決まりだ」という浅い理解だけで他人を拒絶しようとする。
そして、ガタイのいい店主が老人を追い出す様を見て拍手する店内の客たち。
まぁ異常である。
異常なんだけど、ほんの数年前まで日本でも繰り広げられた光景だと思うと眩暈がしてくる。人間とは、こうも簡単に他人に冷たくできるものかと。
これに対してジョーは「買い物くらいさせてやれ」「喘息持ちでマスクができない奴もいる」と反論をする。
ここだけ切り取るとジョーは心ある保安官にも見えるんだが、「そもそもコロナなんてあんのか?」的な発言を繰り返しており、ジョーはジョーでコロナ陰謀派であることが分かる。
喘息持ちのくだりにしても、本当にそうした実害を感じているわけではなく、SNSでよく囁かれていた反マスク派の主張の受け売りだったりするし。
SNS、これが本作の陰の主役である。
似たもの同士で共感しあううちに偏った意見が強化され、誤った情報を真実だと錯覚してしまうSNSのエコーチェンバー効果の危険性はかねてより指摘されてきたが、ステイホームで他人との接触を禁じられ、暇を持て余した全人類がスマホ画面ばかり見ていたコロナ禍において、その脅威は格別のものとなった。
自分の見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる。それを否定する者は悪意を持って他人を騙そうとしている奴だと思い込み、その排除のためには手荒な手段も許容されると自分勝手に線引きする。
コロナ禍で顕著となったこうした思考様式こそが、今なお続く世界の分断の正体であり、本作はエディントンという小さな町を世界の縮図に見立て、2020年代の狂った世相を容赦なく描き切る。
何が容赦ないって、本作に出てくる人間は、ジョーの部下の黒人警官ただ一人を除き、全員が何かしら狂っているのだ。
誰のためにやってんだかなBLM運動
コロナ禍と並行して描かれるのがBLM(ブラック・ライブズ・マター)運動である。
そもそもは2013年にSNSより起こった社会運動だったが、2020年5月に黒人青年ジョージ・フロイドが警察官による過剰な取り押さえで死亡した事件をきっかけに全国的なデモ・暴動へと発展した。
その運動は田舎町エディントンにも波及し、主に白人の若者たちが表通りで抗議活動をしている。
しかしエディントンの市長はヒスパニックだし、保安官事務所には黒人助手だっている。目に見える人種差別なんかない町で、彼らは一体何に抗議しているんだろう。
またそこまで有色人種に対する贖罪意識があるのなら、財産の一部を寄付するなり何なりすればいいわけだが、決してそうしたことはしない。
BLM運動に熱狂する白人たちは、自分が白人であることに漠然とした罪の意識を感じつつも、今ある特権を手放す気はサラサラない。
代わりに自分以外の誰か(政治家・資本家・公権力etc…)が悪いはずだと思い込み、それを打倒しようとする姿勢を見せることで(おそらく本気で打倒する気はない)、今の人生はそのまんま善の側に立てるはずという、超ご都合主義の世界に生きているのである。
SNS上で勝手に吠えてくれる分にはまぁそれでいいかもしれないが、公道を占拠し、大声で騒ぎ立て、傍にある店を破壊までされると「そろそろお開きにしてくれませんか」となってくる。
ここで町の治安を担当しているジョーの出番なのだが、「運動には許可を」「公道を塞ぐな」「店を壊すな」と当たり前のことしか言っていないジョーに対し、若者たちは「俺らの抗議を邪魔するとは、お前は差別主義者か!」と明後日の方向の反論をしてくる。
「これは弾圧か?弾圧すんのか?」
「いやいや、君らに『主張するな』と言ってるわけではないんだが・・・」
まったく噛み合っていない。
自分たちは正しいことを言っているのだから何をやったって許されると、暴論を暴論とも思っていない奴らは本当に恐ろしいものであるが、わが国にもこの手合いはいるので対岸の火事とも言っていられない怖さがある。
ひと悶着の末、「迂闊なことをしたらどこをどう切り取られてSNSで拡散されるか分からない」と言って保安官はすごすごと退散してしまう。無理を言えば道理が引っ込むとはこのことだ。
エディントンにおけるBLM運動の中心にいるのがサラという見た目は可愛らしい白人の女の子なんだが、こいつもたいがいイカれている。
自分が白人であることに何となくの贖罪意識を持っている彼女は、BLM運動に熱狂することで自分がワンランク上の存在になれると勘違いしている。
で、暴徒鎮圧のために出動してきた保安官らの中にいた黒人の助手に対しては「あなたはこちら側の人でしょ」などと言って説得を試みる。
有色人種本人が差別による生きづらさを表明していないにも関わらず、こいつは一体何を言ってるんだと呆れるばかりだが、サラ本人は真剣そのもの。
この素っ頓狂なやりとりを見るに、2020年代の世界は、いかに無駄なことに熱狂してきたことかと脱力させられる。
サラはファッションのごとく有色人種の男性との交際を希望しているのだが、そこに付け込んでくるのがヒスパニック系である市長の息子だ。
彼自身は特権階級にあり、何ならそこいらの白人よりも良い生活を送っているのでBLM運動なんてぶっちゃけどうでもいいのだが、サラみたいな女とヤレることをこれ幸いと感じて運動へと接近していく。
なんともゲスい話である。
右派も左派も同じくらい狂ってる
冒頭で『ワン・バトル・アフター・アナザー』のタイトルを出したが、あちらがアカデミー作品賞まで受賞したのに対し、こちらがめぼしい映画賞に引っかからなかったのは、左派の欺瞞までを喝破したからだろう。
ワンバトには、破壊活動に従事してきて少なからぬ死傷者を出してきたであろう主人公を、左派系の思想の持ち主であるという一点のみで免罪し、彼の前に立ちふさがる公権力を一方的に悪と断罪するというシンプルな構図があった。
個人的にはそうした単純化が嫌いなのでここのサイトでは低めの評価を下したんだけど、反トランプのハリウッドの住民たちには大ウケで、年間を代表する傑作の地位を確立した。
対して本作は「右派も左派もどちらも自分を正義と言っているが、どっちも自分勝手なだけ」という事実を容赦なく描きこんだので、ハリウッド界隈では忌避されたのかもしれない。
本作のクライマックスでは、武装したアンティファがエディントンに乗り込んでくる。
アンティファとは反ファシスト運動の略で、反ファシスト・反人種差別の政治運動を指す。
お察しの通りトランプ政権との折り合いは非常に悪く、トランプ大統領はその取り締まりを強化すると宣言しているのだが、一方学者界隈ではその評価は高い。
一部の組織は暴力的手段にも出ており、やってることはネオナチなどの極右組織と変わらんと思うのだが、思想の左右が違うだけで評価が一転するのは遠く離れた島国から観察すると実に滑稽だ。
またアメリカ国内ではその暴力を告発しようとする者は陰謀論者扱いを受ける実態もある。発祥の地ドイツでは、アンティファは公安の監視対象とされているにも関わらずである。
そんなアメリカの国内事情を踏まえてみると、武装したアンティファを登場させた本作が、いかに挑戦的なことをやっているかが分かるだろう。
本作が忌避されたのは、ハリウッド的に応援したい思想までをネタにしてしまったからなんだろうけど、遠く離れた島国から見る分には、実に痛快で面白いのである。
その他、性被害を訴えさえすれば、証言内容の精査も程ほどに権力者を引きずりおろす道具にできてしまう#metooやエプスタイン事件に絡めた風刺もあり、全方位に喧嘩売ってる感がたまらない。
結局、誰も人を救っていないよね
保安官のジョーも、BLM運動家のサラも、ここの記事では触れなかった電波系の陰謀論者達も、本作の登場人物たちはみんな自分を正義だと信じており、自分のやり方こそがエディントンをよくすると信じている。
やり方の妥当性はともかく、本当の悪人はいないのだが、問題は、その中の誰も足元を見ていないということだ。
冒頭、訳の分からんうわごとを囁きながらトボトボと歩いているホームレスが映し出される。
細かいことはよくわからんが、どうやら深い後悔や自責の念を抱えているらしいこのホームレスこそが、この町でもっとも手を差し伸べてやらねばならない人なんだが、公共機関も市民運動家も、誰もこのホームレスのことを見ていない。
この町では縁遠い人種差別問題や、実在するどうかも分からない陰謀論には終わりのない議論に突入するほどドップリなのに、目の前にいる気の毒な人を誰も気にかけない。
これは2020年代に生きる我々みんなの姿であり、批評の切れ味があまりに鋭すぎて観客まで傷つけてしまう恐ろしい映画なのである。

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