ノマドランド_良い映画だけど面白くはない【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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社会派
社会派

(2021年 アメリカ)
社会問題の切り取り方、安易に善悪を決め付けない構成、美しい撮影技術や高いレベルの演技など、社会派作品として一級品であることは認めるのですが、原作がノンフィクションであるがゆえにストーリーラインが弱く、のめり込むような面白さはありませんでした。

作品解説

日本のノマドワーカーとは違う

タイトルにある「ノマド」とは遊牧民を意味する単語であり、日本でも「ノマドワーク」や「ノマドワーカー」なる言葉が定着しています。

このノマドワークは和製英語であり、PC一つあればオフィスという場所に縛られず自由に仕事ができるデザイナーやエンジニアを指して使われることが多く、在宅ワークに近似した意味合いを持っています。

一方、ネイティブのノマドスタイルとは定住地を持たないライフスタイルを指しており、Mac持ってスタバで仕事をする意識高い系のノマドワーカーとは随分と趣が異なっています。

そして本作で描かれているのは、家を持たず車中生活を送り、季節労働を追いかけてアメリカ各地を転々とするという、ノマド本来の意味に近い人々の生きざまです。

若い人たちが自由を求めてそういったライフスタイルを送っている分には、昔のヒッピーのようなものなので好きにさせとけばいいと思うのですが、現代のアメリカ社会でその状況に置かれているのは高齢者である点が、現実の過酷さを示しています。

アメリカの深刻な住宅事情

その背景のひとつが、アメリカの深刻な住宅事情です。

元内親王の眞子さんと、夫の小室圭氏が連日ワイドショーを賑わせており、ニューヨークの物件は高い、小室氏の給料では賄えないなどと言われていますが、アメリカの家賃が高いという傾向は都市部に限ったものではありません。

よく不動産を借りる時に「家賃は収入の3割程度が目安」などと言われますが、アメリカでは全体の6分の1もの世帯が収入の半分以上を住居費に充てているという現実があります。

法定最低賃金ではワンベッドルームのアパートの賃料も賄うことができず、所得に対して住居費が余りに高すぎるのが現代のアメリカ社会なのです。

経済苦境のジェットストリームアタック

加えてアメリカ経済は長期的なインフレ傾向にあります。

インフレとはお金の価値が目減りしていくという現象であり、ここ数十年のアメリカ経済は、リーマンショックの影響を受けた2009年を除くと一貫してインフレ傾向にあります。

90年代後半よりインフレがほとんど進行していない日本社会にいると、預金は安全資産であると考えがちですが、アメリカでは寝かせているだけの預金は価値がどんどん下がっていくという現象が起こっているのです。

そして、働けなくなっていく我が身を現役時代の貯蓄で補おうとする高齢者ほど、インフレのデメリットを受けることとなります。

さらに追い打ちをかけるのが公的年金制度の不備であり、自助の精神の強いアメリカでは公的年金制度は敵視される傾向があって、その支給額は雀の涙ほど。本編中でも「月500ドル程度の受給では家賃も出ないわよ」なんて嘆きのセリフが出てきます。

日本でも何かと悪者にされがちな公的年金制度ですが、その時々の物価水準に合わせて支給額が決定されるのでインフレの影響を受けづらく、長期的なインフレ傾向にある社会においては、貯蓄や個人年金をせっせと積み立てていくよりも良い投資であると言えます。

しかしアメリカではその制度が機能していないのです。

住宅価格は高騰、インフレで貯蓄が目減りしていく上に、年金受給額も全然足りない。経済苦境のジェットストリームアタックを受けているのが、現在のアメリカの高齢者なのです。

感想

社会問題を悲劇として扱わない演出

と、ここまで長々と映画の前提部分の説明をしてきましたが、では本編はというと、フランシス・マクドーマンド扮する初老の主人公ファーンが各地を転々とする様が抒情性たっぷりに描かれます。

ファーンは大企業の城下町で現役時代を過ごし、教員や事務職などのいわゆるホワイトカラー的な職業に就いていたのですが、大企業の撤退と共に町は廃れ、彼女自身も経済的苦境に陥って車一台に私財を詰め込んだ現代のノマドとなりました。

この車というのが最近日本でも流行し始めた居住性の高いキャンピングカーの類ではなく、ハイエースのようなバンに無理矢理ベッドや棚を取り付けただけの代物なので、まさに車中泊という言葉が合っています。

当然のことながら水回りはなく、バケツに排泄するというすさまじい仕様。

ファーンはこの車で全米を回って季節労働にありつくわけですが、日本もアメリカも高齢者が生活費を稼ぐとなれば誰でもできる簡単な仕事でしか採用されなくなり、現役時代のキャリアはまるで意味を成しません。

Amazonの配送センターでの仕分け作業やジャガイモの収穫など、若い世代でも避けて通りたい肉体労働に初老のファーンが臨む姿は、日本で言えば交通誘導員や清掃員の方々の姿と重なります。

私も若い頃に黒い猫がモチーフの会社の配送センターでバイトしたことがありますが、一日中歩き回り、重い荷物を運ばなきゃいけない配送センターの仕事って、若くても過酷に感じました。あれを高齢者がやるって本当に大変だと思いますよ。

そんな「ザ・ノンフィクション」な内容ですが、本作が独特だなと感じたのが、厳しい肉体労働をせざるを得ない高齢者達を悲劇の主人公としては描いていないということです。

ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)のように、「高齢者がこれだけ大変な目に遭わされていますよ!可哀そうではないですか!」と声高に叫ぶ内容にする方が映画としては恐らく簡単だったはずなのですが、安易な感傷に陥っていない辺りが、本作の良心であると言えます。

ファーンは「働くのが好き」と言っており、行く先々で楽しみを見つけながらその日暮らしを送っています。それは彼女が各地で出会う人々も同様。

本作に登場する現代のノマド達は本物を起用しているらしく、彼らはハウスレス生活の大変さを口にしつつも、この生活様式が自分には合っているとも語っており、殊更に被害を訴えたりはしません。

例えば中盤に登場する末期がんに侵された老婆。

客観的には「重病を患っている老人が一人で車中生活って、この社会終わってるな」という感じなのですが、肝心のご本人はこの状況を至ってポジティブに受け入れており、「好きな場所を旅できるノマド生活を送れてまったく後悔がない。思い出の場所を再訪するのが私の最後の目標よ」なんて言っています。

彼女はギリギリ間に合ってから往生したので、本人としては家や病院のベッドに縛り付けられる最後よりも、よほど充実していたはず。こういう価値観の人もいるのです。

主人公ファーンもまた、旅先で出会ったデイヴ(デヴィッド・ストラザーン)や実の姉から住居の手配の申し出を受けるのですが、やはり定住スタイルが合っていないと感じたのか、自らの選択で厳しいノマド生活へと戻っていきます。

「やむなくこうなってしまった」と「好きでこうしている」が入り混じった現代のノマド達の本当のところを描いた辺りが、本作の優れた部分であると言えます。

そして本作を見て感じるところも、人によってまちまちではないでしょうか。

私などは旅行から帰ってきても「やっぱり家が一番」と言うタイプなので、現代のノマドの生活はただただ大変で、前述した社会の歪みが高齢者に寄せられている現実に胸が痛くなるのですが、何も持たない自由を謳歌する彼らへの憧れを持つ人もいるでしょう。

こうした多様な感想を引き出せる辺りが、本作の高評価の理由の一つなのだろうと思います。

なお、本編に登場するノマドは全員が白人なのですが、ここにもアメリカ社会の現実が反映されています。

もし有色人種が公共スペースに駐車して車中泊などしようものなら警察に連行されてコッテリと絞られるはずであり、白人だからこそ「ここには駐車しないでくださいね」という注意で済まされているのです。

ノマド生活を送れることもまた、一種の特権なのです。

意義深いが、面白くはない

そんなわけで社会派作品としては素晴らしい作品だったと言えます。

ただし面白かったかと言われると、そうでもありません。原作がノンフィクションであるため脚本はいくつかのプロットの集合体であり、はっきりとした目標に向かって動く強力なストーリーというものがないためです。

クロエ・ジャオ監督の特徴である、美しい自然を通して登場人物の心象風景を描くというアプローチも、人によっては眠気を誘う環境ビデオのような役割を果たしています。

迷路のような岩山であったり、嵐で荒れ狂う海岸線であったり、静かな水面であったりで主人公ファーンの心境を表すのですが、これらの描写がゆっくりしている上に、まぁまぁ長い。

私のようなさもしい人間は「一目見れば分かることに、どれだけ時間使うの」と感じてしまうわけです。

ちなみにクロエ・ジャオ監督はテレンス・マリックの影響を受けたと公言していますが、私はテレンス・マリックが苦手なんですよね。

本作についても、客観的に悪い出来ではない、むしろ優れた映画だと思いますが、個人的には合いませんでした。

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