魂のゆくえ_聖職者版タクシードライバー【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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社会派
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(2018年 アメリカ)
『タクシードライバー』(1976年)の脚本家ポール・シュレイダーによる陰鬱なドラマ。シュレイダーらしく含蓄に富んだ内容で見応えはあるのですが、今までシュレイダーが世に送り出してきた傑作群と比較すると落ちる出来かなと思います。

© 2018 – A24

あらすじ

エルンスト・トラー(イーサン・ホーク)は、ニューヨークの小さな教会の牧師を務めている。ある日、教会の敬虔な信者であるメアリー(アマンダ・サイフリッド)から、子供を妊娠したが夫から中絶を勧められているとの相談を受けたトラーは、夫マイケル(フィリップ・エッティンガー)を説得に向かう。

スタッフ・キャスト

監督・脚本は『タクシードライバー』のポール・シュレイダー

1946年ミシガン州出身で、脚本家業をメインとしています。『タクシードライバー』(1976年)、『レイジング・ブル』(1980年)、『白い刻印』(1997年)など人間心理の闇に斬り込むような陰鬱かつ洞察に富んだ作品を得意としています。

彼は厳格なカルヴァン派の家庭に育ち、神学の博士号も持っているだけに宗教が彼のバックグラウンドとしてあり、そのキャリアの集大成として本作を製作したとのことです。本作にてアカデミー賞脚本賞ノミネート。

なお、ダニー・グローバーと同じ生年月日です。

主演はイーサン・ホーク

本作の主人公トラー神父は、脚本執筆時点よりイーサン・ホークが想定されていました。

1970年テキサス出身。子役として活躍した後に学業で一時休止し、90年代に大人の俳優として復帰。純粋な娯楽作やメジャー作品に出演することは少ないのですが、『恋人までの距離(ディスタンス)』(1995年)、『ガタカ』(1997年)、『6才のボクが、大人になるまで。』(2014年)、『プリデスティネーション』(2014年)など、中規模ながら映画ファンから愛される作品に多く出演しており、しっかりとした作品選別眼を持っています。

作品解説

キリスト教福音派とは

イーサン・ホーク扮する主人公トラーは福音派教会の牧師です。

福音派とは、聖書に書いてあることをもっとも重視するキリスト教一派のことであり、彼らの歴史は16世紀の宗教改革にまで遡ります。宗教改革直前のキリスト教は教会主義(カトリック)に席捲されていたのですが、教会の権力が強まり過ぎて聖書本来の教えからの逸脱が目立ったことから、「聖書に書いてあることのみを守ろう」という原点回帰運動が起こり、それが福音派となりました。

当初は「プロテスタント=福音派」という図式が成り立っていたのですが、20世紀に入ると他の宗派との連携を目指すエキュメニカル派が現れて「まぁそこまで厳格にやらなくてもいいんじゃないですか」と言い出したものだから、純粋な福音派と折り合えず分派。第二次世界大戦後にプロテスタントは本来の福音派(≒宗教右派)とエキュメニカル派(≒リベラル派)に分割されました。

現在の全世界のキリスト教人口の13.1%が福音派であると言われています。

福音派と米共和党の結びつき

アメリカ人口の約1/4が福音派であり、国内最大の宗教勢力であるとされています。

そして福音派と政治の結びつきは強く、1976年の大統領選では当初劣勢だったジミー・カーターが福音派からの支持を受けたことで勝利。1980年の大統領選でのレーガン勝利にも貢献したことから、共和党内では福音派を味方に付けなければ大統領選に勝利できないという状況が発生しました。

アメリカの福音派全体がそうというわけではないのですが、宗教右派との重複が多いことから、彼らは国際的にはいろいろと厄介な勢力と見做されています。その発露の一つが2016年からのトランプ政権です。

実はトランプ本人は宗教的にはまったく敬虔ではないのですが、政治的なパワーを維持するためには宗教右派を大事にしないといけないことを知っており、彼らに配慮した政策を実行しています。それがイスラエル政策であり、人工中絶への反対であり、どちらも国際的な流れと逆行するにも関わらず、トランプはこれを強行しています。

ただし、これだけ政治と癒着すると福音派も政治の都合を気にせねばならなくなってきます。なぜなら、彼らが応援する保守政治家の力が弱まれば、リベラルが推す候補が勝ってしまうからです。

こうして共和党と福音派の同盟関係は維持されており、それは政治と宗教両方にゆがみをもたらしています。そして、本作はそのゆがみを宗教の側から見た作品となっています。

メガ・チャーチとは

平均週末の信徒数が2,000人以上のプロテスタント(ペンテコステ派)のキリスト教会である。メガ・チャーチは世界で最も成長しているキリスト教会の伝道スタイルであり世界的に発展を遂げており、特に宗教に無関心な若年層に多く支持されており伝道において重要な役割を担っている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81

アメリカではメガ・チャーチが拡大し、伝統的な教会が衰退するという現象が起こっています。大型ショッピングモールが個人商店の集客を奪っているようなものですかね。

本作でトラー牧師が守っている教会は250年の歴史を持っているにも関わらず閑散としており、伝統建築としての観光収入をアテにしているような状況です。メガ・チャーチに通う若い信徒達からは「みやげもの屋」と呼ばれています。

メガ・チャーチは若者を惹き付け、カリスマ的な指導者が信徒達に語り掛けることで多くの物事がダイナミックに動くので、選挙の際には集票マシーンの役割も果たします。宗教と政治の結びつきの原動力のひとつがメガ・チャーチなのです。

感想

聖職者版『タクシードライバー』

孤独と人生に対する絶望の中で、ある使命感に目覚めた男が社会的な実力者を殺そうとする話は、脚本家ポール・シュレイダーの代表作『タクシードライバー』(1976年)と共通しています。

加えて、主人公の日記形式で進んでいく構成は『タクシードライバー』の元となった実在する犯罪者アーサー・ブレマー著の『暗殺者の日記』(1972年)や、マーティン・スコセッシ監督にインスパイアを与えたともされるドストエフスキー著『地下室の手記』(1864年)を踏まえたものと思われることから、本作は『タクシードライバー』と兄弟のような関係にあります。

タクシードライバー_中二病と銃社会が結びついた先【8点/10点満点中】

ただし異なるのは、『タクシードライバー』の主人公トラヴィスが社会から黙殺された若者だったのに対して、本作の主人公トラーは250年の伝統を持つ福音派教会を任された牧師であり、社会的に一定の信頼と存在感を持っている聖職者であるということです。

社会に黙殺されたトラヴィスも辛いが、どれだけ心は腐っても立場上は立派な態度を貫かねばならない聖職者も、それはそれで辛いものがあります。本作は、疲れてしまった聖職者がいかにして自分の人生を幕引きさせるかという物語なのです。

心が死んでも自殺はできない聖職者

トラーの何が辛いって、戦争で息子を失い、家庭も崩壊して遠の昔に心は死んでおり、普通なら自殺するレベルの絶望の中に居るのに、教義で自殺を禁止されているので生き続けねばならないということです。

消化器系に持病を抱えているにも関わらず、トラーは酒を飲み続けます。しかし意識を失うほど酔うわけでもなく、飲んでいる最中に心の痛みから解放されているようにも見えません。

どうもトラーは酔って楽になるために飲んでいるのではなく、持病を悪化させるために飲んでいるように見えます。自殺することができない分、体に悪いことをして少しでも早く自分の人生を終わらせようとしているのではないかと。

ちょっと『リービング・ラスベガス』(1995年)を思い出しましたが、同作のニコラス・ケイジが好きな酒を浴びるほど飲んで死にたいという願望の実行だったのに対して、本作のイーサン・ホークは死ぬためのツールとしてのみ酒を使用している分、切実さでは上回っています。好きなわけでも、楽しいわけでもなく、ただ体を痛めつけるために飲む酒。どんだけ悲惨なんでしょうか。

エコテロリストへの道

ある日、トラーは教会の敬虔な信者であるメアリー(アマンダ・サイフリッド)から、子供を妊娠したが夫から中絶を勧められているとの相談を受けます。

キリスト教において中絶は禁止事項なので夫マイケル(フィリップ・エッティンガー)を説得に行くトラーですが、マイケルはいわゆるエコテロリストというやつで、「こんな世界で子供を産むのは無責任だ」と言い出します。

地球環境の危機的状況についてパラノイア的に喋りまくるマイケルに対し、宗教的な生命倫理を淡々と述べるトラーの議論は噛み合わないのですが、最後はイラク戦争で息子ジョセフを失ったトラーの経験からくる重みで何とか収束します。

その後、トラーの中では中絶されようとしているマイケルの子供と、戦場で失われた自分の息子ジョセフの話がどうやら結びついたようで、社会問題にもっと積極的に関わらなければ、戦争であれ環境問題であれ子供を殺すことになるんだという問題意識へと繋がっていきます。

実際のところ、トラーが本当に環境問題に目覚めたのかどうかには怪しいところがあるのですが、ダメなことにはダメと言わないとジョセフのような悲劇が起こるというプロセスへの問題意識はここで決定的になったのだろうと思います。

で、その問題意識をぶつけてみようと地元のメガ・チャーチのジェファーズ牧師と面談するのですが、全米でも有数の環境破壊事業者がこのメガ・チャーチの最大の支援者だということもあって、ジェファーズの歯切れがめちゃくちゃに悪い。「環境破壊で人類が滅ぶことも含めて神のご意思かもしれない」と破綻したことまで言い出す始末だし。

おいおい、財界や政界への配慮から我々が主張を放棄し、半ば思考停止に陥っているうちにイラク戦争が始まった時と同じじゃないか。また子供が死ぬぞ。トラーの抱く危機感は決定的なものとなります。

ラストが意味するもの ※ネタバレあり

環境を汚染する企業の経営者や、財界や政界と癒着して正しい行いをしなくなったメガ・チャーチの牧師をまとめて殺すことにしたトラーは爆弾ベストを着るのですが、その現場となる教会に意中のメアリーが現れます。

さすがにメアリーもろとも爆破するわけにもいかないのでトラーは爆弾ベストを脱ぎ、代わりに有刺鉄線を自分の体に巻き付けるという自傷行為を行います。イエスならばどう判断するのかを考えるために、茨の冠の代わりに有刺鉄線を使ったというわけです。

そうして考えた結果、爆破テロを諦めて世界の贖いのため自殺することにしたトラーはグラスにパイプ用洗剤を注ぎ、それを飲み干そうとします。丁度その瞬間にメアリーが部屋に現れ、トラーは手に持ったグラスを落としてメアリーと抱擁し、長いキスを交わすところで突如映画は終了します。

ブツっという感じのこの終わり方がとにかく独特で、私は動画配信で見ていたのですが、ネットワークが不調になったのかと思って一度巻き戻したほどでした。

このラストの意味ですが、私は洗剤を飲み干したトラーの断末魔の幻覚だったと思います。というのも、このちょっと前にメガ・チャーチのジェファーズ牧師が聖堂に現れないトラーを探しに部屋の扉を開けようとしたのですが、施錠されていて中に入れないという描写があったからです。メアリーがこの部屋に入ることも物理的に不可能だったはずなので、これは幻覚と考えるべきでしょう。

そして途切れるような終わり方をしたのは、そこでトラーの息の根が止まって幻覚が終わったということなんでしょうね。

この終わり方は、ポール・シュレイダーが脚本を書いた『最後の誘惑』(1985年)の物議を醸したクライマックスとも通底していることからも、幻覚説が優位かなと思います。

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