(2013年 イタリア・フランス)
イタリア・アカデミー賞7部門受賞作だけあって、構成が実に見事な作品だった。3人の主人公が織りなす群像劇には侘しさが充満しており、人間のどうしようもなさが描かれた良作だった。
感想
抜群の構成力で描かれる群像劇
アメリカ版リメイク『ヒューマン・キャピタル』(2019年)がNetflixで配信開始されたので、リメイク版と合わせてオリジナル版も鑑賞。
本作はイタリアとフランスの合作で、本国ではイタリア・アカデミー賞7部門を受賞するという高評価を受けたらしい。
冒頭の舞台は富裕層らしき人々が集まるパーティーだが、カメラが追いかけるのは招待客ではなく、彼らに食べ物を運ぶ中年のウェーター。
真面目に働いたウェーターは、節約志向なのか夜道を自転車で帰宅するが、追い越しざまに自動車の接触を受けて転倒し、動かなくなる。
衝撃的ながらも興味を引く幕開けで、つかみは上々である。
この後映画では章立てされた3人の主人公たちの物語が描かれるのだが、一見するとバラバラに見える3つのドラマが、この夜のパーティーと交通事故に向けて収斂されていく。
そうして合流したドラマの結末部分が最終章で描かれるのだが、その抜群の構成力には唸らされた。
結論部分にやや不満が残るなど完璧な出来とも言い難いのではあるが、その構成のすばらしさ、冗長になりすぎることもなく複線化された物語を過不足なく描いた取捨選択の的確さは認めるしかない。
素直に見てよかったと思える映画だった。
ダメ親父 ディーノの物語
まず描かれるのはダメ親父ディーノの物語。個人的にはこれが一番面白かった。
ディーノは小さな不動産屋を経営する冴えない中年オヤジだが、高校生になる娘セレーナの彼氏が街の名士ジョバンニの息子だったことから、娘経由でジョバンニにお近づきになろうとする。
得意のテニスを利用して見事ジョバンニの懐に入ったディーノは、ジョバンニが運営する投資ファンドに一枚嚙ませてくれとお願い。
一瞬、「お前にそんな金あんの?」という顔をするジョバンニだが、断るのも面倒なので「なくなってもいい金でやりなさいよ」と通り一辺倒の注意だけをして、これを引き受けることにする。
ただしディーノは基本バカで、投資というものを上級国民の錬金術か何かだと勘違いしている様子。ジョバンニのファンドに参加できるというだけで、すでに勝った気でいる。
自宅を担保に銀行から金を借りて軍資金を作り、全財産以上の金をファンドにベット。金が湧き出てくるイメージしかないディーノは、本業の不動産業で良い仕事のオファーがあっても断ってしまう。
救いがたいバカである。
しかし神様は見ているもので、ディーノが大枚をはたいたところから市場の値動きがおかしくなり、ファンドは大損失を出してしまう。ディーノの原資は3割以下に目減り。
これでは銀行への返済ができず自宅を差し押さえられると焦ったディーノは、「金を返してくれ」とジョバンニに泣きつくが、「投資は短期的な上げ下げではなく長期的に大きくしていくものだし、リスクは個人で負うべきものだから、負けたから返せって理屈はない」と当然のことを言われる。
青ざめるディーノ。
本作が面白いのは、搾取する富裕層と、搾取される庶民というありがちな構図に落とし込んでおらず、庶民側も愚かであり、悪意を持つ富裕層にそそのかされたのでも、不可抗力に巻き込まれたのでもなく、己の無知ゆえに窮地に陥る話にしたことである。
ディーノがどんどん追い込まれていく様は哀れでもあり、滑稽でもあった。
有閑マダム カルラの物語
次のエピソードの主人公はジョバンニの妻カルラ。
大富豪の妻ということで何不自由のない生活を送ってはいるが、家庭内での尊敬は受けられていない様子で、エステ通いや買い物などの空虚な消費活動で気を紛らわせている。
ある日、街の劇場が老朽化で取り壊されるということを知り、みんなの大事な文化遺産を守らなければと、突如使命感に燃え始めるカルラ。
ただし原資は旦那の金だし、劇場再興のために開いた有識者会議では、インテリたちにその計画性のなさをこてんぱんに批判される。レガシーを残したいと思っても、彼女自身が全くその器ではないのだ。
唯一、彼女にすり寄ってくるのはチビで不細工、いい年して独り身の大学教授だけで、ちょうど旦那から冷たくあしらわれたこととも重なり、この大学教授と一度だけ関係を持ってしまう。
ただしカルラとしてはこの教授に惚れたのでも何でもなく、誰かから認められたいと思っている時に、たまたま隣にいたのがこいつだったというだけなんだが、この教授は勝手に本気になってしまう。
哀れな有閑マダムと、もっと哀れな独り身の中年。
まったく愛情のこもっていない不倫劇だが、大人の心の侘しさを確実に捉えていた。
恋に生きる乙女 セレーナの物語 ※ネタバレあり
3人目の主人公はディーノの娘セレーナ。この話が一番説得力なかった。
表面上はジョバンニの息子マッシと付き合っているが、根っからのパリピ気質のマッシとは本質的に合わないらしく、別れを切り出す。
そんなセレーナだが、ある日、義母(つまりディーノの現配偶者)がカウンセラーを勤める心療内科でルカという青年と出会う。ルカは麻薬売買で補導された経験があり、同級生たちからは白い目で見られている。
セレーナは、そんなルカが気になってくるんだけど、心療内科に通うだけあって不安定なところもあり、見てくれもイマイチなルカに惹かれる理由がよく分からなかった。
せめて危ないイケメンを使うべきだったと思うんだけど。
そうしてなんだかんだあって、冒頭の交通事故はルカが起こしてしまうんだけど、彼が運転していたのがマッシの車だったことと、当夜のマッシはベロベロに酔っぱらっていて本人には記憶がなかったことから、警察の捜査はルカではなくマッシに向かう。
そんで事実を知るセレーナはどうしようかと悩むんだけど、結果、真実を黙っておくことにする。
って、さすがにそれではマッシが不憫すぎるだろ。
確かに元カレよりも今の彼氏の方が大事だし、金持ちのマッシには守ってくれる親がいるのに対して、補導歴のあるルカは次何かをやらかせば服役確定。…にしてもである。
仮に親があの手この手を使ってマッシを司法の手から守ったにせよ、マッシは交通事故を起こした犯人という汚名を背負ってこれからの人生を送ることになる。マッシ自身も人を殺した罪悪感を感じ始めるかもしれない。
無実の人間にここまで背負わせるのは酷である。
この後も映画は続き、思いがけぬ形で真実は露呈するんだけど、そうは言ってもいったんはマッシを犠牲にすることにしたセレーナの判断を是とはできなかった。
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