西部戦線異状なし(2022年)_兵士一人一人が選択した運命【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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戦争
戦争

(2022年 ドイツ)
往年の名作のリメイクだが、戦争での被害を訴えたオリジナルとは打って変わり、兵士達もまた状況の一部であり、ある面では加害者でもあることを描いた点が現代的だった。100年前の戦争を描きつつも、21世紀仕様にアップデートされた物語には一見の価値がある。

作品解説

ハズレなしの名作

本作の原作は、ドイツ人小説家エーリヒ・パウル・レマルク著『西部戦線異状なし』(1928年)。

同作は1930年に映画化、1979年にテレビ映画化されており、映画版は第3回アカデミー賞で作品賞と監督賞を受賞、そしてテレビ版は第37回ゴールデングローブ賞を受賞した。

まさにハズレなしの名作だが、ドイツ人作家によるドイツを舞台にした物語ながら、これまでアメリカ人の手でしか実写化されてこなかった。

そんな中で初めてドイツ人自身の手で映画化されたのが本作であり、前2回の映画化と同様に高い評価を獲得。

ナショナル・ボード・オブ・レビューではトップ5に選ばれ、また英国アカデミー賞では当年の最多14部門でのノミネートとなった(授賞式は2023/2/20の予定)。

感想

戦争を俯瞰した良作

原作は未読。

名作の誉れ高い1930年版は、意識して映画を見始めた中学時代にトライしてみたが、シュワルツェネッガーやスタローンの映画ばかり見ていた当時の私には敷居が高すぎたのか、あまり感じるところのないまま終わってしまった。

以来、『西部戦線異状なし』には何となくの苦手意識を抱き、1930年版を見返すこともなければ、本作がネットフリックスで配信開始されても見ようとはしなかった。

なんだが、英国アカデミー賞で最多14部門ノミネートとのニュースから「これは見とかなきゃ!」と思いなおして、ネットフリックスで鑑賞した次第。なんとも軸のない男である。

で、本作を見た感想だが、めちゃくちゃ良かった。

直感的に面白さを感じるような映画でこそないが、感傷的になりすぎずに戦争というものを俯瞰した作品となっており、戦争の被害を描いた1930年版とはまたテイストの違う仕上がりとなっている。

冒頭、ハインリヒという若い兵士が西部戦線で死亡する。

戦場で死亡した兵士の着ていたコートやブーツは死体から回収され、縫製工場に送られて再利用される。なんと無慈悲なサイクルだろうか。こんなプロセスが映し出された映画は初めてなので驚いた。

ハインリヒの着ていた軍服の次の所有者は、17歳のパウルという青年である。

パウルは友人たちとのノリの中で、さほどの考えもなく勢いでドイツ帝国陸軍に志願してしまう。入隊後もしばらくは高揚感に包まれ、仲間との遠足気分で西部戦線へ出ていくパウル。

戦場が地獄であることを知る我々は「なんと浅はかな」と思ってしまうのだが、戦場の真実がメディアに乗って一般人にも伝わるようになったのはベトナム戦争以降のことであり、それ以前には戦場で兵士が地獄を見ているという情報など表には出てこなくて、愛国心をくすぐるような情報ばかりが流されていた。

また戦場における大量殺戮が始まったのは第一次世界大戦からであり、それ以前の戦場には、戦いの美学や浪漫なるものがまだ残っていた。戦争のルールが一変するというまさにその境界線上にいたパウルたちが、その判断を誤ったのも無理はない。

なお1930年版では教師が青年たちの愛国心に対して重大な影響を与えたのだが、本作では青年自らが入隊を志願するという流れに変更されている。

後述するが、物語の終盤においてもパウルは重大な決断を自ら下す。国家から無理強いされたのではなく、兵士一人ひとりが選択したことの結果として地獄を経験するという点が、本作の現代的な解釈となっている。

この視点をより強固にすべく、BGMには時代劇に似つかわしくない電子音楽が使われている。現代の価値観で当時の戦争を振り返るということが、本作の趣旨のようだ。

戦争って本当に嫌なものだ

深い考えもなしに軍人になってしまったパウルだが、送り込まれた西部戦線で、即、己の判断の誤りを思い知らされる。

兵士たちは狭い塹壕で縮こまって生活している。雨が降ればそこら中水浸しで寒さに震え、いつ敵の砲火に襲われるかもしれないという恐怖に晒され続ける。

着任早々、敵の攻撃と味方の死に直面し、ここは血沸き肉躍る英雄譚の舞台ではないことを思い知らされるパウル。

もしも実態を知っていれば絶対に来なかったであろう地獄であるが、私が最も衝撃的受けたのは何気ない場面だったりもする。

中盤になるとパウル達は塹壕から解放されて駐屯地を守る任務に就く。これが塹壕とは打って変わって暇な仕事で、仲間とくっちゃべってるうちに一日が終わるようなのどかな日々を送っている。

パウルが特に仲が良いのはカチンスキーという兵士で、彼は先輩ではあるのだけど、二人は友人のような関係となっている。

ある日、パウルは字の読めないカチンスキーのために、彼の妻から届いた手紙を読んでやる。感動的なやり取りもあったりする良い場面なのだが、ふと上空に目をやると戦闘機がドッグファイトを繰り広げているではないか。

当然のことながら、負けたほうのパイロットは死亡するだろう。

そんな戦いが上空で繰り広げられているにも関わらず、パウルもカチンスキーも一顧だにせず身の上話に夢中。

パウルもカチンスキーも良い奴らだ。彼らは仲間から好かれ、観客からも好意的な目を向けられている。

そんな二人が戦場における他人の生死にはまったく無関心になるほど、戦争とは人の感覚を麻痺させるものであるということが、この何気ない場面では描かれている。

手紙を起点とした温かみのあるエピソードの背景にこんな冷たい描写を忍び込ませた監督の底意地の悪い演出とも相まって、私はかなりの衝撃を受けた。

戦争って本当に嫌なものだ。

兵士一人一人が選択した運命

そんな最前線のドラマと並行して、停戦交渉に臨むドイツ人官僚のドラマも描かれる。

戦況は悪化の一途を辿っており、ついに一日4万人が戦死するに至る。その事実を知った官僚は、もはやメンツもコケンもない、一分一秒でも早く戦争を終わらせなきゃ、ドイツの若者の無駄死にが止まらんと焦っている。

とはいえ、交渉相手のフランスは超強気でこちらの言い分を全く聞いてくれないし、他方でいまだプライドにこだわり続けるドイツ軍人たちは、交渉できる立場にもないのに「こんな停戦条件は飲めない」と無駄な意地を張ったりと、一筋縄ではいかない。

それでも何とか交渉をまとめ、72時間後の停戦合意にまでこぎつけた。

その頃パウルはと言うと、所属する部隊の将軍が頭のおかしい奴で、停戦が決まった状況下で、最後の突撃命令を受ける。

国と国との交渉は終わって、もはや何も変わらない状況で出される突撃命令。そんな無意味な戦闘でも人は死ぬわけで、こんな命令を出した将軍は心の底からクズ野郎だと思う。

この将軍は代々軍人の家系らしく、祖父や父は華々しい凱旋をしてきたのに、自分だけは負け戦で一族の名誉に泥を塗るということを口惜しく感じている。

そんなこと他の兵士に関係あるか、ひとりで勝手に突撃してろという感じなのだが、こいつは自分のプライドに若い兵士達を付き合わせるのである。まさにクズ中のクズ。

ただし、パウルら兵士もこの命令を無理強いされたわけではない。

この将軍は「最後に一矢報いないか、君たち」と兵士たちに語り掛けるのだが、それは上官としての命令というよりも、共感してくれた諸君は一緒に行こうという温度感である。

キューブリックの『突撃』みたいに敵前逃亡する者を銃殺する等の措置もとっておらず、「アホらし」と言ってその場を立ち去る兵士の姿もちゃんと描写されている。

すなわち、将軍の考えに同調した兵士だけがこの突撃に参加しているのだ。

その中にはパウルもいる。

冒頭の入隊場面もそうだったが、確かに若者をそそのかす悪い大人は存在している。ただし若者たちは無理強いをされたわけでもなく、選択の余地は残されている中で、最終的には自己判断で地獄に赴いているのである。

1930年版は兵士を一方的な被害者として描いており、あれはあれで戦争の悲惨さを描いた作品であったが、本作はそれよりもさらに踏み込み、戦争とは一人一人が判断を下した結果であるという事実を突きつける。

このアプローチには恐れ入った。

主人公もまた報復の連鎖の一部 ※ネタバレあり

では、なぜパウルがこの無意味な突撃に参加したのかというと、直前にフランス人のガキンチョによって親友のカチンスキーを殺されたからだ。

二人はいつもの調子でフランス人農家に鳥の卵を盗みに入ったのだが、停戦協定が締結されたことの影響か、今日だけは農家の態度が違っていた。

「殺してやるぞ」という目つきでこちらを睨んでくる農家の少年。

過酷な戦場を生き延びたカチンスキーはこの少年の放った銃弾に倒れ、無二の親友を失ったパウルは、フランス人への報復感情から最後の突撃に参加したというわけである。

あの目つきの悪いガキンチョには私も腹が立ったが、よくよく考えてみれば、この農家もパウルやカチンスキーには随分と迷惑をかけられてきた。

勝手に敷地に入られては鳥や卵を盗んでいかれる。ドイツ兵たちにとっては「ちょっと拝借」程度の感覚なのだろうが、農家にとってそれらは生活の糧である。

かといって、ドイツ軍の占領地なので被害を訴えたところで誰も聞いてくれるはずがなく、泣き寝入りするしかなかった。

「あのドイツ人め、ぶっ殺してやる」という感情になるのも無理はないだろう。

狭い範囲内ではあるが、彼らの中で報復の連鎖が起こっていたのである。

我々が感情移入してきたパウルもまた加害者側だったという点が、戦争の業というものをより強調している。

前述したとおりだが、主人公を一方的な被害者の立場に置かない本作のアプローチは画期的だと思う。

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