【メディア論】過剰報道への対抗策を考えてみる

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雑談
雑談

コロナ騒動検証シリーズ第4弾。前回記事でマスコミの不合理な動き方が気になってきたので、その内情のリサーチと、彼らが抱える問題点への対策を考えてみました。

テレビ局の内情

テレビは真実を映し出していない

最近、『テレビの裏側がとにかく分かる「メディアリテラシー」の教科書』(長谷川豊著 2014年)という本を読みました。

著者の長谷川豊氏は元フジテレビアナウンサーでありながら横領の疑惑をかけられて退社したという過去を持っている上に、不摂生が原因の人工透析患者は国民健康保険から外せと主張してブログが大炎上するなど(私は概ね賛成ですが)、いろいろと”いわく”を抱えている人物。「そんな奴の本なんて信用するなよ」と言われるかもしれません。

私の中でも「大言壮語的な部分もあるかも」「テレビ局に対する恨みというバイアスがかかっているかも」という予断はあったのですが、そうは言っても元テレビの中の人の暴露本ってなかなか貴重です。

なぜなら、テレビ局を辞めた人でも結局はテレビ界から仕事をもらっている場合が多く、その内情の暴露記事はあまり見かけません。下っ端クラスならいざ知らず局幹部層とも交流のあった元エース級人材となれば尚更です。

これですべてを判断するつもりは全くなく、いつもとは違った切り口の情報を期待して読んでみました。

で、読んでみた感想ですが、「すべてヤラセである!」という帯の過激な売り文句から連想されるほどの内容ではありませんでした。やはり中の人なので現場を擁護する話が多くて、

  • 民放は株式会社なのだから、そもそも公共の利益のために番組を作っていない
  • 現場の人間は視聴者を楽しませるために日々相当な努力をしている
  • 視聴者の目を釘付けにする事実が毎回毎回出てくるはずがなく、作っている部分・煽り過ぎな部分は当然ある

という感じの主張が全編を貫いています。そしてテレビに裏切られたと言っている視聴者側の見方にこそ問題があるというのが結論でした。そもそもテレビは娯楽のためのメディアであって、真実を映すことは優先されていないのだから。

テレビの中にいて情報番組などにも携わっていた人が「テレビに真実は映っていない」と言い切ってくれたことは良かったのですが、バラエティ番組でのヤラセと情報番組での誤報スレスレの報じ方を一緒くたにして考えていたりと、納得できない部分もありました。

バラエティ番組に真実が映っていないことと、情報番組が本当のことを言っていないのとは次元の違う問題じゃないのと。

新型インフルエンザの事例

そんな中で大きな収穫だったのが、2009年6月の新型インフルエンザ騒動でフジテレビが大袈裟な報道をしてしまったということの記録でした。その概略は以下の通り。

  • 2009年6月にメキシコで新型インフルエンザ発生
  • 当時、長谷川氏が出演していた『情報プレゼンター とくダネ!』では緊急性の高いニュースとして気合の入った準備をしていた
  • 裏番組『スッキリ』との激しい視聴率競争を繰り広げていた時期であり、視聴者の目を釘付けにするよう煽るだけ煽る内容にしていた
  • しかし放送開始1時間ほど前に「新型インフルエンザウィルスの毒性は高くないと判断されうる」とのWHO情報をキャッチ
  • 今さらの変更は難しいため、最新情報は無視して危機感を煽る内容のまま放送
  • その結果、日本社会は大騒動に発展した

この本が書かれたのが2014年で、まさか同様の社会不安がもう一度起こるとは思っていなかったのか長谷川氏は半ば笑い話のように記載していたのですが、2021年現在の視点で読むとまったく笑えませんでした。

  • 裏番組との視聴率争いはなんだかんだ言って大事
  • 情報の正確性よりも視聴者の反応の方が気になる
  • 番組の方針にそぐわない新情報は見なかったことにする

テレビ局側に内在する問題を列挙するとこんな感じでしょうか。メディアの問題点がここまで凝縮された例も珍しかったし、思いのほか、報道の現場は我々部外者が想像する通りだったこともよく分かりました。

前の記事でも書いた通り、営利企業である以上ある程度は「視聴者受け」という軸は仕方ないかなと思います。

ただ、人気取りに使っていい題材かどうかは考えてやれよと。日本人は衛生とか健康に大きく反応し、一たびスイッチが入れば不合理なことでも徹底的に行い、過剰な対策で犠牲を出してもやむなしくらいに突き抜けます。公衆衛生ネタは本当に危険なのです。

新型インフルエンザよりもさらに前、2004年のBSE騒動でも同様のことは起こっています。

WHOは人体へのリスクは低いという発表していたにも関わらず、日本の報道機関はこれを無視して大騒ぎをして、たった一頭の感染牛が確認されただけで米国産牛肉の輸入を全面禁止するなどの異常な措置を政府にとらせました。

結局、日本国内でBSE患者は一人も出なかったのですが、風評被害などで5件の自殺は出ました。これもまた過剰な安全意識と無責任報道の結果なのです。

こうした2004年や2009年の報道被害がまったく検証されなかったことから、現在のコロナ禍でも同じようなことが繰り返されているのではないでしょうか。

外圧ではテレビ局を変えられない

こうしたテレビ局のいい加減な報道姿勢に憤った人達の意見はネットやSNS上にも多く見られます。彼らの考えるテレビ局への対抗措置は一体何なのかというと、

  • 公正不偏な姿勢を定めた放送法第4条に違反しているのだから免許剥奪しろ
  • 国民の財産である電波を私的占有している状態であり、電波を競争入札制にしろ

この2点なのですが、恐らくテレビ局はこれらのことを屁とも思っていません。

校訓レベルの放送法第4条

私が通っていた高校では、正門のすぐ傍に「質実剛健」と書かれた石碑が置かれており、各教室にも荒々しい毛筆で「質実剛健」と書かれた紙が貼られていました。わが校の校訓だったんですね。

ただし入学前に「あなたは質実剛健という価値観に同意できるか」と確認されなかったし、入学後に校長や担任から質実剛健についての説明を受けた覚えがないし、質実剛健化を促すようなカリキュラムでもなかったし、全くもって質実剛健ではなかった私がペナルティを受けることもありませんでした。

要はこの校訓は「こうであればいいよね」という意識付けレベルのものであり、これをもって具体的にどうこうするようなものでもなかったというわけです。

前置きが長くなってしまいましたが、電波事業者に対して公正不偏な姿勢を求めた放送法第4条もこれと同じようなものです。

放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

放送法第四条第一項

ふむふむ、書いてあることは非常に素晴らしいのですが、その実現ため具体的にどういう体制の整備が求められるのか、違反した場合のペナルティは何なのかは一切規定されていません。

要は、無視したところで何の問題もない条文であり、これをもって放送事業者を縛ることなどできないのです。

テレビ局の新入社員はこの第4条を入社直後に教えられるらしく、一応は大事な価値観としては伝えられているようなのですが、彼らの平常業務において「第4条と照らして妥当か」などという判断プロセスはなく、ほとんど意に介されていないのが実情です。

私の高校の「質実剛健」と同じです。

電波利権に市場原理は働かない

今度は電波オークションの件。

地上波で利用されている電波は総務省が管理しているものであり、これは税金で運営されている国民の財産です。

しかしテレビ局が半ば利権のようにそこに居座っているし、同じく電波利用料を支出している携帯電話会社などと比較してもテレビ局の負担金は異常に少なく、そこに利権構造があるのではないかという指摘です。

具体的な金額を見ると、2015年実績でNTTドコモ201億円、KDDI131億円、ソフトバンク165億円に対して、日本テレビは約5億円、TBS・フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京は約4億円と両業界では桁が2つも違っており、不当に廉価な状態にあることは間違いありません。

また電波利用者の決め方に関しても、日本では審議会方式で決められているので透明性に欠けており、アメリカのようにオークション方式に切り替えるべきではとの声も上がっています。

そうすることで市場原理が働いて不当に安い電波使用料が適正額にまで上昇したり、新規参入者が入ってくることで既得権化した放送事業者に革新が起こることが期待されるというわけです。

確かに理屈の上ではそうかもしれないのですが、仮にオークション制にしたところで根本的な問題解決には至らないのではないかというのが私の見立てです。

なぜなら、地上波への新規参入障壁は電波利権だけではなく、設備投資があまりに高くつきすぎることにもあるからです。

株式会社フジ・メディア・ホールディングスの2020年3月期の有価証券報告書を見たところ、彼らの本業に当たる「メディア・コンテンツ事業」のセグメント利益139億円に対し、固定資産の増加額が170億円であり、利益以上の金を設備投資に充てていることが分かります。

しかもフジテレビはすでに設備を持っている会社であり、一から揃えなければならない新規参入業者はその比ではないほどの大規模な初期投資をしなければなりません。ちなみにフジテレビの「メディア・コンテンツ事業」のセグメント資産額は5,507億円です。

では、そこまでして新規参入するほど地上波放送が魅力的な事業かと言われればそうでもなく、ストリーミングなど他のメディアの成長著しいことからテレビはオールドメディアと呼ばれ、斜陽産業に位置付けられています。

将来的に消えてなくなることこそないにせよ、成長もなく徐々に小さくなっていく業界として見られているわけです。

で、大規模な設備投資を行ってまで斜陽産業に新規参入する事業者がいるかと言うと、そんな奇特な事業者は現れないでしょう。仮にやる気がある事業主がいたとしても、この時代に地上波放送に参入したいと言って大金を貸す金融機関は現れないし、投資家からの支持も得られない。ファイナンスができないのであれば新規参入など夢のまた夢です。

そんなわけで、仮にオークション制を設けたところで電波利権の参加者は既存メンバーで固定されたままで、革新などは起こらないと思います。

受け手側が変わるしかない

そう容易くはないメディアリテラシー

テレビに問題があることは分かった。でも外圧で彼らを矯正することはできない。じゃあどうすればいいのとなるわけです。

一般的な回答は「メディアリテラシーを鍛えよう」「テレビの言うことを鵜呑みにしないようにしよう」となるのですが、考えれば考えるほどこれは難しい作業です。

なぜなら、今こうしてメディア批判をしている私だって、情報番組との意見が一致している別件では「ほらほら、坂上さんもこう言ってるじゃん!」と言ってテレビの内容を有難く拝聴するからです。

反対に現在のコロナ報道を真に受けている人たちだって、別件では「テレビは嘘ばかり言っている」と言って批判しているかもしれません。

要はテレビと意見が合わない時に彼らを批判的に検証することは容易いのですが、テレビが自分の聞きたい話をしている時に「本当にこれが正しい報道なのか?」と疑いの姿勢を持つことは案外難しいのです。

そして上記の通り、テレビ番組は視聴者のことを物凄く考えて作られており、基本的には大衆が聞きたい話をしているのだから、尚の事その検証機会は限られてきます。

マスゴミという言葉が登場して久しく、その報道姿勢に問題があることはずっと指摘され続けているのですが、それでも彼らがオオカミ少年にならないのは視聴者側にそうした問題があるからです。

ちょっと前のことを思い出す努力を

ではどうすればいいのかと考えると、ほとぼりが冷めた後でちゃんと検証するということです。

報道の大半は途中経過であり、すべてが終わった後に振り替えると事実は全然違っていたということは往々にしてあります。しかし私たちは事件が終わる頃には関心を失っており、何が正しかったのかの答え合わせをせずに次のトピックへと移ってしまいます。

上述した2004年のBSE騒動や2009年の新型インフルエンザ騒動が社会的に検証され、過剰報道をしたメディアが反省を迫られていれば、今回の新型コロナ騒動での報道姿勢はもうちょっとマシなものになっていたかもしれません。

新型インフル大流行で異常事態 「救急」患者急増、電話問い合わせ殺到(2009年8月24日 J-CASTニュース)

新型インフルエンザの「危険性」 「持病」なくても重症例増える(2009年9月17日 J-CASTニュース)

例えば↑の記事を読んでみていただきたいのですが、タイトルと言い本文と言いつい最近のコロナ関連記事かと錯覚するような内容なのですが、これは新型インフルエンザの2009年当時の記事です。

で、2021年現在、新型インフルエンザを本気で怖がってる人ってどれだけいますか?罹っていいことはないので通常の風邪程度の予防はするかもしれないが、流行期に社会活動を制限するレベルで考えている人はいませんよね。

結果から振り返った時に大した問題ではなかった新型インフルでも当時はこれだけ騒いだという実績が頭の片隅にでもあれば、現在の新型コロナ騒動ももう少し冷静に眺められるのではないでしょうか。

テレビがセンセーショナルな伝え方をしても、「本当に?12年前にも同じようなことで騒いでたじゃん」という違和感を多くの人が持つようになればいいなと。

しかし困ったことに、われわれ日本人には「関心を失ったり忘れたりした後にはどうでもよくなる」という病的なまでの傾向があって、過去に自分達が何で大騒ぎしたのかすら忘れてしまいます。

そしてメディア側も、結果から振り返ると間違ったことを言っていた案件をほじくり返そうとはせず、あの時の騒動をしれっとなかったことにしようとします。ちょっと検索していただければ分かりますが、BSE騒動や新型インフルエンザ騒動の当時の記事はことごとく削除されています。

当時の新聞各社の論調などを確認したくて私は社説を探したのですが、結果的に正しいことを言っていた読売新聞の社説しかネット上に残っていないことにはかなり驚きました。

掲載期間が終わったので他意なく削除ということもあるのでしょうが、結果から振り返るとデマを流すに等しかった案件なので残しておきたくないという行動原理も疑えます。

こうして情報の発信者側も受け取り側もヒステリックに大騒ぎしたことの答え合わせを行わず、数年後に別の社会不安が起こると全く同じ轍を踏むというわけです。

まずこれをやめませんか?

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