サタデー・ナイト・フィーバー_暗い青春映画だった【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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青春もの

(1977年 アメリカ)
ディスコキングの若いトラボルタが踊り狂う映画だとばかり思っていて今まで見たことがなかったのですが、実は貧困あり、不倫あり、ストリップありのド底辺映画で驚きました。後半はディスコなんてどうでもよくなっていくし。こういう内容ならもっと早く見ておけばよかったと後悔しました。

作品解説

1977年の大ヒット作

本作は1977年12月16日に全米公開され、9,421万ドルの興行成績を上げました。これは2019年の貨幣価値に換算すると3億7146万ドルという特大ヒットであり、スターを使っていない比較的低予算の作品だったにも関わらず(製作費350万ドル)、大作並の収益を得ました

加えてビージーズによるサントラが世界中で売れに売れてなんと4000万枚もの特大ヒットを記録。これは映画のサントラとしては当時の歴代No.1であり、『ボディガード』(1992年)に敗れるまで15年間も首位の座を維持し続けました。

感想

トラボルタが歩いているだけでかっこいいOP

まず摩天楼が立ち並ぶマンハッタンが映し出され、そこからカメラは橋のこっち側にある下町へと移動します。そこはブルックリン、本作の舞台となる街です。

ほぼ完ぺきなタイミングでビージーズの”Stain Alive”が流れ始め、ブルックリンを我が物顔で歩くジョン・トラボルタの姿がタイトルバックとなります。

トラボルタは決してイケメンと言える顔立ちではないのですが(アメリカ人基準では違うのでしょうか?)、背が高く手足の長い体形は衣装映えするし、撮影当時23歳だったにも関わらず大物のようなオーラを漂わせています。実にかっこいいわけです。

歩いているだけで映像を成り立たせてしまうのは、この頃のトラボルタと宇宙刑事シャリバンくらいではないでしょうか。

ちなみに本作のトラボルタは、「ブルース・リーの映画はつまらない」と不埒なことを言ってくる友人を睨みつけるという信頼できる男なので、みなさん大好きになれると思います。

アメリカン・ニューシネマにも程がある主人公像

ただし、この素晴らしいOPが終わると「あれ?この映画おかしい」という違和感に早速襲われます。

ブルックリンを我が物顔で歩いてきたトラボルタ(役名トニー)が到着したのは街のペンキ屋で、トニーは店の作業着を羽織るとおばあさんにペンキを売り始めます。

さらに『トータル・リコール』(1990年)でシュワルツェネッガーを裏切ったおっさん(ロバート・コスタンゾ)も客として来店しており、OPとは対照的な、妙に庶民的でこじんまりとした空間がそこにはあります。

自宅に戻ると無職の父親が不機嫌そうにしており、神父になった立派な兄さんと違ってお前はバカだの恥さらしだのと言われて食卓の空気は滅茶苦茶に悪いです。

主人公は家庭に問題を抱えており、一応は職に就いているもののそこにやりがいを見いだせず、得意のダンスを披露できるディスコにいる時にだけ自尊心を取り戻せるという設定となっているようです。

しかし貧困層なので金のかかるディスコに毎晩も通っていられない。だからタイトルがサタデー・ナイト・フィーバーなんですね。土曜日の夜だけフィーバーして、残りの6日はクソだぜみたいな。

ある夜、ディスコで滅茶苦茶にダンスがうまくて、しかも美人のお姉さんステファニーに出会ったトニー(ステファニー役のカレン・リン・ゴーニイが本当に美人であるかどうかには異論が出てきそうですが、設定に準じてここでは美人扱いとしておきます)。迫っているダンス大会に向けてペアを組まないかとステファニーに打診します。

ステファニー(カレン・リン・ゴーニイ)。これ以上何も申しますまい。

しかしこのステファニーがいけ好かない人物で、マンハッタンで仕事をしていること、夜学ではあるが大学に通っていることをやたら鼻にかけており、地元ブルックリンで何の目標もなく生きている高卒のトニーに向かって「あなた意識低いわね」なんてことを平気で言ってきて、「どうせあなたには分からないでしょうけど」と言いながら止まらない自慢話をしてきます。

なんじゃこのヒロインと、こちらでもビックリさせられました。

恐らくは意図的に通常の娯楽作のツボを外した組み立て方がなされているのですが、そのアメリカン・ニューシネマぶりには驚かされました。

何せ製作されたのは1977年。橋の向こう側でトラビスがポン引きを撃ち殺していたのがつい1年前のことなので、こちらもアメリカン・ニューシネマ全開というわけです。これは意外な驚きでした。

背伸びしていたヒロイン

で、トニーに向かってあれこれ偉そうに言ってくるステファニーですが、彼女は彼女でいろいろご苦労があったことが分かります。

中盤にてステファニーは「ブルックリンみたいな意識の低い場所にはもう居られないわ」と言ってマンハッタンのアパートに引っ越します。彼女にゾッコンLOVEのトニーはペンキ屋の社長と喧嘩してまでその手伝いに来るのですが、引っ越し先のアパートには妙に馴れ馴れしいおっさんがいました。

その瞬間にすべてを察したトニー。

ステファニーはこのおっさんに遊ばれていたんだろう、今まで自慢してきた仕事の話もこのおっさんに取り入ることで得てきた特典なんだろうと。

日本で言えば、私は丸の内OLよなんて言って地元の同級生に自慢していたが、大した仕事を任されていない丸の内の最底辺だったことがバレてしまった感じでしょうか。

しかしステファニーはいまだに幻想を信じていたいのか、トニーに対して見栄を張り続けたいのか、おっさんを見られたことのバツの悪さをごまかしたいのか、「私たちはフェアーな付き合いだったのよ。そりゃまぁ最初は仕事教えてもらったけど…」などと強がりを言い続けます。

ただトニーという傍観者ができたことでいよいよ自分自身をごまかしきれなくなったのか、次の瞬間には堰を切ったように泣き始めるステファニー。

それは、若い女性が普通なら相手しないであろう薄らハゲで脂ぎったおっさんと仕事上のチャンスをチラつかされることで付き合ってしまったことだけではなく、自分だけでは何もできていなかったこと、権力者を頼りにすることで一人前ぶっていたことへの不甲斐なさみたいなものもあるのでしょう。

これは見ていて辛かったですね。やはり本作はアメリカン・ニューシネマなのです。

井の中の蛙だったことを知る

こうして人生の曲がり角に立ったトニーとステファニーは、もっとも自分を表現できるダンス大会での優勝に向けて特訓に励む!

…というわけでもなく、映画の関心はどんどんディスコから遠ざかっていきます。

練習らしい練習もしていないし、いざ当日になってもトニーは惰性で大会に出ているだけで、優勝への執念どころか、ダンスが好きという気持ちすらあるんだかないんだか分からない状態となっています。

いざダンスを始めても寄りの画ばかり。引きの画でトラボルタのダンスパフォーマンスを映し出した前半部分とは全く異なるアプローチをとっており、この大会が本当にどうでもいいということが前面に表れているわけです。

そしてトニー&ステファニー組の次に出てきたプエルトリコ人カップルのダンスパフォーマンスが圧巻であり、負けを確信するトニー。

しかし審査結果はトニー&ステファニー組の優勝であり、明らかに手心の加えられた採点だったことにトニーは失望します。ここブルックリンはイタリア系の街であり、No.1はイタリア系じゃなきゃいけないんだみたいなおかしな偏見があることに今さらながら気付いたわけです。

で、今までディスコキングだとおだてられてきたけど、実はもっと上がいたのに小さな街の小さなルールの中で文字通り踊らされていただけだと気付き、この街への関心もディスコへの情熱も失ってしまいます。

って、なんちゅー結末なんだよとビックリ仰天してしまいました。

本作の紹介文には必ず「全世界でディスコブームを到来させた!」の一文が書かれているのですが、むしろディスコなんかで遊んでないでちゃんと人生の事を考えろみたいな内容ですよね。当時の人たちは何を勘違いしてディスコブームを到来させちゃったんでしょうか。

ビジネス面では成功したものの、作り手側の意図からここまで乖離した状態で認識された映画というものも珍しいと思います。私は好きになりましたが。

あとよくわからなかったのが舞台となるディスコの作りで、ちょっとやんちゃな若い男女が集まる遊技場かと思いきや、カウンターの傍にはストリップやってるお姉さんがいるという謎の構造は何だったんでしょうか。

当時のディスコは若い女性からエロ親父までが集まる総合アミューズメント施設だったとか?

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