【メディア論】東京五輪中止を求める世論を検証してみる

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雑談
雑談

映画とは無関係なコロナ騒動検証シリーズ。テレビをつけるたびに「東京五輪をやめろ」というネガティブな報道が多くて気が滅入るのですが、感情的に反発しているだけでは精神衛生上良くないので、具体的に分析してみたいと思います。

なお、サムネ画像は五輪招致時に「おもてなし」でわいた2013年の様子です。あの時におもてなしの心を自画自賛した日本人はどこへ行ってしまったのでしょう。

スポーツを見ない私が五輪賛成の理由

2021年6月3日の参議院厚生労働委員会で、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長が東京五輪に対して激しい警告をしたことで、マスコミや世論なども大荒れしています。

尾身会長「パンデミックの中での五輪開催は普通でない」(2021年6月3日 NHK)

それ以前にも、読売新聞の調査の世論調査で59%が中止すべきと回答するなど、東京五輪に対しては非常に厳しい意見が多いようです。

東京五輪「中止」59%、「開催」39%…読売世論調査(2021年5月10日 読売新聞)

この点、私は「東京五輪は開催すべき」と考えています。

ただし、私がこう言うのは五輪を楽しみにしているからではありません。そもそも私はスポーツをほとんど見ない人間であり、視聴率何十%というサッカーW杯の試合すら見ないし、オリンピックも意識的に見たことがありません。おそらく東京五輪も同じような接し方になるでしょう。

そんな私がなぜ開催すべきと主張するのかと言うと、オリンピックのような大イベントすらできないとなると、この社会はいよいよコロナ禍から抜け出すきっかけを失ってしまうからです。

諸外国はともかく日本においては新型コロナウィルスの実害よりも、社会的な損失の方が大きいのではないかと以前の記事で書きました。

なので日本人は「新型コロナとはいかほどの病気なのか」ということに冷静に向き合い、一刻も早く日常生活に戻るべきだと思うのですが、オリンピックすらやらないとなれば次の秋冬もコロナ対策中心の生活となり、この病気に2年以上も振り回されることとなるでしょう。

今までは助成金などで蓋をしてきた民間部門の損失も、そこまでくるといよいよ抑えが効かなくなるかもしれません。

加えて、コロナでの被害が少なかった上に、東京五輪もあるからこそ保たれてきた日本経済への期待値も、大幅に下がるかもしれません。

世界中の投資家が「厳格すぎる日本の国民世論」を脅威として捉えるようになれば、国際マネーが日本経済を忌避するようになるというリスクもあります。そうなれば大不況です。

だからこそコロナ禍からの出口戦略を考えるべきであり、東京五輪こそが最も良いタイミングなのに、それを逃すと本当にこの国は厳しくなると思います。

五輪反対派の主張

では五輪反対世論がどういう理由を挙げているのかを具体的に見て、それに対する反論を述べていきましょう。

競技場で感染爆発が起こる

五輪というお祭り騒ぎでは人流が発生し、その結果、感染爆発が起こるのではという意見です。

確かに何の対策も取らずに連日満員にすればそうなるかもしれませんが(感染爆発が起こったところで何が問題なのかという別の議論は置いておくとして)、コロナ禍が発生して1年以上経過しており、イベントと感染の関係性はある程度見えてきています。

プロ野球やJリーグなどプロスポーツの試合は人数制限を行いながらも客入れを行っており、例えばプロ野球は10,000人の観客を入れて日々試合を行っているのですが、今のところ重大な感染爆発は起こっていません。

五輪もこの実証データに基づいて開催すれば良いのであって、「やるかやらないか」という二元論で中止と判断するのはあまりに乱暴です。

それでも日本社会が五輪をやれないと判断するのであれば、国内で行われるすべてのスポーツイベントを即刻中止しなければ整合性が取れなくなります。

去年の同じ時期には「甲子園大会をやれなくなって高校球児達が可哀そう」「なんとか形を工夫して開催してあげて」と言っていた世論が、なぜ五輪に対しては「どうすればできるのか」という方向に向かわないのかが不思議で仕方ありません。

「できない」でなく「できるかたち」で実施する発想を。球児の夢を壊さないための「夏の甲子園」私案(2020年5月17日 Yahoo!ニュース)

外国から変異株が持ち込まれる

「でも、プロ野球や高校野球には日本人の客しか来ないけど、五輪は世界中から人が集まるじゃないか」という意見もあるかもしれませんが、これに関してはIOCが二つの重大な決定を下しています。

まず第一に、「海外からの観客の来日は禁止」ということに合意しました。国際的なスポーツイベントにおいてはかなり異例のことなのですが、IOCはそれほどまでに日本国政府の立場や日本の国内世論に配慮してくれているのです。

東京五輪2020、インバウンド観戦客の受け入れ断念、チケット払い戻しへ(2021年3月21日 トラベルボイス)

第二に、海外から来日するゲストへの行動規範の徹底です。来日する選手や関係者の行動規範を定めた『プレーブック』では、「絶対に日本社会に迷惑をかけるな」と言っているに等しいほどの厳格な規定が盛り込まれています。

しかも、これに違反した場合には資格はく奪等の懲罰措置の可能性もあるという厳しい強制力も込みでです。

  • 海外から訪れる全ての大会関係者は、出発前の96時間以内に日本政府が指定する方法で2度の検査を実施し、指定の書式による陰性結果証明書を取得する。日本到着時は空港で検査を受ける。
  • 入国翌日から3日間は自室で隔離する。ただし、選手は陰性の証明など一定の条件を満たせば、入国後すぐに練習できる。
  • 日本滞在中は原則として毎日検査を実施する。2種類のスマートフォン向けアプリを活用し、検温結果や症状の有無などを毎日報告する。
  • 原則として行動は活動計画書に記した内容に限定し、観光地、店舗、レストラン、バー、ジムには行けない。移動手段は大会専用車両のみとし、原則として公共交通機関は利用不可。
  • 食事はウイルス対策が施されている施設やデリバリーに限る。

五輪選手はホスト国にとってはお客さんです。そのお客さんに対してこれほど厳しい条件を飲ませていることは日本国民も重く受け止めるべきだし、一定のルールを定めてもなお「外国人お断り」と言い続ける外国人恐怖症的な風潮は、それはそれで問題なので自重すべきです。

また国益という面を考えても、五輪ならずとも海外との人流はいつか復活させなければ国の活力が失われます。いつまでも外国人を怖がるということを続けてはいけないのです。

IOCや大企業の利権のために国民生活を犠牲にすべきではない

SNSなどでよく見かける意見がこれですね。大好きな映画ブログの管理人さんがこういうことを仰ってて、ちょっとショックを受けたりもしています。まぁ私のコロナ記事を見て同様のことを感じた読者の方もいるかもしれないので、お互い様なのでしょうが。

ただ、権力者や大企業を悪と捉えるという考え方自体がちょっと古いんですよね。ロシア革命の時代・社会ならいざ知らず、現代の日本では大企業と庶民はかなりの部分で利害を共有しているわけです。

彼らを善なる存在とまでは言いませんが、すべて悪意に基づいて意思決定しているわけでもないし、彼らが庶民から利益を奪っているなんていう構造も幻想でしかありません。

IOCは甘い汁を吸いたくてオリンピックをゴリ押ししているって?彼らはヨーロッパ貴族の集まりなのだから金には困っておらず、大会の一つや二つ飛ばしたところで貧乏などしませんよ。

大企業が利益のためにやってるんじゃないかって?その大企業とは具体的にどこなのでしょうか。具体的な社名やその収益構造も指摘できずに何となく「大企業が悪い」と言うのは、仮面ライダーBLACKの「またゴルゴムの仕業か~」に近いくらいの乱暴な意見だと思いますよ。

もうちょっと冷静に物事を眺めましょう。

マスコミはなぜ足を引っ張るのか

こうして書くとまたしても辿り着いたのが、マスコミの報道の仕方があまりにも悪いということです。「何度目のマスコミ批判だよ」と呆れられるかもしれませんが、コロナ禍で起こる問題の多くはマスコミの伝え方に起因しているので、こればっかりは仕方ありません。

例えば、海外からの観光客を入れないという決定を知っている人がどのくらいいますか?プレーブックに相当厳しい条件が書かれていることも皆さん知りませんよね?

この二つの情報が周知されているだけでも、日本国民の受け取り方は相当変わると思うのですが。

なぜこんな大事なことを報道しないのかというと、五輪反対世論を盛り上げたいからなんだろうと思います。では、なぜマスコミは反対世論を煽りたいのでしょうか。

反政府の材料に使いたい

最大の理由はこれでしょう。大嫌いな政府が一生懸命やろうとしている五輪を潰してやれという。

そしてマスコミの誘導に乗る側も似たような心境なのでしょう。「コロナに対して何もできていない政府が強硬にやりたがっている東京五輪になんか賛成してたまるか」という感情的な反発が大きいように感じます。

政府のコロナ対策をどう評価するかはこの際置いておくとしても、五輪に罪はないわけです。政府に対する不満を国際的なスポーツイベントにぶつけるということはおかしいし、そのために頑張っている選手たちが肩身の狭い思いをしていることには胸が痛みます。

この構図を別問題に置き換えると、「朝日新聞の報道姿勢はおかしいから、彼らが主催する夏の甲子園なんて中止させろ!高校球児たちも甲子園には出るな!」と言っているようなものです。

そんなの暴論ですよね?主催者側・運営側の問題と、大会自体の在り方は別問題として処理すべきです。

どうせ中止はされないと高を括っている

今のマスコミの姿勢を見ていると、社会に対して影響を及ぼしたいという願望と同時に、「どうせ俺らの言う通りにはならんだろ」と高を括っている姿勢も見受けられます。

よくよく考えてみれば、マスコミも五輪からの利益を受ける企業体の一つであり、東京五輪という注目度の高いイベントを取材することで視聴率や発行部数の伸びを期待できるわけです。

かと言って、自分たちはそういう利益を捨ててまで公共の利益のために五輪に反対するんだという固い決意も感じられません。

コロナの報道をして東京五輪への不安感をひとしきり煽った直後に、何事もなかったかのようにスポーツニュースを読み上げたりと、一体どういう神経をしてるんだかよく分からないことが多々あります。

こうしたおかしな様子を見るにつけても、マスコミは大局的なことを何も考えていないのではないかと思います。五輪反対の姿勢をとってはいるが、本当になくなるとも思っていないという。反抗期の子供が親に向かって「ばばぁ、ぶっ殺すぞ!」と言うが、本当に親が不在となる状況は想定していないみたいな。

何を言おうが東京五輪はやるんでしょという悪い意味での達観があって、どんなにネガティブに書こうが政府とIOCはやりきるはずだという悪い意味での安心感があって、それで好きなことを言えているのではないでしょうか。

——2021年6月9日追記——

社説で五輪中止を訴えた朝日新聞 組織委に出向中の社員もいるのに…(2021年6月8日 NEWSポストセブン)

彼らの言行不一致が如実に表れた報道が出てきましたね。やはり彼らは五輪反対と言いつつも五輪が本当になくなるとは思ってないし、本気で潰しにかかっているわけでもないし、やったらやったでメリットは得ようとしているわけです。

——追記終わり——

責任を伴わぬ反対論が混乱を招いている

言いっぱなしは良くない

こうして見てみると、マスコミにおける責任を伴わぬ反対論が事態を悪化させているように感じます。

例えば会社でよくある光景。組織の意思決定に対してネガティブな反応ばかりする不満分子みたいな社員がいて、ならばと「目先を変えてみる必要があるかもしれないので、あなたの意見を聞かせてください」と聞いてみると、彼らは途端に歯切れが悪くなります。

ああいう人たちって、本当に自分の意見が実行されるかもしれないと分かった瞬間に怯むわけです。すなわち意思決定の重みから解放されているからこそ悪口も自由に言えているのですが、翻って組織の意思決定を下す人たちは、あなた方が逃げようとしたその重い責任を背負って考えているわけです。

五輪批判、政府批判も結構なのですが、五輪の実行に責任を負っている人たちが日々どれほど悩み抜いているのかを考えながら批判をしなければ、その内容もふわふわと軽いものになるでしょう。

五輪を開催するなと言っている媒体は、いざ開催されてもうちでは五輪は一切取り上げないくらいの覚悟を背負っていますか?結構なことを言っている媒体がいくつもありますよ。

「サンモニ」コメンテーター全員が五輪反対 開催賛成の議論なし(2021年3月28日 デイリー)

「東京五輪・パラリンピックは中止すべき」信濃毎日新聞が社説で表明(2021年5月23日 ハフポスト日本版)

東京五輪・パラ 理解得られぬなら中止を(2021年5月25日 西日本新聞)

玉川徹氏、五輪開催に突き進む現状に戦争直前の「総力戦研究所思い出す」(2021年6月3日 デイリー)

五輪反対論も全体の安全を考えた上でのものならばまだ分かるのですが、西日本新聞の「理解が得られていない」みたいなのは全然ダメでしょう。言ったところで手伝う気もないのに「俺に相談もなしに勝手に進めてんじゃない」と文句ばかり言ってくる町内会のおじさんみたいな面倒くささしか感じられません。

五輪との決別までを思いつめたうえでの反対論ならば内容もしっかりとしたものになっているはずですが、「やったらやったで取材させてもらいますけど」程度の、風向きが変われば明日には別のことを言い出すかもしれないような軽い言説では混乱を招くだけです。

言論の自由はあっても、言いっぱなしは良くありません。言ったことの責任を取るつもりがあればこそ発言には熟慮が伴い、その内容に社会的な意義が発生するのだと思います。

「それでは報道機関が委縮してしまう」という反論もあるかもしれませんが、自分たちの発言の責任からも逃れているような弱い体質の報道機関はむしろ害悪だと考えます。中国からの恫喝に怯えて人権問題に触れようとしないことなどに、その弊害はよく表れているではありませんか。

言論の自由を自分たち以外の誰かに守ってもらわないと発言の出来ないもやしっ子のような報道機関では、道理が通じない本当に危険な脅威に立ち向かえないのです。

あとマスコミではないのですが、埼玉県坂戸市の石川清市長はこういうことをおっしゃっています。

五輪「もしやったら、日本は滅亡するのでは」…市長が危機感(2021年5月21日 読売新聞)

ここまで極端だと五輪反対派すら苦笑いするしかないでしょう。五輪を開催し、かつ、日本が滅亡しなかった場合に、市長にはぜひとももう一度会見を開いて私見を述べていただきたいものです。

ただし「私達がこうして警告したおかげで最悪の事態を回避できたんです」という大外しした占い師の言い訳みたいなことだけは聞きたくないなぁ。

——2021年6月20日追記——

松本人志、東京五輪の報道でダブルスタンダード批判は「めちゃくちゃ…怒っている人が不思議」(2021年6月20日 Yahoo!ニュース)

案の定、こういう逃げ腰の意見が出てきましたね。サンデーモーニングもモーニングショーも、こうした形で何事もなかったかのように五輪を取材するのでしょう。

五輪延期論をさんざん唱えておいて、「やるならやるで取材させてもらいます。それはダブスタじゃない」はなくないですか?

ダウンタウンは大好きだし、私たちの世代にとって松本人志は神のような存在だからこそ、こうしたご都合主義的な意見にはガッカリです。

彼は表現者側であるからこそ産みの苦しみも知っており、結果的に作っている側の足を引っ張ったことについて「五輪に反対していたこと、全力で謝罪します」くらいの筋の通し方はする方かと思っていたのですが、ダブスタでも何でもないと開き直るだなんて。

マスコミのこういうところが私は本当に嫌いです。

——追記終わり——

あなたの大事なものを差し出せますか?

今度は世論の側の問題。コロナ問題を扱う中で、私は整合性ということがこの社会に欠けていることが気になってきました。

「この状況を考えると五輪はできない」とおっしゃるのならば、プロ野球もJリーグも高校野球もプロレスも、すべてのスポーツイベントは一斉にやめるべきなのですが、そんな声は聞こえてきません。それっておかしくないですか?去年は高校野球をやれって騒いでましたよね?

日本社会では「それを規制するのであれば、あっちも規制しなきゃおかしい」という当然の思考が通らなくなった結果、感染症対策という絶対正義の名の下に、自分が価値を感じないもの、自分にとって縁遠いものを容赦なく叩くという悪事がまかり通るようになりました。

この一年余り、この社会は「不要不急」の一言で多くのことを制限するようになりましたが、それは制限されるものに携わる人たちの人生をも否定するような鋭い一言です。

最初は夜の街やパチンコで、その後は旅行業などに広がっていき、今は東京五輪。「五輪全面中止」と叫ぶことが正論で、開催しようとしている政府やIOCは悪という強張った空気には賛同しかねます。

もちろん言論の自由のある国なので五輪反対論は一国民の意見として有難く頂戴しますが、ならばあなたが携わっているもの、あなたにとって大事なものを誰かから「不要不急」と名指しされた時に、素直に差し出すことができますか?

私はそこまで割り切れないし、新型コロナはそこまでやるべき感染症であるとも思っていないので、スポーツファンでもないのに東京五輪を擁護する意見を述べています。

将来予測(2004年の前例を踏まえて)

最後に、東京五輪はどうなっていくのかの予測を書いておきます。秋口辺りにこの答え合わせができればいいなと。

東京五輪は開催するし、ちゃんと盛り上がります。

なぜなら、日本人には「関心がなくなったり忘れたりした後にはどうでもよくなる」という病的なまでの傾向があるからです。

例えば2004年、BSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)という家畜の感染症の脅威で社会不安がピークに達しました。脳神経を破壊された牛の映像は衝撃的で、外国から入ってくる牛肉に対して日本の消費者達は警戒心を強めたのでした。

2004年12月、米国でたった一頭の感染牛が発見されただけで日本国はアメリカ牛肉輸入の全面禁止を決定。

しかし僅か1年後の2005年12月には米国からの牛肉の輸入を再開しました。

その裏側で何があったのかというと、実は2004年の時点でWHOは人に対してのBSEのリスクは低いと発表していたのですが、日本のマスコミはこれをガン無視していました。総選挙を控えていた政治家達もBSEのリスクを過剰に扱うという方向で動き、2005年9月の総選挙後にしれっと軌道修正を図ったというわけです。

もし2004年12月の禁輸措置が正しければ1年後に輸入再開することはおかしいのですが、ほんの1年前の熱狂を忘れた日本社会はこれを大歓迎。吉野家前に行列ができたことはかなり報道されました。

「アメリカの牛がBSE」影響は?(2004年1月7日 朝日小学生新聞)

外圧に屈せず食の安全守れ(2004年1月12日 新聞「農民」)

なお、上記に掲げたソースが全部微妙なのは、web上に当時の社説や世論調査結果などがまったく残っていなかったためです。「管理レベルを国際基準にまで下げていい」と結果から振り返ると正しいことを言っていた読売新聞だけですよ、当時の社説を今でも公開しているのは。

マスコミは世論誘導をしたがる割に、都合の悪い記事は残しておかない習性があるようなので、なかなか隅に置けませんね。

で、東京五輪もこれとほぼ同じ顛末を辿ることになると思います。恐る恐るはじめた五輪も、日本人メダル1号が出た辺りから堰を切ったように盛り上がり始め、ほんの数か月前まで自分達が反対意見を言っていたことすら忘れるはずです。

日本人とはそういう国民性なのです。

ちなみに日本国内でのBSE騒動の結末はというと、国内での人の感染例は1件も出ませんでした。一方で風評などを原因とした自殺が5件。病原体での被害よりも社会的な要因での被害の方が多く出ましたが、今の日本社会も同じ過ちを繰り返してはいませんか?

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コメント

  1. まつ太郎 より:

    マスコミの姿勢は本当によくわかりませんね。
    言わんドラゴさんの仰るように何も考えずその時どきで反体制的な報道をしているように見える一方で、先日のJOC経理部長自殺のニュースなどは全局不自然なほど報道していないようです。本当にオリンピックを中止したいなら、このニュースはいくらでも話を膨らませられる恰好のネタだと思うのですが…
    政府がマスコミに圧力をかけられる立場であれば普段からここまで好き放題言わせないでしょうし、本気でオリンピックを止める気のないマスコミにとってこのニュースはあまりに刺激が強すぎたということでしょうか。
    淡々と事実のみを調べて報道するマスコミがあればいいのに、と思う次第です。。。

    • 「なんでこれが報道されないんだろう」みたいなことはたまにありますよね。
      マスコミの不可解な動き方が気になってきたので元記者の本などを読み始めたんですけど、やはりマスコミが権力に忖度することはあるようです。
      日本の公共機関は基本的には言論の自由を重く扱ってくれるんですけど、「この事件だけは絶対に触るな」みたいな時には態度が硬化し、今後取材させてもらえなくなると困るということでマスコミ側も引くんだとか。
      我々庶民の感覚だと「刺し違えてでも巨悪を暴いてやる!」みたいなのがジャーナリズムであり、そういう人たちが勢い余って誤報をやらかすのであれば許容してもいいかなとは思うんですけど、言いやすいことはいっぱい言う割に、本当にヤバイ案件では隠蔽側に加担するという体質では不信感の方が大きくなりますね。