【雑談】指導とパワハラの境界線は実に悩ましい

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今回は映画と関係のない話で、いろいろ頭で考えたことをどこかに備忘的に残しておきたいと思ったので、ブログの記事にしてみました。映画には一切かすりもしない内容なので、興味ない方は読み飛ばしてください。

ショック!パワハラ告発されました ※後日問題なしと認定

このブログのタイトルの通り私は公認会計士資格を持っているのですが、公認会計士の一般的な勤め先である監査法人は数年前に退社し、以降はベンチャー企業の役員を務めています。

一般企業の役員なので部下はいるし、その部下の育成にも責任を負う立場ではあるのですが、ちょっと前に部下の一人(以下、Aさん)からパワハラ告発を受けました。

誤解を生まぬようまず結論を申し上げると、弁護士を入れての結構大変な社内調査となったものの、当事者をどれだけヒアリングしても問題となる事項は検出されず、「ただの感情的な行き違い」と判断されました。要は、第三者から見て私はシロだったということです。

基本的に私は気の小さい人間なので人を怒鳴ったり激しい口調で責め立てたりすることはなく、どれだけ年下の相手であってもさん付けで呼び、たとえ新入社員相手であっても敬語で話します。

そんな感じなので社会人歴15年以上となる今の今まで職場トラブルを起こしたことも、巻き込まれたこともなかっただけに、尚のこと今回のパワハラ告発には動揺しました。

ではAさんが何をもって私の行為をパワハラと感じたのかと言うと、同じことを何度も執拗に言われるので精神的に参ってしまったということらしいです。

私は部下のスキルにもアウトプットにも責任を負っているので、その部下が失敗する都度指導します。指導したいという個人的な欲求があるわけではなく、そうせねばならない立場なのでやっているわけです。

そして、その部下が苦手とする事項であれば必然的に指導の回数も嵩んでくるのですが、指導を受ける側からすると、それは堪ったもんじゃないということだったのでしょう。

私も20代の頃は優秀な人間ではなかったので上司や先輩からしばしばご指導を受けていたし、内心では「面倒くさいな」「うるさいな」と感じていたので、指導を受ける側が上司をウザがる心理はよく理解できます。

理解はできるものの、指導をパワハラだと感じたことはありませんでした。

そうなると現代的な感覚と自分の肌感覚に差異が生じてきているのかもしれません。

これは非常に危ない兆候で、今回は問題無しと判断されたからよかったものの、自分の肌感覚だけでやり続けているとそのうち大失敗を犯すかもしれません。

そこでパワハラとは何ぞやということを理解し、今後の指導の在り方を考えていきたいと思います。

厚労省のパワハラ認定基準

ここでパワハラの定義を明確にしておきたいので、厚労省HPより引用します。

要素意味
1優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること○ 当該行為を受ける労働者が行為者に対して抵抗又は拒絶することができない蓋然性が高い関係に基づいて行われること
2業務の適正な範囲を超えて行われること○ 社会通念に照らし、当該行為が明らかに業務上の必要性がない、又はその態様が相当でないものであること
3身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること○ 当該行為を受けた者が身体的若しくは精神的に圧力を加えられ負担と感じること、又は当該行為により当該行為を受けた者の職場環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等、当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること
○ 「身体的若しくは精神的な苦痛を与える」又は「就業環境を害する」の判断に当たっては、「平均的な労働者の感じ方」を基準とする
https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000366276.pdf

こうして眺めてみて意外なのは「蓋然性が高い」「社会通念に照らし」「平均的な労働者の感じ方」等、客観的な判断基準が置かれているということです。

例えばセクハラなどは「本人が不快に感じたら」など主観的な基準が置かれていて、それが悩ましいところでもあるのですが、パワハラの場合はかなり建付けが違うようです。

ちなみにパワーハラスメントとは和製英語であり、英語圏では”Abuse of authority”と言います。これを直訳すると「権限の濫用」であり、やはり被害の事実よりも加害の事実の有無に着目したニュアンスを感じます。

雇用契約という双務契約が前提となっているだけに、一方の当事者の主張を無制限に認めるということでもないのでしょう。人を雇用する側として、この温度感には安心しました。

ただし「厚労省の基準に触れていないので、これからもガンガン指導するぜ!」という結論もちょっと違うように思います。職場とは人の集まりであり、その中で不快感を覚えた人がいたのだから基準に触れていなければOKではなく、今の方法を見つめ直し、より良いやり方を考えなければ私自身も成長しません。

日本的な組織観が時代に合わなくなっている

指導と言えば、私には3人の子供がいます。私は子供の生命や人生に対して責任を負っているので、彼らを育てることには真剣だし、真剣にやっているからこそ血相変えて叱らなければならないこともあります。

一方職場の人たちはというと、大事な仲間ではありますが真剣にぶつかり合うような関係でもありません。その人のためを思って何とかしてやんなきゃなんてことは、本来は考えなくてもいい間柄のはずです。

にも拘わらず、冒頭で「私は部下のスキルにもアウトプットにも責任を負っている」と書きました。ここに問題の根本があるのかもしれません。

なぜ私が部下のスキルアップに責任を感じているのかというと、日本には従業員個人の成長と会社の成長を繋げて考えるという組織観が根強く存在するためです。会社を成長させるためには従業員のスキルアップが必須であり、部下を鍛えることが管理職の重要な仕事とされています。

しかし多様な価値観を認めるべき現代においては、「昇給も昇格も要らないので、成長せず今のままでいたい」という従業員の姿勢も許容しなければならないのかもしれません。

実際、産業能率大学総合研究所の「2019年度新入社員の会社生活調査」によると、会社での地位に関心がないと答えた新入社員が42.7%にのぼっており、一昔前ならば落ちこぼれとして除外されてきたような層が、今では無視できない割合に達しているということになります。

ただし、そうは言っても会社とはどこまでいっても人間の集まりでしかないこともまた真理であり、会社の成長エンジンを担うのは人材以外にありえません。会社と個人の間にドライな仕切りを設けながらも、どうやって会社の成長を担保すればいいのでしょうか。

それに対しては、経営学の神様ピーター・ドラッカーがヒントを与えてくれています。

労働者のタイプによって管理法は異なる

ピーター・ドラッカーは著書『断絶の時代』(1969年)の中で、労働者を知識労働者と肉体労働者に区分しました。これは文字通り事務職と力仕事をする人という意味合いではなく、

  • 知識労働者とは、自らの知識によって付加価値を生み出す労働者
  • 肉体労働者とは、マニュアル化された業務にあたり画一的に働く単純作業労働者

と定義づけられています。よって、力仕事をする人であっても新たなやり方を考えるべき立場にあれば知識労働者だし、事務職であっても指示に従うだけであれば肉体労働者ということになります。

20世紀は科学的管理法によって肉体労働者の生産性を向上させることで経済全体の付加価値を増大させた時代であり、農耕民族である日本人は「同じ作業を正確かつ反復的に」ということに馴染みやすかったので経済的な勝者になりました。

これが21世紀に入ると知識労働者の生産性に競争要因が移り、個の力に立脚した当該分野を日本社会は不得意としたことが伸び悩みの原因となっています。

では、それぞれの労働者はどう管理しなければならないのか?ドラッカーによると両者の管理方法は明確に異なっています。

  • 知識労働の内容はマニュアル化できない代わりに付加価値率が高い。よって量ではなく質の追及をすべき
  • 肉体労働の内容はマニュアル化されており付加価値率は低い。よって短時間で大量の仕事を行うよう量の追及をすべき

こう考えると、会社がやるべきことはかなり明確になってきます。

スキルの高い知識労働者には仕事の質を上げるよう促し、量は求めない。スキルの低い労働者には決められたことを正確かつ迅速に行うことのみを要求し、成長は求めない。もし肉体労働者のミスが減らないのであれば仕組みにこそ問題があると考えて、組織ぐるみでやり方の改善を模索する。

これが最適な職場環境の整え方であり、知識労働者に肉体労働者的な管理方法を適用することも、その逆もトラブルの元だと言えます。

「『部下のスキルにもアウトプットにも責任を負っている』と考えたことにこそ問題の根本があったのではないか」という本件の問題提起にこれを当てはめると、私は管理者として

  • 相手が知識労働者である場合には、そのスキル向上にコミットし、
  • 相手が肉体労働者である場合には、そのアウトプットの改善にコミットすべき

だったところ、自己を肉体労働者として認識しているAさんに対して知識労働者のような目標設定をし、それが上手くいかなければ「当人の成長のためだ」と自分勝手に考えたことこそが、今回のトラブルの元凶だったと思われます。

パワハラとは言われない指導を

指導とパワハラの境界線が分からないという悩みは私だけのものではなく、同様の意見をかなり耳にします。友人の中には完全に委縮してしまって部下の育成を諦め、部下の失敗を訂正するために毎日毎日残業しているという者までいます。

それほど管理職による指導は困難な時代にあるのですが、部下のタイプによって目標の設定方法や指導方法は異なるというシンプルな原則を守ることで、職場トラブルは劇的に減らせるのではないでしょうか。

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