ウォッチメン(2009年)_ビジュアル完璧だがテーマが古臭い【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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DCコミック

(2009年 アメリカ)
珍しく原作を読んだことのあるアメコミ映画で、完璧なまでのビジュアルの再現度には驚きました。ただし連続活劇らしいテンポはないので面白くはないし、東西冷戦下だったからこそ成立したテーマも今となっては色褪せており、観客に対する訴求力も今一歩ではないかと感じました。

作品解説

原作はアメコミ史上の傑作

原作『ウォッチメン』は、イギリス出身のコミック作家アラン・ムーアにより1986年に発表されました。

ムーアは子供向けとされてきたアメリカンコミックに文学的な感覚を持ち込み、その地位向上に貢献した偉人であり、『V・フォー・ヴェンデッタ』(1982-1989年)や『バットマン:キリングジョーク』(1988年)などの傑作を世に放っているのですが、そんな作品群の中でも代表作と呼ばれているのが本作の原作『ウォッチメン』(1986年)です。

本国での『ウォッチメン』の評価には絶大なものがあって、SF界の最高権威であるヒューゴー賞を受賞した唯一のコミック作品であり、タイム誌の「1923年以降に発表された長編小説ベスト100」にも選出されており、コミックという枠を越えた評価を受け続けています。

大手スタジオを転々とした企画

フォックス

本作の映画化権を取得したのは元20世紀フォックス社長のローレンス・ゴードンであり、弟子筋のジョエル・シルバーと共にフォックスで実写化企画を製作しようとしていました。1986年のことでした。

1988年には『バットマン』(1989年)のサム・ハムが脚色に雇われ、長大な原作を2時間の尺にまで圧縮。そしてこの時点でのキャスティング候補は↓の通りであり、スターが集結する実に豪勢な映画になることが期待されていました。

  • ロールシャッハ:ロビン・ウィリアムズ
  • コメディアン:ロン・パールマン or ゲイリー・ビジー
  • Dr.マンハッタン:アーノルド・シュワルツェネッガー
  • シルク・スペクターⅡ:ジェイミー・リー・カーティス
  • ナイトオウルⅡ:ケヴィン・コスナー

しかし1991年に20世紀フォックスは製作から手を引きました。

フォックスが離れた後、ゴードンは自分の製作会社ラルゴで製作しフォックスで配給するという道も模索したのですが、ラルゴの経営状態が悪化していたことから本作の膨大な製作費を支えることは難しくなってきました。

ワーナー

そこで『リーサル・ウェポン』シリーズなどでジョエル・シルバーが懇意にしてきたワーナーに企画を持ち込み、そもそもDCコミックとの関係の深かったワーナーはこれに興味を示しました。

ワーナーに舞台が移ると、監督にはテリー・ギリアムが就任。

しかし『未来世紀ブラジル』(1985年)と『バロン』(1988年)でスタジオと揉めに揉めたテリー・ギリアムと、『ダイ・ハード2』(1990年)で予算超過を引き起こしたジョエル・シルバーのコンビは金融機関からの信用を得られず資金調達に行き詰まり、1億ドル必要な映画であるにも関わらず2500万ドルしか準備できませんでした。

結果、ワーナーでの企画は消滅。

ユニバーサル

その後、『X-MEN』(2000年)や『スパイダーマン』(2002年)などアメコミ実写化企画に注目が集まるようになると、ユニバーサルがこの企画に関心を持つようになりました。

2001年には『X-MEN』(2000年)や『ハルク』(2003年)などしっとりとしたアメコミ映画を得意とするデヴィッド・ヘイターが脚色に雇われ、彼が完成させた脚本はゴードンら製作陣が太鼓判を押すほどの出来でした。

しかしユニバーサルはそうは思わず、またしても企画は頓挫。

パラマウント

2004年にはパラマウントが製作に名乗りを上げ、ヘイター版の脚本を使用する意向を表明。監督はワーナーで『バットマン:イヤーワン』の企画に携わった経験もあるダーレン・アロノフスキーに内定しました。

しかしアロノフスキーは念願の企画『ファウンテン/永遠につづく愛』(2006年)の製作にワーナーがゴーサインを出したので本作を降板し、代わりに『ボーン・スプレマシー』(2004年)のポール・グリーングラスが雇われました。

ただし2005年3月にパラマウントが制作費の大幅カットを宣言したことを受けてグリーングラスも降板。またしても企画は流れました。

またワーナー→完成

2005年12月、企画への関心を取り戻したワーナーが製作に名乗りを上げ、スパイク・リー監督のテレビ映画『Sucker Free City』(2004年)のアレックス・ツェーが新たに脚本家として雇われました。

そして監督は同じくワーナーで『300〈スリーハンドレッド〉』(2006年)を手掛けたザック・スナイダーに決定。スナイダーは1億5000万ドルの製作費を要求したのですが、結局1億2000万ドルにまで値切られました。

2007年9月にようやく撮影が開始し、2008年2月に終了。1986年の映画化権取得から実に22年もの月日が経っていました。

本作の実現を難しくしていたのは、莫大な製作費がかかる内容である割には興行的な成功を読めなかった点ではないでしょうか。

偉大な原作の存在を考えると忠実に映画化する以外に道はないのですが、内容が内容だけに忠実な描写を心掛けると厳しいレイティングを受けることは必至。そのためスタジオは投資意思決定に慎重にならざるを得なかったのだろうと思います。

興行的には苦戦した

2009年3月6日に全米公開され、5521万ドルというかなり高い初動成績を収めました。この週の第2位『Madea Goes to Jail』(2009年/日本未公開)の売上高が853万ドルで、実に6.5倍もの大差を付けてのぶっちぎりの1位でした。

しかし2週目にして売上高は1/3にまで激減し、全米トータルグロスは1億750万ドルに留まりました。

国際マーケットでは全米よりも厳しい結果となり、全世界トータルグロスは1億8532万ドル。製作費1億3000万ドルの大作としてはかなり物足りない数字でした。

ザック・スナイダー監督の前作『300〈スリーハンドレッド〉』(2007年)が、本作のちょうど半額6500万ドルの製作費ながら全世界で4億5606万ドルも売り上げたことと比較しても、この結果は残念なものだったと言えます。

複数バージョンについて

本作には3つのバージョンが存在しています。

  • 劇場公開版(163分)
  • ディレクターズカット版(186分)
  • アルティメットカット版(215分)

ディレクターズカット版では初代ナイトオウルが暴徒に殺害される場面など、ウォッチメン以外の人々の描写が拡充され、世界観の理解がより進む内容となっています。

そしてアルティメットカット版ではディレクターズカット版の本編に『黒の船〜海賊船ブラック・フレイターの物語』という短編アニメが挿入されています。

『黒の船〜海賊船ブラック・フレイターの物語』は原作にも登場する短編であり、本編とは全く無関係な内容であるためぶっちゃけ何の意味があるのかよく分からないパートでしたが、ザック・スナイダーによると異常な結論に至ったオジマンディアスの心象風景を表現したのがこの短編だということらしいです。

で、ややこしいのがこれらのバージョンのリリース状況であり、本国アメリカでは2009年より3バージョン総てがリリースされていたのに対して、日本では初ソフト化から10年間は劇場版しかリリースされない状態が続きました。

2019年12月にようやくアルティメットカット版のBlu-rayとUHDが発売されたのですが、ディレクターズカット版はいまだにリリースされていません。

なぜこんなことになっているのかというと、前述した通り複数のスタジオを通過して製作されたことが原因で、権利関係がややこしくなっているためらしいです。

本作は最終的にワーナーが製作したのですが、その直前まで製作に関与していたパラマウントが「我々の開発過程があってこそワーナーが製作できているのだから、作品の権利は折半すべき」として合作化を主張。

これに対してワーナーは「パラマウントだってユニバーサルの開発過程の恩恵を受けたが、その部分は未精算ではないか」と主張し、合作化を拒みました。

結局、作品の権利の25%はパラマウントに帰属という何とも中途半端な裁定が下り、北米では製作者であるワーナーが直接リリースする一方で、日本など国際マーケットの一部ではパラマウントからのリリースという形となりました。

そしてワーナーとパラマウントの対立関係もあって、ワーナーからは普通にリリースされているものでもパラマウントが権利を持っている地域だとリリースされないという事態が発生したというわけです。

そんな状況なので、ディレクターズカット版もアルティメットカット版も日本国内盤は永遠に出ないのではと言われていただけに、アルティメットカット版が見られるようになっただけでも日本のソフト担当者が相当頑張ってくれたのかもしれません。

感想

驚異的な原作再現度

私はアメコミの実写化映画はよく見ても、アメコミそのものにはさほど興味がないのですが、本作に限ってはその名声の高さもあって映画を見る前に原作を読んでいました。

原作は全12章構成という長大なものであり、複数の固有名詞が入り乱れる複雑な内容なので一体何の話をしているのだか見失うこともよくあって、何度もページを戻りながら読み進めていきました。

加えて各章の最後には世界観を補うための膨大な補足資料が添付されており、読むのに異常な時間を要する難物でした。

こんなボリュームのあるものをどうやって一本の映画に収めるのか皆目見当もつかなかったのですが、アレックス・ツェーによる脚色は実に的確でした。当然のことながら全体の情報量は減っているのですが、ツェーは物語の印象を決定づけている要素とそうではない要素を高い精度で区別していたようで、情報は薄まりつつも全体の印象は原作そのまんまでした。

またザック・スナイダーのビジュアルは驚異の完成度に達しています。漫画のカットをそのまんま切り取ったような画面構成に加えて、スローモーションを多用することで漫画のコマの感覚までを再現しています。読書感とここまで整合したモーション・ピクチャーは前代未聞であり、よくぞこんなものを作ったものだと恐れ入りました。

通常のアメコミ実写化企画が「コミックの内容を実写に置き換える」という方向性を志向するものであり、その極北に位置するのがクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(2008年)だとするならば、本作は「実写でコミックを完全再現する」ということをやりきった孤高の存在となっています。

さらには、原作を凌駕している部分すらあります。ウォッチメンの一人ロールシャッハ(ジャッキー・アール・ヘイリー)は小柄ながら派手な大立ち回りを見せるヒーローなのですが、そのアクションのカッコよさは完全に原作を越えていました。

コミックの再現をしつつも、実写ならではの強みも打ち出せている。本作の完成度は驚異のレベルに達しています。

ヒーローが介在する現代史

作品テーマは「ヒーローが介在する現代史」。

もしヒーローなるものが実在すればケチなコソ泥を捕まえて終わりというはずがなく、政治や文化に対して重大な影響を与えるのではないか。戦争や国際紛争にも関与するのではないか。そうした極限のリアリティが追及されています。

ヒーローの介在によりアメリカは戦争に連戦連勝。この世界のアメリカはベトナム戦争にも勝利しており、政治的には保守陣営が圧倒的優位の状態にあります。

そんな感じで保守一色の歴史を歩んできたので60年代から70年代にかけての公民権運動もカウンターカルチャーも起こらなかったという設定であり、人々は不満やフラストレーションを抱え、街ではしばしば暴動が起こります。

そしてヒーロー達は暴動鎮圧にも駆り出されます。市民を守るためヴィジランテ行為を始めたヒーローが、政府の犬となって市民に牙をむくという矛盾。

そんな中で、何らの法的根拠にも基づかず暴力を行使するヒーローたちの行為も問題視され始め、「Who watch the watchmen?(誰が見張りを見張るのか?)」がこの社会でのキーワードとなっています。その結果、ヴィジランテ行為を規制する「キーン条例」なるものが成立。

そんなこんなでヒーローが活動できなくなった1985年の世界が、この物語における現在となっています。

ヒーローになりたがるのは異常者

そして、自ら進んでヒーローになりたがるのはどんな人間なのかという点も深掘りされています。

ヒーロー達はウォッチメンというグループを結成しているのですが、その中で超人はDr.マンハッタン(ビリー・クラダップ)たった一人。その他は生身の人間であり、それぞれ↓のような個性を持っています。

  • コメディアン(ジェフリー・ディーン・モーガン):暴力衝動を抑えきれない粗暴な男
  • ロールシャッハ(ジャッキー・アール・ヘイリー):ド底辺の出身であり、社会に対する恨み辛みの塊のような男
  • オジマンディアス(マシュー・グッド):世界一の頭脳とずば抜けた身体能力を持ち、世の中は馬鹿ばっかりなんだから、自分のような大天才が羊の群れを管理してあげなきゃいけないという使命感を持っている。
  • ナイトオウルⅡ(パトリック・ウィルソン):銀行家の息子だが家業を継ぐ気はなく、有り余る時間と財産をヒーロー業に注ぎ込んだ。
  • シルク・スペクターⅡ(マリン・アッカーマン):母親も同じくヒーロー業をしており、母の敷いたレールに乗せられて二代目を襲名した。

まともな人間は自ら進んでヒーローになんてなるはずがない。生育環境や個人の性格に問題を抱える歪んだ人間こそがヒーローになりたがるのだという点が強調されています。

ただしその中でも濃淡はあって、先代から屋号を襲名したという点に消極性が表れているナイトオウルⅡとシルク・スペクターⅡは常識人寄りで、言うことも割かしマトモです。なのでこの二人が作品の視点人物となっています。

他方、コメディアンとロールシャッハは真正の異常者。コメディアンは他人に暴力を振るうこと、人を殺すことに何の躊躇も抱かないサイコ野郎だし、ロールシャッハはヒーロー業が病みつきになってしまってキーン条例制定後にも活動をやめられていません。

そんなヒーロー業をやめられないロールシャッハが物語を動かしていくこととなります。

で、よく分からんのがオジマンディアスで、表面上はキーン条例を機にヒーローをリタイアして実業家に転身した身となっているのですが、他人を見下した姿勢全開であるがゆえに本音で喋っているのかどうかよく分からない部分があって、この男がキーパーソンとなっています。

こうしたヒーロー像の考察は興味深いものだし、その個性に応じた劇中での立ち位置の作り方はよく計算されています。

メインプロットに魅力がないことが欠点

物語は、ウォッチメンの一人コメディアンが何者かに暗殺されるところから始まります。

ただしコメディアンは真正のサイコパスで方々から恨みを買っているので、「いつかこうなるとは思ってたけど…」みたいな感じで、その死にあまり関心は払われていません。

しかし偏執的なまでにヒーロー業へのこだわりを持つロールシャッハだけは「ヒーローが殺されるなんて異常事態だ。ヴィランの復讐か?」と考え、その死に迫ろうとします。

誰がコメディアンを殺したのか、その目的は何なのかが本作のメインプロットとなります。

ただ、これは原作を読んでいた時から感じていたのですが、このメインプロットにあまり魅力を感じないんですよね。

それはなぜなのかと考えると、すぐに回想が始まったり、群像劇であるがゆえに場面が飛びまくったりするので、メインプロットの推進力が奪われているのです。観客もロールシャッハと一緒になって真犯人を推測するという楽しみ方はできないし、真犯人が明らかになっても特に盛り上がりはしませんでした。

その結果、作品には冗長さを感じました。

東西冷戦というテーマが色褪せている ※ネタバレあり

コメディアンの死の先にあったのは東西冷戦を止めなきゃいけないというオジマンディアスの危機感でした。彼は核戦争一歩手前にまで来ている国際情勢を憂慮し、米ソ両国の意識を根底から変えるための壮大な計画を練っていました。

ただしその計画というのが、超常現象でNY市民300万人を殺害し「これからはオール人類でいかなきゃいけない。冷戦なんてやってる場合じゃない」との警告を与えるという内容だったので、さすがに他人からの理解・共感は得られないものでした。

そうなってくるとヒーロー達が計画の妨害に現れるであろうことも見越しており、コメディアン殺害事件によりその攪乱を図ったというわけです。

さすがは大天才だけあって事態はオジマンディアスの読み通りに進み、計画は発動寸前にまで至ります。そこにウォッチメンが再集結し、平和の守り方を巡って内部分裂を起こします。

  • 「こんな大虐殺は止めなきゃ」と主張するロールシャッハ、ナイトオウルⅡ、シルク・スペクターⅡ
  • 「破滅を免れるための仕方のない犠牲だ」と主張するオジマンディアスとDr.マンハッタン

この構図をドラゴンボールで例えると、Dr.マンハッタンが悟空、オジマンディアスがピッコロ、残り3人はクリリン、天津飯、ヤムチャみたいなものなので、到底勝負になどならずオジマンディアスの計画は発動。300万人のNY市民と引き換えに、人類は永続的な平和を手に入れたのでした。

これが物語の顛末なのですが、核のホロコーストを差し迫った脅威として感じていた原作出版当時と、それが過去の感覚になった現在とでは、どうしても主題の受け止め方は変わってきてしまいます。

結末の衝撃度も、ヒーローたちの葛藤も、現代的な感覚で見るとどこかピンボケしたものを感じて、私はこれを興味深いとは感じませんでした。

ちなみに結末には改変が加えられていて、NY市民を殺害する超常現象を原作ではイカの化け物としていたのですが、映画版ではDr.マンハッタンにしています。

で、どちらが良かったのかというと、唐突感のあったイカの化け物よりもDr.マンハッタンの方が作劇的な必然性があるし、「人間を捨てた」という彼におかれた設定との整合性も感じました。

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コメント

  1. […] ただし監督は『ウォッチメン』(2009年)など暗い映画しか撮ってこなかったザック・スナイダーなので、これは中島みゆきに「ポップな楽曲を頼む」と言うに等しいほどの無理筋の要求でした。それでもスナイダーは撮影開始1か月前に脚本を書き直すなど全力で努力したのですが、ワーナーの要求値をなかなかクリアーできずにいました。 […]