タクシードライバー_中二病と銃社会が結びついた先【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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(1976年 アメリカ)
不眠症の若い男トラヴィスは、深夜タクシーの運転手募集に応募し採用された。タクシーを運転するトラヴィスはある日、ベッツィーという美しい女性に一目惚れし、デートに誘った。しかしデートは失敗し、トラヴィスは世の中を恨むようになった。

©Columbia Pictures

スタッフ・キャスト

監督はマーティン・スコセッシ

1942年ニューヨーク出身。現代最高の映画監督の一人で、アカデミー監督賞にノミネートされること8回、『ディパーテッド』(2006年)で受賞と、70年代から2010年代までトップを走り続けています。

本作の脚本はブライアン・デ・パルマの手元にあったのですが、彼は同じくポール・シュレイダーが書いた『愛のメモリー』(1976年)に移っていき、その後にスコセッシが監督候補になったという経緯があります。

そのブライアン・デ・パルマからの紹介で知り合ったロバート・デ・ニーロとは『ミーン・ストリート』(1973年)に続く2度目のタッグであり、以降『カジノ』(1995年)まで合計8度も組むこととなります。24年ぶりにして9度目の作品『アイリッシュマン』の公開を2019年11月27日に控えています。

スコセッシ×デ・ニーロが本作以上の心の闇を描いた大傑作

脚本はポール・シュレイダー

1946年ミシガン州出身。厳格なカルヴィン主義の家庭に育ち、18歳まで映画を見ることを禁じられていたのですが、初めて見た映画に感動して映画にのめり込みました。コロンビア大学とUCLAで映画学を学んだインテリであり、映画評論家として活動した後、シドニー・ポラック監督の『ザ・ヤクザ』(1974年)で脚本家デビューしました。

1970年代末より監督としても活動を開始し、『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』(1985年)でカンヌ映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞するなどの栄誉を受ける一方で、ニコラス・ケイジ主演の『ラスト・リベンジ』(2014年)や『ドッグ・イート・ドッグ』(2016年)のような困った映画も作っています。

やたら豪華な出演者

暗い内容に懸念を示したコロンビア映画からは最低限の予算しか与えられず、当時のスターを雇うことができなかったのですが、現在の目で見るとやたらと豪華な俳優陣で固められています。

  • ロバート・デ・ニーロ(トラヴィス・ビックル):1943年ニューヨーク出身。稀代の演技派俳優で、アカデミー賞に7度のノミネートと2度の受賞歴を持っています。
  • ジョディ・フォスター(アイリス):1962年ロサンゼルス生まれ。3歳から子役として活動し、本作では12歳にしてアカデミー助演女優賞にノミネート。幼い頃から芸能活動で忙しい身でありながら学業も疎かにせず、名門イェール大学を優秀な成績で卒業。『告発の行方』(1988年)と『羊たちの沈黙』(1991年)でアカデミー賞主演女優賞を2度受賞。って、ジョディさん凄すぎ。
  • ハーヴェイ・カイテル(スポーツ):1939年ニューヨーク出身。16歳で海兵隊に入隊した後、いくつかの職業を経て演劇活動を開始。ニューヨーク大学の学生だったマーティン・スコセッシと知り合いになって初期作品の主演を務めたものの、『ミーン・ストリート』(1973年)では助演のデ・ニーロの方が評価されるというなんとも残念なことになりました。アクターズ・スタジオへの入学試験を10年間に渡って不合格にされ続けたり、ようやくスポットライトを浴び始めた出始めた矢先に『地獄の黙示録』(1979年)からの降板騒動でハリウッドを干されたりと苦労が多く、駆け出しだったタランティーノへの名義貸しのつもりで製作と主演を買って出た『レザボア・ドッグス』(1992年)でようやく安定的な立場を得られるようになりました。以降は文鎮のような存在感で多くの映画に出演しています。

作品概要

『暗殺者の日記』(1972年)が原案

『暗殺者の日記』とは、1972年にアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの暗殺未遂事件を起こして下半身不随にした男、アーサー・ブレマーが残した日記を出版した本です。

ブレマーは一見すると普通の若者で、成績も悪くはなかったのですが、内向的な性格と絶望的なまでの対人スキルのなさから友人のいない青春時代を送っており、当然彼女もいませんでした。エロ本を読むことと銃を弄ることが唯一の楽しみという孤独な生活。そんな彼にも優しく接する女性が現れました。15歳のウエイトレスのジョーン・ペムリッチです。しかし女性への接し方を知らないブレマーは彼女に自宅のエロ本を見せるというミスを犯し、唯一の望みにも逃げられてしまいました。

その日からプレマーは日記をつけ始めました。彼はニクソン大統領の暗殺を計画し、誰からも相手にされてこなかった自分が世界中から注目されることを期待していました。しかし大統領の警護は非常に厚く、付け入る隙が無いことを知って断念。そこでアラバマ州知事で民主党の大統領候補の一人だったジョージ・ウォレスにターゲットを変更しました。共和党大統領が無理なら民主党の大統領候補を狙うという節操のなさから分かる通り、彼には主義主張などなく有名人なら誰でもよかったのです。

アーサー・ブレマー。この通り見た目は普通なんですが… https://www.famefocus.com/movies/you-talkin-to-me-about-taxi-driver-15-things-fans-never-knew/6/
ジョージ・ウォレス。人種隔離を主張し、白人ブルーカラーから支持される政治家でした。
©getty images

日記に記されていたのは、暗殺決行までの数か月間の壮絶なまでの孤独でした。住む家もなく車で暮らし、誰とも話していませんでした。そんな日記に共感を覚えた男がいました。脚本家のポール・シュレイダーです。

ポール・シュレイダーによるシナリオ化

本作の脚本を書く直前のポール・シュレイダーはボロボロの状態にありました。アメリカン・フィルム・インスティチュートを解雇され、2つの有名大学を出た身でありながらレストランのフードデリバリーのバイトをしていました。私生活では離婚を経験して家を失い、車中泊をしながら酒浸りの生活を送り、ポルノ映画館に出入りして、誰とも口を聞かない状態が続きました。その結果胃潰瘍にかかって入院。まだ売れない物書きだったシュレイダーは、社会から完全に孤立していました。

その入院中に読んだ本の中に『暗殺者の日記』がありました。人生が何もうまくいかず、孤独感に苛まれたブレマーと自分を同一視したシュレイダーは、これを元に本作のシナリオをわずか10日間書き上げました。フードデリバリーの職業は車を使うという共通点からタクシードライバーに置き換えられ、タクシーがより一般的なニューヨークが舞台に選ばれました。そして、ポルノ映画館に入り浸りという設定はシュレイダー自身のものであり、これを女性にエロ本を見せたために人生変わったブレマーの体験ともすり合わせて内容を構築しました。後にシュレイダーは一種の自己治療として執筆したと語っており、自分自身がこうなっていくことを恐れた人間としてトラヴィスを作り上げたとのことでした。

『地下室の手記』(1864年)との類似

かくして完成した本作のシナリオですが、時代も社会も異なる文学作品との類似をよく指摘されます。それは、ドストエフスキーの『地下室の手記』(1864年)です。

『地下室の手記』とは、他人とうまく付き合えず社会に馴染めない役人の男が、遠い親戚から多額の遺産を得たことを機に仕事をやめて地下室に引きこもり、20年に渡って人間社会の在り方についての怒りを綴るという古典文学です。内容は「地下室」と「ぼた雪に寄せて」の二部構成となっており、前編の「地下室」では引きこもって暮らす男の思想が、後編の「ぼた雪に寄せて」では引きこもる前の男と社会との軋轢エピソードが綴られます。

ここで興味深いのが、『暗殺者の日記』に書かれていた内容を見たポール・シュレイダーが自分の話だと思って脚本を書いたら、図らずも100年以上前のロシア文学に似てしまっていたという現象であり、男の抱える悩みや孤独の行きつく先というものは時代や社会を越えて共通するのだということがよく分かります。そして、本作が製作から40年を経ても支持され続けるのは、そこに時代性に囚われない真理があるからなのだろうと思います。

『時計じかけのオレンジ』→アーサー・ブレマー→『タクシードライバー』→ジョン・ヒンクリー

今一度、話をアーサー・ブレマーに戻します。人生に行き詰まり、絶望したブレマーに暴力という表現方法の着想を与えたのは『時計じかけのオレンジ』(1971年)でした。ブレマーの日記には「『時計じかけのオレンジ』を見てずっとウォレスを殺すことを考えていた」との記載があります。

『時計じかけのオレンジ』はイギリスの作家アンソニー・バージェスの著作をスタンリー・キューブリック監督の手により映画化した作品でしたが、バージェスは第二次世界大戦で軍役に就いている最中に、妊娠中の妻を4人の脱走兵に凌辱され、流産に至った経験を持っています。その事件から、暴力三昧の非行少年の日常を通して自由放任主義と管理社会との間で揺れる人間社会のジレンマを描いたのが小説版『時計じかけのオレンジ』(1962年)でした。そして、スタンリー・キューブリックはこれを悪の舞踏劇とも言えるほどの徹底した描写で映画化し、アカデミー作品賞にノミネートされました(受賞したのは『フレンチ・コネクション』。って、なんて年なんでしょう)。この作品には暴力を誘発する可能性があるとの指摘があり、1972年にイギリスで起こった14歳の少年が同級生を殺害した事件には、本作の影響があったと言われています。そして、ブレマーもまた本作に触発されたのでした。

つまり、バージェスが経験した実際の暴行事件が『時計じかけのオレンジ』を生み出し、『時計じかけのオレンジ』がブレマーによる暗殺未遂事件を引き起こし、ブレマーの暗殺未遂事件が『タクシードライバー』を生み出したということになります。

そして、連鎖はそこで止まりませんでした。『タクシードライバー』を見たジョン・ヒンクリーという男がジョディ・フォスターに一目惚れしてストーカー行為を始めました。ヒンクリーは、本作のトラヴィスの如くフォスターを救う騎士になったつもりでいたのですが、フォスターに思いが届くことがありませんでした。

そのうち「大統領暗殺という大事をやり遂げればフォスターに認められるはずだ」という妄想に憑りつかれるようになり、1981年3月30日、当時の大統領ロナルド・レーガンを銃撃しました。彼の放った6発の銃弾のうち1発が車に跳ね返ってレーガンの胸に命中。4時間に及ぶ緊急手術によってレーガンは一命をとりとめましたが、頭部に銃弾を受けたブレイディ報道官は一生残る障害を負いました。

ジョン・ヒンクリー。精神異常を理由に無罪となり、2016年まで精神病院で拘束されました。
出典:wikipedia
マテンローの大トニー。関係ないけど、顔がよく似ているので

感想

「これは俺の話だ」と思わせる映画

前述の通り、『暗殺者の日記』へのポール・シュレイダーの共感がスタート地点にある作品なので、ある層にとっては激しく心当たりのある闇がフォーカスされています。この内容をまったくの他人事と感じられる方は、嫌味ではなく本当に幸せな人生を送られていると思います。

中二病を先取った内容

中二病とは、思春期男子に見られる自己愛に満ちた嗜好や、背伸びしすぎておかしくなった行動を指す言葉であり、1999年に伊集院光がラジオ番組内でこの言葉を発言し、2005年頃にネットスラングとして定着しました。

男子というのは、ほっとくと自分はかっこよくて最高の男だと思う傾向があります。恥ずかしながら私も、中学生の頃は自分の見た目は木村拓哉とどっこいレベルという重篤な見間違いをしていました。また、かっこつけて洋楽を聞き始めて隣の女子に聞こえるように昨日の夜聞いた曲のタイトルを列挙したり、どう見てもダサイ服をかっこいいと信じて着たりと、いろいろやらかしていました。とりわけ『クロウ/飛翔伝説』(1994年)にハマり、ダイエーの紳士用品売り場で売っていたレザーコート(7,980円)をなけなしの小遣いで買ってしばらく着て歩いていた時は、イタさ爆発でした。そこにあったのはダイエーのレザーコートを着た中学生の姿でしかなかったのに、鏡に映る自分がブランドン・リーに見えていたのだから思春期の視覚とは不思議なものです。

自分がこうなっている気がした15の夜
© 1994 – Miramax Films

しかし経験の中から、「どうやら自分はイケメンではないらしい」とか「こういう行動をとると周囲から奇異の目で見られるようだ」ということを知り、肥大化した自意識と現実との間のすり合わせを行う中で、まだマシな行動をとれる人間に育っていくのです。それを行うのが中学生や高校生くらいの年齢なのですが、人間関係の構築に不慣れなトラヴィスはそのチャンスに恵まれず、自意識が肥大化していく一方だったのだろうと思います。トラヴィスはイタい奴なんですが、それが男ならよくわかるイタさであり、偶然出会った同級生から「お前の着こなしは何なの?」と笑われたあの日の駅前がなければ、自分もあの無残なファッションセンスを温存したままトラヴィスみたいになったかもしれないという首の皮一枚の恐怖を感じながら、彼を眺めることができました。

トラヴィスの普段着であるミリタリージャケットと、

ここ一番の小豆色のジャケット。男には2着で十分だ!

具体的な根拠もなしに自分を特別視する

タクシー会社に就職したトラヴィスはドライバー達の溜まり場にも行き、同僚達はトラヴィスを会話の輪の中に入れようとしてくれます。深夜のタクシードライバーに流れ着いた者はみな、人生や私生活に何かしらの問題を抱えているはずで、この輪に入って人生の先輩たちに悩みを聞いてもらうようになれば、トラヴィスはもっと楽になれたかもしれません。

しかし、26歳のトラヴィスはこれを素直に受け入れないほど尖っていました。傍から見れば同じ穴の狢なのに、「中年にもなってタクシードライバーなんかやってる負け組のおっさん達と、不眠症の時間を使いあくまで腰掛としてこの仕事をやってる俺とは違う」という気負いでもあるのか、おじさん達の輪に入っていきません。トラヴィスにあるのは「今のみっともない自分は本来の自分ではない」という漠然とした自意識であり、このことが目の前の解決策を無効化しています。

この感覚もまた、分からないでもありません。周囲を見回した時に「なんでこんなにバカばっかりなんだ」と思ってしまう瞬間は、恥ずかしながら私自身にもあります。自分は特別な人間で、周囲は自分より劣っているんだと思いたがるような心理。辛いときにはついついその傾向が強くなり、周囲から心を閉ざしてより状況を難しくするという現象は、多くの人にとって理解可能ではないでしょうか。

初デートの失敗

トラヴィスは非常に狭い地域でひたすら同じことをやって生きているタイプの人間だったのですが、NG地域なしにニューヨーク市内であればどこにでもタクシーで移動するようになったことで、その世界は広がりました。

普段は絶対に行かない都心部へ行った際に、偶然見かけた選挙ボランティアのベッツィーに一目惚れ。以来、選挙事務所の前に毎日路駐してベッツィーを眺めるというストーカーチックな行動の末に、ナンパに行くという行動に出ます。

普通に考えれば、下町の出身で金もない非モテの男が、意識高い系のお嬢様なんて絶対に無理だと諦めるところですが、迷いなくここで打って出るのが中二病の強みだったりもします。自己評価が限りなく高く、実は自分はイケメンだと錯覚しているので、本気出せば何とかなるかもと思ってしまうのです。そして、口はうまいが本心を語ることの少ないインテリに囲まれたベッツィーにとって、粗野で教養はないがストレートな物言いをしてくるトラヴィスは新鮮で悪い気もしなかったようで、「一度くらい付き合ってもいいかな」という気にさせます。トラヴィス、人生初金星でした。

これは確かに惚れるわというパッツィーの美貌。ただしモデル上がりのシヴィル・シェパードは演技が固く、スコセッシとデ・ニーロは彼女への演技指導に難儀したと言われています

ただし、トラヴィスの狭い世界にはデートにふさわしい場所がありませんでした。なにせトラヴィス、当時大人気だったクリス・クリストファーソンすら知らないほど(現在の日本で言うと、米津玄師という人物もその代表曲も知らないレベル)、同世代の文化に疎かったのです。そこでベッツィーを連れて行ったのがハードコアポルノの映画館でした。

これはジョーン・ペムリッチにエロ本を見せたアーサー・ブレマーのエピソードを元にしているのですが、トラヴィスが主張する通り周囲にはカップルが何組か居たし、冒頭でトラヴィスが行った場末の劇場とは比較にならないほど綺麗な劇場だったことからも、トラヴィス的に考え抜いた末のチョイスだったことが伺えます。トラヴィスは持てる選択肢の中で最高のもてなしをしたつもりだったのだが、ベッツィーには嫌われてしまったのです。ここに男の悲しさが凝縮されています。

男なら誰しもデートの失敗を経験するものです。私も、女の子をサミュエル・L・ジャクソンの『スネーク・フライト』(2006年)に何の疑いもなく誘って、映画を見た後の喫茶店での会話が気まずくなった経験があります。あの時は「ブルース・ウィリスの『16ブロック』にしとけばよかったか」なんて後悔しましたが、どっちにしろダメでしたね。オタクには生き辛い世の中です。

絶対に美味い店だと思って自信満々に彼女を連れて行ったら、実はチェーン店で「なんでデートなのにチェーン店?」みたいな不思議な顔をされることなんて、もはやあるあるですね。お好み焼きの道とん堀にやたらと女の子を連れていく友人がいて、見ていることがあまりに忍びなかったので「それチェーン店だぜ、ぽんぽこぽん」と教えてやった時の、彼の切ない顔がいまだに忘れられません。

普通に生きていれば、こうした失敗を重ねるうちに学習して徐々にマシになっていくものだし、一度の失敗をそこまで引きずらないというメンタルも形成されるものなのですが、その点でトラヴィスはナイーブすぎました。彼は「世の中の女は全員で結託して俺を陥れてるんじゃないか」という過度の被害妄想を抱くに至ります。強く憧れるがゆえに、うまくいかなかった時のショックも大きい。これもまた極端とは言え、男としては分からんでもない心理でした。

息抜きの仕方を知らなかったトラヴィス

手痛いフラれ方をした後には街のカップルがやたら目に入ってくるもので、自分以外の人間はみんな幸せなんじゃないかと卑屈になるものです。苦しんだトラヴィスは先輩ドライバーのウィザード(ピーター・ボイル)に、具体的に何がどうとは言わないもののアドバイスを求めます。すると「とりあえず女を抱け。それが一番の薬だ」という実に男らしいドストレートな返答のウィザード。ただし女にフラれて悩んでいるトラヴィスにとって回答が女では堂々巡りの議論にしかならず、「バカバカしい」と言って聞き入れませんでした。

いや、あの答えには「彼女を作れ」的な意味ではなく「風俗へ行け」的な意味があったのかもしれませんが、そこにもトラヴィスの弱点が潜んでいました。最初の風俗は一人で行くものではありません。先輩や進んだ友人から「行くぞ!」と誘われて、いやいや引っ張られていくのが風俗デビューの典型パターンです。そこに来て友人のいなかったトラヴィスは、あれだけ毎日風俗街を出入りしていたにも関わらず風俗へ行った経験が一度もないという可能性があります。

人生が何もうまくいっていない上に、息抜きの仕方を知らないトラヴィスは、どんどんダークサイドへと飲まれていくのでした。

他人から認められたいと思いながら他人を憎むという矛盾

トラヴィスにあったのは中二病的な強烈な自意識であり、それは他人から認められたいという欲求へと繋がっていましたが、対人関係の経験不足ゆえのイタい行動は、むしろ人を遠ざける方向へと作用していました。冷静な自己分析をする材料すら持っていないトラヴィスは完全な手詰まり状態に陥り、「俺を評価しない他人が悪い」という思考へと陥っていきます。

他人から認められたいのに他人を憎むという矛盾した思考が同時に存在するトラヴィスは、やがて一つの結論へと至りました。「ベッツィーが応援していた大統領候補を暗殺することで世間に俺の力を分からせ、無理やりにでも俺を認めさせてやる」。

手の届く場所に銃がある社会の怖さ

しかし、やせ型のトラヴィスは本来腕っぷしに自信のあるタイプではないように思います。ベッツィーへのストーキング行為を止めに入ったトム(アルバート・ブルックス)に対して空手のようなふざけた構え方をして威嚇する場面を見ても、一度も喧嘩をしたことのない人間であることが推測できます。だから彼は銃に手を出しました。しかも、バカでかい44マグナムに。ここでの銃は分かりやすく男性器の象徴として機能しており、可能な限り大きなものを求めるトラヴィスのコンプレックスを映し出しています。

44マグナムを握って悦に入るトラヴィス

そして、腐っている人間はどんな社会にでもいるが、世の中を憎んでいる人間のすぐ手の届くところに銃があることがどれほど恐ろしいかという点も、この流れからは伝わってきます。

壮絶なバイオレンス

銃を手にしたトラヴィスは破滅への道をひた走るのかと思いきや、映画は思いがけぬ方向へと転がり始めます。シークレットサービスから目を付けられていたトラヴィスは、銃を抜くまでもなく大統領候補の暗殺を諦めて、その場を退散していきます。しかし、誰かをぶっ殺さなきゃと思っていたトラヴィスは、街で偶然出会った12歳の娼婦アイリス(ジョディ・フォスター)を救い出すという大義名分の元、ポン引きのスポーツ(ハーヴェイ・カイテル)が仕切るシマへと向かいます。実はアイリスとスポーツは相思相愛であり、トラヴィスにはそれが気に食わなかったという裏事情もあるものの、本件に関して社会的な正義はこちら側にありました。

ここからのトラヴィスによる討ち入りは、『エクソシスト』(1973年)のディック・スミスによる特殊メイクの冴え渡った壮絶なバイオレンスとなり、MPAA(アメリカ映画協会)からはX指定を言い渡されました。ただし興行的な影響を考えるとさすがにX指定は飲めないということで、コロンビアは画面に光学処理を施し鮮血を目立たなくしてR指定に留めました。

この顛末の影響で、トラヴィスの運転するタクシーがゆっくりと売春宿に到着する場面から、誰の目にもわかるほどはっきりと画面の色合いが変わります。これは不自然ではあるのですが、人を殺すと決めた現場に入った瞬間から画面の色彩が落ちたことは、トラヴィスの心象風景を表現しているようで、私は嫌いではありません。

この内容でハッピーエンドという意外性

あと意表を突かれたのが、本作がハッピーエンドだった点です。

トラヴィスは歪んだ自己表現の手段として人を殺したものの、少女売春婦の救出という結果が伴っていたことから世間は彼の味方をし、アイリスの両親からは感謝され、マスコミからは英雄視されました。この討ち入りで死のうと思っていたトラヴィスの自己承認欲求は、思いもよらぬ形で満たされたのでした。

回復したトラヴィスはドライバー仲間とも肩肘張らずに談笑できるようになっているし、タクシーにベッツィーを乗せても大人の対応がとれるようになっています。人を殺した人間が賞賛されていいのかという倫理的な問題はさておき、一人の男の物語として見ると、あれほど出口がないともがいていたトラヴィスでも、周囲からの当たり方が変わったことで普通の素直な男に生まれ変わったという点に、ポジティブなメッセージが込められているような気がしました。現在苦しんでいる人達に対して、いつか潮目が変わるし、そうすれば君自身も変われるはずだから、今がすべてだと思って悩み過ぎるなよという。

暴力映画の是非

本作のような暴力映画は、しばしば論争の的になります。新しい人殺しを作ってしまうのではないかと。実際、『時計じかけのオレンジ』はアーサー・ブレマーを、本作はジョン・ヒンクリーという怪物を生み出しました。そうした意味では、暴力映画に反対する方々の不安は的中していると言えます。

ただし、本作のような暗い映画は、その数万倍の人間の心を救っています。抉るような心理描写の数々は、いま現在悩んでいる者に対して「その悩みを持つのは君だけではない」という気付きを与え、自分を見つめ直すきっかけとなっています。美男美女がくっついてハッピーエンドという映画が観客の人生を変えることはありませんが、本作のようなリアルな心理劇は本当に悩んでいる人を救うことがあります。よって、人の心を動かすような過激な芸術作品は存在すべきということが、私の個人的な意見です。

まとめ

ポール・シュレイダーによる粗削りだが真理を突いたシナリオを、うまい監督とうまい俳優達が見事にパッケージ化した良作だと言えます。加えて、後にスコセッシとデ・ニーロが作り上げた『キング・オブ・コメディ』(1982年)の壮絶な狂気や、ポール・シュレイダーが中年男の闇を描いた『白い刻印』(1997年)の救われなさと比較すると若いトラヴィスにはまだ救いがあり、万人受けする見やすさもあったと思います。

そして本作の精神は『ジョーカー』(2019年)へと引き継がれていきます。病んだ男はどの時代・どの社会にも存在するのです。

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