イニシェリン島の精霊_死闘!おっさんvsおっさん【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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人間ドラマ
人間ドラマ

(2022年 アイルランド・イギリス・アメリカ)
田舎町でのおっさんとおっさんの喧嘩というしょーもない話を通して、普遍的な人間関係を描いた深い深いドラマ。スローで面白くないということを除けば、かなり満足度が高い。

感想

2022年のアカデミー賞で作品賞を含む8部門でノミネートという高評価を獲得した作品なので存在こそ知っていたが、特に気になる映画でもなかったので映画館にも行かず、ディズニープラスでの配信が開始されてもしばらくは鑑賞しなかった。

先日、ふと気になったので配信で見てみたけど、そのあまりの展開の遅さ、抑揚のなさ、笑えなさに唖然とした。

が、鑑賞後に「この映画は何を言いたかったのだろう」と考えれば考えるほど、実は深いことを語っていたということ、あらゆるものを投影できるよう間口の広い作りとされていたことに気づき、その緻密な設計には驚愕した。

面白くないということを除けば、アンビリーバブルな出来の映画だったと思う。

1923年、アイルランドの小島 イニシェリン島が舞台。

飼育するヤギの乳を売って生活する主人公パードリック(コリン・ファレル)は、いつもと同じように親友コルム(ブレンダン・グリーソン)をパブに誘うんだけど、薄暗い部屋で一人タバコを吸うコルムにフルシカトされる。

「何か気に障ることでもしちゃったかな」とパードリックは邪険にされる理由を探ろうとするんだけど、コルムは「もうお前とは付き合いたくない」の一点張りというのが、ざっくりとしたあらすじ。

端的に言うと田舎者のおっさんとおっさんが喧嘩してるだけで、大したことも起こらないので、見ている間は退屈する。

この題材であれば、コルムから拒絶される原因を探る過程でパードリックに思わぬ発見があり、それに気づいた瞬間に二人の絆は以前より深まる的なドラマを連想するが、そんな劇的な展開もない。

しかもブラックコメディを謳ってる割に笑える場面もない。英語が母国語の人が見れば分かるウィットでもあったのかもしれないが、字幕で鑑賞する日本人にはサッパリだった。

パードリックとコルムの間に何かあったのかというと、実は何もなかった。ただコルムにとって「パードリックと関わるの、もう無理無理!」という心境変化があっただけ。

身も蓋もない話ではあるけど、人間関係が壊れる時って、往々にしてこういうものだ。

若い頃の私は、女の子と付き合ってもしばらくすると「もう別れましょう」と言われるタイプの人間だったので、ある日突然、一方的に関係を断ち切られる感覚には身に覚えがありまくる。

自分としてはうまくいっているように感じていたし、相手の反応も悪くなかったはずなのに、ある日突然「もう無理」と言い渡される。青天の霹靂とはこのことである。

一方、別れを切り出す側からすると、ずっと引っかかってきたことの集積だったりもする。

コルムの場合、パードリックの会話のレベルがあまりに低すぎるということだ。

例えばロバの糞をネタに2時間も話を聞かされる。確かにその時は笑って聞いてはいたけれど、こんな奴と毎日毎日一緒にいて、そんな日々を数十年も繰り返してきて、自分の人生の時間がどれだけ浪費されてきたんだと考えた時に、「もう1分たりともパードリックに時間を使いたくない!」と感情にスイッチが入ったのである。

この「それまで受け入れてきたことが、ある日突然ダメになる瞬間」ってのもよく分かる。

私が何年も着てきたコートがあるんだけど、ある日、ウインドウに映った自分の姿を猛烈にダサく感じてしまい、それ以降はそのコートを一切着なくなった。それと同じ感じかな?違うか。

そういえば本作の時代設定は1923年となっているんだけど、これにも深い意味がある。

劇中でも何度か言及されるけど、1923年はアイルランド内戦中だった。

12世紀以降、イングランドによる支配を受け続けてきたアイルランドだったが、長い武装闘争の末、1921年に独立を勝ち取る。

しかしこの独立方法を巡ってアイルランドが分裂した。

多数派のマイケル・コリンズは、イングランドに譲歩できる部分は譲歩してちゃちゃっと独立交渉を片付けて来たのだが、これに対して「なんで妥協なんかしてきちゃったんだよ!」とブチきれたのが、後のアイルランド共和国大統領エイモン・デ=ヴァレラである。

元は同じ釜の飯を食べた二人が、宿敵がいなくなった瞬間から揉め始める様はリーアム・ニーソン主演の『マイケル・コリンズ』(1996年)で詳しく描かれていたが、これもまた関係が崩れる瞬間を描いた本作のテーマと合致する。

はたまた、歴史上仲違いしたり親密になったりを繰り返しており、現在は史上稀にみる険悪な関係にあるロシアとウクライナに置き換えて考えることもできるだろう。

この通り、田舎町のおっさん二人のドラマは、国際情勢に置き換えて考えることができるほどの奥行を秘めている。これこそが本作の構成の神がかったところだ。

そういえば、見ている間に気になったのが、親密だった時期のパードリックとコルムの描写がないことで、その描写がないとパードリックの狼狽や絶望が伝わってこないだろうと思って見ていたけど、この部分をあえて割愛したことが、本作の深みにつながっているのだろう。

もしもパードリックとコルムの関係性を規定してしまうと、本作の寓意が薄れてしまうのだ。あらゆることに置き換えが利くよう、あえて二人の関係性を明確にしていないのである。

ただし全くの謎というわけでもない。

主演のコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンは、本作と同じくマーティン・マクドナー監督の『ヒットマンズ・レクイエム』(2008年)でも共演している。同作の存在が、二人の関係性を補完する材料となっている。

『ヒットマンズ・レクイエム』ではコリン・ファレルが若い殺し屋、ブレンダン・グリーソンが組織との交渉や現場のアレンジメントを行うベテラン構成員で、表面上はタメ口を聞き合う関係ではあるが、年上のグリーソンは陰ながらファレルの保護者役を務める場面もあった。

年の離れた友人で、一見するとフラットではあるが、年上の方が見えない配慮をしている。

本作のパードリックとコルムも同様の関係なのだろう。

また劇中には、バリー・コーガン扮するドミニクというキャラも登場する。

ドミニクは気難しく暴力的な警察官の父を持ち、頻繁に家庭内暴力を受けている。また頭がちょっと弱くて危なっかしいこともあり、パードリックはドミニクのことを気にかけているのだが、この二人の関係性から、若い頃のパードリックとコルムの関係が推測できる仕掛けとなっている。

これまた素晴らしい構成で恐れ入った。

全く凄い映画である。面白くないということを除いては。

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