ブレイブ(1997年)_稼ぐ能力のない親父の苦悩【5点/10点満点中】(ネタバレなし・感想・解説)

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人間ドラマ
人間ドラマ

(1997年 アメリカ)
家族のために命を投げ出す決意をしたお父さんの物語であり、ジョニー・デップの演技のおかげでその主題部分には感銘を受けたのですが、細部が甘くリアリティを毀損する展開が多いことから、のめり込むような没入感はありませんでした。

あらすじ

ネイティブ・アメリカンの男ラファエル(ジョニー・デップ)は仕事を手配してもらえると教えられた場所に顔を出したが、そこでマッカーシー(マーロン・ブランド)という男から高額な報酬と引き換えにスナッフフィルム(実際の殺人現場を収めた映像)への出演依頼を受ける。これを承諾して前金を受け取ったラファエルは、撮影までの一週間を妻子と共に過ごそうとする。

スタッフ・キャスト

監督・脚本・主演はジョニー・デップ

1963年ケンタッキー州出身。家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し、両親が離婚したことで子供時代には大きなストレスを抱えており、12歳で飲酒、14歳でドラッグを覚えるというどん底の青春時代を送りました。

16歳で高校を中退してバンド活動を開始し、リードギターを務めたバンドThe Kidsは商業的に成功をおさめました。

20歳の頃に友人になったニコラス・ケイジから俳優業を勧められ、『エルム街の悪夢』(1984年)でデビュー。

(画像)若い頃のニコラス・ケイジとジョニー・デップ
https://spur.hpplus.jp/culture/celebritynews/201908/09/WAOUQiA/

最初から売れたわけではないのですが、『プラトーン』(1986年)の端役として使ったオリバー・ストーンがデップは大物になると予見するなど、徐々にハリウッドで注目の俳優となっていきました。

テレビシリーズ『21ジャンプストリート』(1987-1991年)の主演でアイドル的な人気を博し、『クライ・ベイビー』(1990年)で映画初主演。『シザーハンズ』(1990年)で出会ったティム・バートンとはその後も頻繁にコンビを組むようになりました。

90年代を通してティム・バートン、テリー・ギリアム、エミール・クストリッツァ、ラッセ・ハルムストレム、ジム・ジャームッシュといった作家性の強い監督とばかり仕事をしており興行的成功とは無縁だったのですが、初の娯楽大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2004年)が全世界で大ヒットしたことからマネーメイキングスターの仲間入りを果たしました。

直近作は水俣病を取材した実在のジャーナリストに扮した『ミナマタ』(2020年)なのですが、コロナ禍の影響で公開の目途が立っていません。

製作はインディーズ界の名プロデューサー ジェレミートーマス

1949年ロンドン出身。ケン・ローチ監督の元で編集助手を務めた後にプロデューサー業を開始し、英語圏のプロデューサーながら大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)、ベルナルド・ベルトリッチ監督の『ラストエンペラー』(1987年)などを手掛けています。

ローカル作品を国際マーケットに紹介することを信条にしているようで、最近では木村拓哉主演の『無限の住人』(2017年)にも参加し、北米や欧州での劇場公開に尽力しました。

マーロン・ブランドが特別出演

1924年ネブラスカ州出身。『ドンファン』(1995年)での共演を機にジョニー・デップと友人になったことから、本作にノーギャラで出演。本作はブランドがアメリカで撮影した最後の作品となりました。

伝説的な演技指導者ステラ・アドラーのもとで演技を学び、ブロードウェイの舞台『欲望という名の電車』(1947年)の準主演で注目を浴びました。

メソッド演技法で世に認知された俳優の第一号であり、演技力とスター性を併せ持っていたことからポール・ニューマン、ジェームズ・ディーン、エルヴィス・プレスリーらに多大な影響を与えました。

1960年代に入ると父の事業の失敗で金が必要になったためにどんな映画にでも出演するようになって俳優としての評価は下がり、また現場でのトラブルが多かったことから監督やスタジオから忌避される存在になっていきました。

『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年)と『ゴッドファーザー』(1972年)で復活し、後者ではアカデミー主演男優賞に選ばれたのですが、アメリカ映画界の人種差別への抗議を理由に受賞を拒否して物議を醸しました。

その後は『スーパーマン』(1978年)や『地獄の黙示録』(1979年)などで短い出演時間に対して法外なギャラを要求する大御所俳優になり、80年代以降は扱いづらい俳優として見かけることが少なくなりました。

2004年逝去。ロバート・デ・ニーロ、エドワード・ノートンと共演した『スコア』(2001年)が遺作となりました。

作品解説

元はディズニーの企画だった

本作はピュリッツァー賞候補になったこともある作家グレゴリー・マクドナルドの小説『The Brave』(1991年)を原作としています。

後にテレビのミニシリーズ『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ』(1998年)にも参加する脚本家のポール・マクカドンが1993年頃に脚色し、その脚本はハリウッド界隈で話題となりました。

ディズニーの実写部門であるタッチストーン・ピクチャーズが映画化権を購入。監督にはUSCシネマティック・アート・スクールを卒業したての新人アジズ・カザルが抜擢され、1994年に本格的な製作を開始する予定でした。

しかしその直前の1993年12月にカザルが妻と娘を殺害し、自身も自殺するというショッキングな事件が発生。作品内容がカザルのメンタルに影響を与えた可能性も示唆されたことから、ディズニーはすぐに製作を中止しました。

ジョニー・デップの監督デビュー作

ただしポール・マクカドンとそのパートナーであるチャールズ・エヴァンス・Jr.は、映画化に向けてすでに多大なコストと労力をかけていたことから製作を諦めず、1994年にジョニー・デップの元に脚本を持ち込みました。

デップは脚本内容が気に入らなかったものの、家族のために究極の犠牲を払う父親の物語には感銘を受けてプロジェクトに参加することにしました。

そして資金調達のためには大スター ジョニー・デップが前面に出ている方が好都合ということで企画の中心人物となっていき、実兄D・P・デップと共に脚本を書き直し、自ら監督することにしました。

アメリカでは劇場、メディアともに未公開

本作は1997年5月のカンヌ国際映画祭で初公開されパルムドールにノミネートされたのですが、比較的好意的だったヨーロッパでの反応とは打って変わって、製作国アメリカでは酷評を受けました。

これに憤慨したジョニー・デップはアメリカでのリリースをしないことを決定し、劇場公開はおろかメディア販売も行われていません。アメリカでは幻の映画扱いなのです。

登場人物

  • ラファエル(ジョニー・デップ):ネイティブ・アメリカンの男性で、服役経験が多いことから定職に就くことができず、妻子と共にスラムで暮らしている。家族に大金を残すべくスナッフフィルム(実際の殺人現場を収めた映像)への出演を決意する。
  • マッカーシー(マーロン・ブランド):ラファエルにスナッフフィルムへの出演交渉をした謎の男。
  • リタ(エルピディア・カリーロ):ラファエルの妻。夫が大金を持ってきたことに不信感を抱くが、問題のない金だから事情は聞かないでほしいというその言葉を信用する。演じるエルピディア・カリーロは『プレデター』(1987年)のアンナ。
  • ストラットン神父(クラレンス・ウィリアムズ3世):スラムの教会の神父。リタからの相談を受け、ラファエルに金の出元を問い質す。
  • ルイス(ルイス・ガスマン):スラムに住む乱暴者で、ラファエルを犯罪に巻き込んだこともある。大金を掴んだラファエルに自分も一枚噛ませろと迫り、要求が聞き入れられないと彼の妻子をダシに脅す。

感想

社会派作品のようで社会派作品ではない

チェロキー族の血を引くジョニー・デップがネイティブ・アメリカン役を演じ、アメリカ映画界での人種差別に抗議してアカデミー賞受賞拒否をしたことのあるマーロン・ブランドがノーギャラで出演したということで、ネイティブ・アメリカンの貧困問題を描く社会派作品のような外観が本作にはあります。

私はそういう頭で見始めたのですが、実際の作品にはリアリティが考慮されていない点が多々あって、最初のうちはかなり混乱させられました。

貧困と言っても本作の主人公ラファエル一家は並レベルではなく、ゴミ捨て場近くの土地を不法に占拠してバラックを立て、ゴミの中から使えるものを拾って生きています。水道すら引かれていない荒野なので川の水を汲んでくることが日課だったりもします。

一家は最低ラインの生活水準からすら程遠いにも関わらず公的支援を一切受けておらず、子供達は学校にも通っていません。

発展途上国ならいざ知らず90年代のアメリカにこんな奴らがいるのかと面食らったのですが、どうも本作は現実の貧困問題を扱った社会派作品ではないようです。

稼ぐ能力のない親父の苦悩

では一体何が描かれているのかというと、家族への愛はあっても稼ぐ能力のない親父の苦悩であり、ジョニー・デップもこの要素に惹かれたようです。

ラファエル一家が住んでいるのは産業らしい産業のない田舎街のさらに外れの荒野であり、そもそも周辺に職がない上に、ラファエルには犯罪歴が多いことから事業主から忌避される存在となっています。

冒頭、ラファエルがバスの車窓からマイホーム建設現場を切ない表情で眺める様には切実なものがありました。

金で幸せが買えるとまでは言いませんが、最低限の金がなければ家族を幸せにすることはできません。

家族への愛はあるのに致命的なまでに金を稼ぐ能力のないラファエルは厳しい立場に置かれており、文字通りわが身を差し出して家族にための金を得ることにします。

ラファエルが選択したスナッフフィルムへの出演という選択こそ極端ではあるものの、家族のために身を粉にして働くお父さん像をデフォルメすると、こうしたことになっていくのだろうと思います。

また、世のお父さんは「自分が稼げなくなったらどうしよう」という漠然とした不安に駆られることもあるのではないでしょうか。

私自身、ふと怖くなることがあります。もし自分のスキルが金を生みだせなくなったら、メンタル的に弱って仕事をできない状態にまで追い込まれたら、家族は一体どうなるのだろうかと。

実際、同業者でメンタル的に壊れてしまった人を何人か見た経験があるので、自分自身が何十年も安定して収入を生み出せる保証はどこにもないという漠然とした恐怖を感じて生きています。

本作にはそうした普遍的な悩みを汲み取るような鋭さがあり、特に物語の導入部にはかなり共感しながら鑑賞できました。

親父の金遣いがおかしい

ただし大金を得た後のラファエルの金遣いがおかしいので、中盤以降は冷めました。

命と引き換えにラファエルが受け取ったのは、自分がこの世に居なくなった後の家族の生活を支えるための金であり、1セントたりとも無駄にはできない性質のものです。本作での金は表面上の数字ではなく命や生活そのものなのです。

にも関わらずラファエルは派手に買い物をしたり、家を電飾で飾りすべり台やプールを設置したり、近所の人たちと楽しむために祭りのようなことをしたりと、目前の家族サービスのために命がけの金を浪費します。

自分が生きているうちに家族が喜んでいる顔が見たいという気持ちは分からんでもないのですが、真に家族のためを思うのであれば、この金をできるだけ長持ちさせることを考えるべきではないでしょうか。

おまけに、終盤になると大企業から立ち退きを求められているご近所さん全員を救いたいという願望までを語り始めます。

それは5万ドル程度では不可能なことだし、何より自分の家族のための金をご近所さん全員のために使ってしまうと、父親を失うという高い代償を支払わされた家族にとっては不公平な話にもなってきます。

意義深いが面白くはない

そんなわけで、稼がないといけないと焦る親父の物語という趣旨の部分には大いに賛同できたのですが、細かい部分の違和感が余りに大きかったので没入感は少なく、トータルではそんなに楽しめませんでした。

言葉を発しなくても表情だけで語ることのできるジョニー・デップは良かったんですけど、あまりに多い短所をカバーできるほどではなかったかなと。

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