ラリー・フリント_エロ本で表現の自由を語る【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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実話もの
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(1996年 アメリカ)
表現の自由を巡る論争を、硬軟織り交ぜた多彩な演出で見せた社会派作品であり、巨匠ミロス・フォアマンの手腕が光っています。また、下半身不随で「無敵の人」になったつもりのラリーが、それでもなお大事なものが残されていることに気付くというドラマとしても感動的でした。

感想

エロ本を通して表現の自由を語る

70年代にポルノ雑誌『ハスラー』を出版して社会問題になったラリー・フリントの実話。

ラリー・フリント(ウディ・ハレルソン)はケンタッキーの貧しい田舎出身で、若い頃にはストリップバーを経営していたのですが、集客のために店の女の子の魅力を広く伝える方法はないかと考えた結果、所属嬢達のヌード満載の会報誌の出版を思いつきます。

この会報誌が好評だったことから本格的なエロ本を作り始めるのですが、出版事情に疎い仲間とワイワイやりながら作った雑誌なので、局部モロ出しのトンデモないものになりました。

で、この雑誌が人気を博した結果、世の良識派と呼ばれる人々にまで知られるところとなって裁判沙汰に発展するのですが、ここでの応酬戦が表現の自由の根本を突いたものでした。

良識派は「こんなものが街に存在していちゃいけないんだ」と言うのですが、これに対し証言台に立ったラリーは、「嫌だったら見なければいい」と反論します。

続けて、ラリーの弁護士のアラン(エドワード・ノートン)も、「ラリーのやっていることを認めろと言っているのではない。ラリーを好きになれと言っているのでもない。ただし『気に入らないからやめろ』というのはアメリカの国是に反している」と主張します。

すなわち、表現の自由とは「間違ったことを言うな、するな」ではなく、「正しいことも間違ったことも、どちらもあっていい」ということなのです。

ただし良識派と呼ばれる人たちは、社会を守ると言いながら、アメリカという国の根本的な国是に反したことを言う。

で、この捻じれ現象に対して最も的確な論評を行っているのが、社会的の最底辺に近いポルノ業界のラリーだというわけです。

結局、ラリーはこの裁判に負けて懲役25年の実刑を言い渡されるのですが、「自由な出版を守る会」というそれらしい名前の団体を作って上訴審に持ち込んだところ、今度は刑期を免れました。

同じ主張であってもそれっぽい団体が言えば通りやすいという点にも、社会が抱える欺瞞が垣間見えてきますね。自由とは万人に対して平等に与えられるべきものなんですが。

「無敵の人」ラリー

その後、ラリー狙撃事件が起こって下半身不随となります。

これまで性欲に生きてきた男の下半身が使えなくなり、ラリーにとっては非常につらい状況が訪れます。夜の享楽は失われたし、エロいことを考えられなくもなったので、エロ本製作という本業にももはや没頭できない。

5年ほどは出版界からも身を引いて自宅でヤク漬けの生活を送り、その後に社会復帰するのですが、気に喰わないことを言ってくる役員を理不尽にもクビにしたりと、傍若無人な態度が止まりません。

このクビにされた役員ですが、言ってることはマトモ。ただしエロ本製作をできなくなったラリーのプライドを傷つけてしまったために、あえなく解雇という憂き目を見ました。

その後、FBIの捜査テープを入手して紙面公開したところ、裁判所から入手ルートを開示するよう迫られて法廷闘争に発展。

ただし、ここでの戦いは表現の自由を巡って争っていた前半部分とはまったく違い、何の目的も信念もなく、ただただラリーが裁判所をおちょくるだけという珍騒動でしかありませんでしたが。

下半身不随になったことで人生の目的を失い、金はいくらでもあるので罰金を課せられても屁でもない。そしてポルノ王なので傷つく社会的名声もない。

ある意味で彼は「無敵の人」になっており、司法機関が講じられるあらゆる脅しが、ラリーには通用しなくなっていました。

ここで見境なく暴れ回る様はウディ・ハレルソンの真骨頂であり、愛嬌のある困ったちゃんぶりを存分に発揮しています。

「無敵の人」にも失うものはあった

なのですが、奥さんをドラッグのオーバードーズで亡くして深い悲しみに打ちひしがれ、やっぱり自分には失うものがあったということに気付きます。

これは重要なメッセージですね。

「俺なんていつ死んでも構わない」とか「どうなろうが失うものはない」とあきらめきっている人は多いかもしれませんが、でもなくすと困るものってまだまだ残ってるんですよ。気付いていないだけで。

なので、自暴自棄になって全部壊しちゃえばいいという発想はダメなんです。本当に全部壊れちゃった後に後悔しますから。

で、遅ればせながらこれに気付いたラリーは、これまでさんざん罵倒してきた会社の創業メンバー達や、法廷戦術を台無しにしてきたアラン弁護士に謝罪し、表現の自由を守るための新たな法廷闘争に臨みます。

「何か意義のあるもののために記憶されていたい」

そうして公人に対する風刺・パロディは名誉棄損に当たるのかを争った有名なハスラー・マガジン対ファルウェル裁判に突入するのですが、ここでのメインはアラン弁護士なので、ラリーの物語は裁判の前で完結していましたね。

映画公開後の状況

物語は1988年で終了し、その後、映画が製作される1996年までの状況がテロップで表示されます。が、1996年以降に変動した部分もあるので、メモを残しておきます。

まずラリー・フリントですが、2021年2月10日に78歳で永眠しました。死因は発表されなかったのですが、心不全であったとされています。

なお有名人の死因として心不全がよく挙げられますが、人間が死ぬ時に心臓が止まっているのは当たり前のことであり、死因不明の時に心不全という病名を付けるという運用があるようです。

そしてテロップ上はラリー狙撃犯は不明とされているのですが、その後、連続殺人犯のジェゼフ・フランクリンが犯行を自白。

1977年から1980年にかけて20名を殺害した白人至上主義者のフランクリンは、『ハスラー』に白人と黒人による性交渉が掲載されたことへの抗議として狙撃したとのこと。

フランクリンは1997年にミズーリ州で死刑を宣告され、2013年に死刑執行がなされたのですが、その直前にラリー・フリントは死刑執行中止を当局に求めていました。

犯人に苦しみを味わわせたいが、死んでほしいとは思わないというのがその理由でしたが、すでに覆せるものではなく、2013年11月20日に薬物注射による死刑が執行されました。

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コメント

  1. […] […]