ウィークエンド・アウェイ_どんでんの大安売り【4点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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クライムサスペンス
クライムサスペンス

(2022年 アメリカ)
どんでん返しの大安売りで全体が安っぽくなってしまっているという、サスペンス映画の末期症状的作品。主人公の不安や恐怖といったサスペンスの幹となる部分を作り込まず、意外な展開という枝葉を増やし過ぎたことが失敗だった。

感想

旅先で人がいなくなる系

育児疲れのベスと最近離婚したばかりのケイトが女二人でクロアチアへの週末羽目外し旅行に出かけたら、ケイトがいなくなったというのがざっくりとしたあらすじ。

旅先で人がいなくなる系はサスペンスの王道ジャンルであり、古くはヒッチコックの『知りすぎていた男』(1956年)、ロマン・ポランスキー監督の『フランティック』(1988年)、熱心な支持者の多い『ザ・バニシング-消失-』(1989年)などが代表作。

最近では、本作と同じくネットフリックスで『ベケット』(2021年)もリリースされていましたな。

そんな珍しくもないジャンルなのではあるが、では本作の出来はどうだったのかというと、ジャンルの標準的な水準に達していないという印象だった。

土地勘がない、言語が通じない、異文化にも馴染めないというナイナイ尽くしの中で緊急事態に対処せざるを得なくなるという、主人公にかかる二重のプレッシャーこそがこのジャンルの醍醐味なのだろうと思うのだが、その点の作り込みが驚くほど甘いのである。

確かにベスには土地勘がないのだが、異様に親切なタクシー運転手が味方に付いてくれることでこの問題はパスするし、どこに行っても英語が通じるので言語の壁も障害にはなっていない。そして文化の違いはどこにも描かれていない。

これでは母国で起こった事件だとしても同じ話を作れてしまうので、このジャンルを選択した意義を見失ってしまう。

またネタバレになるので後述するが、事件の真相に全く魅力がないこともサスペンスとしては致命的だった。

「真相が気になって仕方ない」から、「もうどうでもええわ」になってくるのである。

どんでんの大安売り ※ネタバレあり

ベスは警察にケイトの失踪届を出そうとするのだが、「どこかに遊びに行ってるんでしょ」とけんもほろろの対応で、独自捜査をせざるを得なくなる。

で、調べていくうちに、旅先で関係した男達がどいつもこいつも疑わしいまっくろくろすけであることが分かってくる。

  • 昨晩飲んだイケメン二人組は怪しいエスコートサービスだった
  • ベスの夫はケイトと不倫をしていた
  • タクシー運転手は人身売買組織との関係があった
  • ホテルの管理人は全室に隠しカメラを設置している変態だった
  • 事件担当の刑事は、捜査対象の女性に手を出すゲス野郎だった

こうして次々と現れる新容疑者に翻弄される展開こそが本作の醍醐味なのであろうが、私は全く乗れなかった。

いくらサスペンスとはいえ、ここまで怪しいこと尽くめだと「んな阿呆な」となってしまうし、これほど展開の飛躍が許される物語となればもはや何でもあり状態で、真面目に推理しながら見ていることが馬鹿らしくなってくるのである。

そして、これだけ観客を揺さぶろうとしながらも展開は単調。「実は●●は××でした!」というどんでんを一定のテンポで繰り返すだけなので、次第に驚きも薄れてくる。

また怪しい人物と主人公が揉み合いになる→ちょっと突き飛ばす→当たり所が悪く、相手に致命傷を負わせるという、火曜サスペンスのような安っぽい展開で話が進んでいくのもいただけない。

しかもこの揉み合いからの突き飛ばしパターンが2連続で炸裂するので、悪い冗談かと思った。

最後の最後はベスの夫が真犯人だったということになるのだが、いくら親友を殺した犯人とはいえ、大事な娘の父親でもある。

ベスとしては娘を殺人犯の家族にしないためにも、真相は黙っておいた方がいいのではないかという逡巡こそがここにあるべきドラマだったと思うのだが、その点に主人公が思い悩むことはなく、即警察に通報。

この展開のお気軽さも好きではない。

本編中にあったどんでんを2~3個削ってもいいので、真相に辿り着いた後の主人公のドラマを肉厚にして欲しいところだった。

ちょっと気になったポリコレの件

ポリティカル・コレクトネス、略してポリコレ。

偏見・差別を含まない中立的な表現を用いることを指すのだが、これが映画という創作物の表現の幅を狭めているのではないかいう問題は、このブログで何度か指摘してきた。

で、本作でも同様の問題が発生していた。

ポリコレの観点から、移民や有色人種は最終的に悪者にはならないだろうという予断を持って見ていると、実際にその通りになったのである。

いろんな容疑者をあげて「この中の誰が犯人でしょう」とやっているサスペンスドラマで、劇中に提示される情報以外の要素から絞り込みが出来てしまうという状況は、やはり好ましくないだろう。

私は有色人種なので、欧米社会におけるポリコレでは配慮される側なのだろうが、全くのいらん心配である。

映画に登場する有色人種が良い人として描かれたところでこちらの気分が晴れるということもなし、過度に悪く描かなければ問題なし程度の姿勢で構わないのだが、欧米社会はそうもいかないのだろうか。

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