テキサス・チェーンソー_並レベルの恐怖【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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スプラッタ
スプラッタ

(2003年 アメリカ)
綺麗にパッケージ化されたことで『悪魔のいけにえ』の突出した部分がなくなり、スラッシャー映画としては標準的な作品となりました。言われるほど悪くはないが、オリジナルと比較されるとツラくなる、そんな映画。唯一勝っていたのはヒロインの華とエロさでしょうね。彼女のタンクトップのインパクトはチェーンソーを越えてました。

作品解説

『悪魔のいけにえ』のリメイク

本作はスラッシャー映画の始祖である『悪魔のいけにえ』(1974年)のリメイク。

その製作に乗り出したのはハリウッドの破壊大帝マイケル・ベイで、彼が新設した低予算ホラー専門の制作会社プラチナム・デューンの第一回作品として、2001年にリメイク権を取得しました。

当初は、オリジナルの生みの親であるトビー・フーパーとキム・ヘンケルが脚本を執筆していたらしいのですが、その後『マシニスト』(2004年)で注目されていた気鋭の脚本家スコット・コーサーがサインオン。

『マシニスト』は脚本執筆から撮影開始まで数年空いたため、先に公開された本作が彼のデビュー作となりました。

コーサーは、オリジナルには改善すべき点がまったくなく、競争しても勝ち目はないと考えたことから、別物として製作するという方針を打ち出しました。

MTV監督 マーカス・ニスペルの映画デビュー作

監督に起用されたのはドイツ出身のMTV監督マーカス・ニスペル。本作が長編映画デビュー作となります。

マイケル・ベイを筆頭に、サイモン・ウェスト、アントワン・フークアなど90年代後半から2000年代前半にかけてはMTV出身監督が映画界においても引っ張りだこであり、例に漏れずニスペルも鳴り物入りの新人として期待されていたのですが、そのデビューにあたっては紆余曲折ありました。

当初、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『エンド・オブ・デイズ』(1999年)がニスペルの監督デビュー作になる予定でした。

しかし「コッポラやキューブリックに対するのと同じ態度で私に接しないのなら、きみたちと仕事をする気はない」などとスタジオとの打ち合わせに際して過大な要求をしたことから、総スカンを喰らって降板。

そこで悪評が付いたためか2000年以降は本業であるMTVの製作本数も減少しており、心機一転で臨んだのが、MTV監督としては先輩であるマイケル・ベイがプロデュースする本作なのでした。

本作後には、同じくマイケル・ベイ製作のリブート版『13日の金曜日』(2009年)や、1982年のシュワルツェネッガー主演作のリブート『コナン・ザ・バーバリアン』(2011年)などを手掛け、リメイク・リブートの職人となったのですが、結局、コッポラやキューブリックのような実績を残すことはできませんでした。

『コナン・ザ・バーバリアン』を大コケさせて以降はその名を耳にしなくなっていたのですが、2021年に監督を廃業し不動産業に鞍替えしていたと発表されました。

撮影監督ダニエル・パールは続投

本作の撮影監督は、オリジナルも手掛けたダニエル・パール。

テキサス大学オースティン校で修士号を取得したパールは、同校OBであるトビー・フーパーからの誘いで『悪魔のいけにえ』(1974年)の撮影監督に就任。

若干24歳の学生あがりのカメラマンでありながらその手腕は高く評価され、すぐに映画の仕事が舞い込むようになりました。

しかし『悪魔のいけにえ』のような奇跡的な作品にもう一度出会うことは難しいと考えたパールは、80年代に入るとMTVやTVコマーシャルに活動の場を移し、400本以上の作品を手掛けるほどの大成功を収めました。

1993年には当時MTV監督だったマイケル・ベイと仕事をしてるし、同じくMTV監督時代のニスペルとのコラボ歴もあります。

こうした人脈もあって、本作の監督に就任したニスペルから撮影監督に指名されたのでした。

酷評されたがヒットはした

本作は2003年10月17日に全米公開されましたが、批評家レビューは壊滅的で、批判的な意見が多数を占めました。

ただし興行的には絶好調で、初登場No.1を記録。全米トータルグロスは1億ドルを突破し、製作費920万ドルの10倍以上の収益をあげました。

インフレを加味しても、『悪魔のいけにえ』フランチャイズで最もヒットした作品となりました。

感想

良くも悪くも普通のスラッシャー映画

オリジナルの『悪魔のいけにえ』(1974年)は、撮影現場の極限状態までがフィルム上に収められた、異様な緊張感のある映画でした。

しかしそうした唯一無二の要素をリメイク版に移植することは不可能であると判断されたことから、本作は標準的なスラッシャー映画のフォーマットで製作されています。

商業映画としてのパッケージ化が施されており、オリジナルではラフだった部分が、本作ではしっかりと作り込まれています。撮影や編集の技術は格段の進歩を遂げ、華のある主演女優(ジェシカ・ビール)や有名俳優(R・リー・アーメイ)も起用されている。

陰惨な殺人場面に戦慄したかと思えば、飛び上がるほど驚く場面もあって、スラッシャー映画としては決して悪くはなく、短い上映時間も奏功して私は楽しめました。

ただし『悪魔のいけにえ』にあった、見ちゃいけないものを見てしまったかのような衝撃度はなく、良くも悪くも標準作の枠内に収まったなという印象ですが。

基地外一家の不条理さ減少

中でも痛かったのは、基地外一家の不条理さが減少したことですね。

1974年版のソーヤー家の何がヤバかったって、こちらと同じ言語を話しているはずなのに、全く意思疎通ができないということです。

泣こうが騒ごうが命乞いをしようが、こちらの言っていることは全く耳に入っていないかの如く振る舞い、対象が人間であるという感覚が全くない。それが底抜けの恐怖に繋がっていました。

一転して本作のヒューイット家の面々とは、意思疎通ができるんですよね。

「なんでこんな酷いことをするの!?」

「お前らがうちの子を見て笑ったからさ!」

もちろん、ありもしない差別の存在を理由にするという動機がおかしかったり、こちらの弁解に全く耳を貸さないという不条理さはありますよ。ただし、そうはいっても会話は成り立つのです。

この点が、会話すら成立しないソーヤー家と比べると大人しく感じられました。

また、くだんのおばちゃんは息子への愛情が高じて他人を警戒していたり、車いすのおじちゃんは若い子のケツを触ったり、保安官のおっさんはとにかく偉ぶろうとしたりと、各自に理解可能な欲求があるという点も、恐怖のリミッターになっています。

一方、ソーヤー家の狂い方はそんなものではありませんでした。

生きているのか死んでいるのかも定かではないじじぃに生き血をすすらせようとするなど、一体何の得があるのか、それをやったところで何がどうなるのかもよく分からないことで、家族全員のボルテージが最高潮に達する。

この人たちの価値観が全く読めない、何がスイッチになるのかも皆目見当がつかない。よって取引も駆け引きも通用しない、ただ殺されるしかないんだろうなという絶望感が物凄かったのです。

ジェシカ・ビール>レザーフェイス

さらに追い打ちをかけたのが、主演のジェシカ・ビールの魅力が破壊的なレベルに達していたということで、ただでさえ影の薄くなっていたレザーフェイスは、インパクトの面で彼女に完全敗北してしまいました。

成人したばかりのジェシカ・ビールにとって本作が初の大役となりましたが、直後にスターになる逸材だけあって華が凄い。

戦う女性の正装であるタンクトップ姿で、しかもへそ出し。確かにオリジナルのサリーも露出度の高い恰好をしていましたが、ここまでではありませんでした。

ジェシカ・ビールの目の保養感はチェーンソーのインパクトを掻き消すほどの勢いであり、もはやタイトルを「テキサス・タンクトップ」に変えるべきだと思ったほど。

作り手側も完全にジェシカ推しになっており、彼女が演じるエリンへの依怙贔屓が物凄いことになっています。

他の奴らはハンマーで殴られたり、フックに引っかけられたりと物凄い状況でぶち込まれる地下室に、彼女だけは無傷で閉じ込められ、「監視のない今のうちにどうぞお逃げください」状態となります。

しかもヒューイット家唯一の良心であるガキンチョによる脱出経路ナビゲーション付きで。

逃げたら逃げたで、普段は容赦なくチェーンソーで斬りかかってくるレザーフェイスが、エリンを襲う時だけは後ろから羽交い絞めにしてくるなど、絶対に死なせないという配慮が見られます。

ここまで依怙贔屓されたことでエリンは最強化し、基地外一家から逃げ切るに留まらず、反撃することに成功した唯一の被害者となりました。

ただし、クライマックスの流れがあまりにも不自然だったので、ハラハラドキドキはさせられませんでしたが。何としてでもエリンに勝たせたいんだなという作り手側の意思が、途中から見え見えになってしまうので。

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