埋もれる(2014年)_後半逸脱しすぎ【5点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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社会派
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(2014年 日本)
Amazonプライムでたまたま見かけて何となく見始めた映画。本来はWOWOW制作のドラマのようですね。内部告発者のその後という興味深いテーマや、薄皮を剥がすように過去が明らかになっていくという構成など見るべきものはあるのですが、ある時点を境に物語が期待とは異なる方向へと走り始めて、その着地点にあったのは意外性よりも失望でした。

あらすじ

北見(桐谷健太)は食品業界の大手企業に勤めるエリートサラリーマンだったが、会社の不正をマスコミに内部告発したことから退社。家族への相談もなしに内部告発に踏み切ったことを妻から責められて離婚し、富士野市の実家に戻って市役所の非常勤として採用された。市役所職員としてゴミ屋敷への対応を任されたところ、その隣家に住む中学時代の同級生・浅尾(国仲涼子)と再会。現在はシングルマザーとなった浅尾との親交を深める北見だったが、中島市長(大友康平)の汚職や、ゴミ屋敷の強制撤去など、見過ごせない事象に直面する。

作品概要

現実の食品偽装問題

本作は一部上場の大手食品会社に勤める主人公が、食品偽装を内部告発したという設定が置かれています。

これは2002年から2004年にかけて次々と発覚し、大手だった雪印食品が廃業解散にまで追い込まれた食肉偽装事件をモチーフにしているものと思われます。

雪印食品の例をちょっと詳しく振り返りますが、これは助成金詐欺事件でした。2001年9月に国内で初めてBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)の疑いのある牛が発見され、翌10月に農林水産省は国産牛肉の買い取りを実施。

これに対して雪印は外国産牛肉を国内産牛肉のパッケージに詰め替えて、農水省から2億円の助成金をだまし取りました。

2002年1月、雪印と取引のあった冷蔵会社の内部告発により産地偽装が発覚し、農水省が雪印を詐欺罪告発。雪印本社が家宅捜査を受ける事態となり、2月22日には経営再建を断念して会社の清算を決定。3月30日にすべての営業活動の停止と全社員の解雇、4月30日の臨時株主総会で解散となりました。

内部告発者のその後

ある個人が内部告発をすれば、自分に給料を払ってくれていた会社に業績面で大ダメージを与えることとなります。悪ければ倒産し、自分自身も、不正に関わってもいない真面目な従業員も、みんな経済的損失を被ります。

職場の仲間達からは恨みを買い、人間関係も壊れます。内部告発者は社会的にはヒーローであっても、周辺の人々からは悪人扱いを受けるわけです。

内部告発者の追跡記事を読むと、その後幸福になった人などいません。以下は2007年にミートホープの食肉偽装を告発した当時の常務取締役の言葉です。

あの時はね、やはり勇気があったと思う。(会社が)こんなことしていいのか、と。すべてが偽装だったんだから。でも、今になってみればね、『バカなことをしたな』という気持ちが強いね。社会的には意義があったかも知らんけど、本人の利益を考えたらだめですね。後悔したって仕方がないけど、返り血が大きすぎますから。

https://news.yahoo.co.jp/feature/629

登場人物

  • 北見透(桐谷健太):一部上場企業である金丸フーズの産地偽装を内部告発して退社。富士野市の実家に戻って市役所の非常勤として働き始めるが、時事問題の内部告発者であったことで周囲から良からぬ注目を集める。中学時代に同級生の浅尾に告白してフラれた過去を持つ。
  • 田島由香(伊藤歩):北見の元妻。家庭の経済的リスクや世間から受ける好奇の目も顧みず内部告発に踏み切った北見に憤慨し、幼い一人娘を連れて離婚した。
  • 浅尾葉子(国仲涼子):北見の同級生で、現在は中学生の息子と二人暮らしのシングルマザー。ゴミ屋敷の隣家に住んでいることから北見と再会し、親交を深める。
  • 加藤稔(水橋研二):北見、浅尾の同級生で、富士野市役所勤務。非常勤として入って来た北見の上司となるが、一部上場企業での勤務歴を持ちキャリアでは格上の北見相手にやりづらさを感じている。
  • 中島茂樹(大友康平):富士野市市長。土建業者との癒着が噂されている。市内のゴミ屋敷撤去の準備を進めている。
  • 熊沢加代子(緑魔子):富士野市のゴミ屋敷に住む老婆。

感想

タイトルの意味

『埋もれる』というタイトルは、内部告発者である主人公に対して、長いものに巻かれること、組織に埋もれることを示しています。

また本作にはゴミ屋敷も登場するのですが、このゴミ屋敷の中に埋もれていたもの、そしてそれを埋めざるを得なかった人々の過去も示していると思われます。

内部告発者の苦悩

本作はキャメロン・クロウ監督の『ザ・エージェント』(1996年)のような構造となっています。

『ザ・エージェント』はキラキラした世界の住人であるプロスポーツ選手のエージェント(トム・クルーズ)が、経済本位ではなく選手本位のマネジメントをしようと心を入れ替える話でしたが、初見時には主人公の転機を冒頭に持ってきたという構成に驚きました。

通常の映画であれば、いろいろあった末に主人公が選手本位のマネジメントに辿り着いてめでたしめでたしとするのですが、『ザ・エージェント』では善意に目覚めて行動した「その後」を描いているのです。

心ある経営を実践したって、それで主人公の人生が万事順調になるほど世間は甘くない。収入は激減し、友人にも婚約者にも花形選手達にも去られ、主人公はどん底にまで落ちます。それが『ザ・エージェント』という映画でした。

本作も同じく。

主人公・北見(桐谷健太)は社会を揺るがした食品偽装事件の内部告発者としてマスコミからは英雄視されましたが、勤めていた会社を退社せざるを得なくなり、離婚によって妻子とも会えなくなって、仕方なく田舎に出戻って市役所の非常勤職員として働き始めます。

消費者を守った正義の人でありながら、その後に待っていたのは経済的苦境と、元同僚達から裏切り者扱いされ、家族からも三行半を突き付けられるという茨の道であり、正義の告発は自分自身も周囲の人々も傷つけました。

上記「作品概要」にも記載した通り、現実の内部告発者も多くの場合は不幸になっており、もし戻れるなら内部告発などしなかったと言っておられる方もいます。

北見もまた「自分は何のために内部告発したのか」という思いを持ちながら、今は静かに生きようとしています。

この純粋真っすぐで後先考えずに行動する無鉄砲さと、後悔を口にできない頑固さ、でも折れそうな心を抱えた北見という人物を桐谷健太は見事にものにしています。彼の演技には実に説得力があり、はっきりとは表明しないものの、内に秘めた後悔や迷いなどがよく伝わってくるのです。

この北見が、悪気のない人々から向けられる好奇の目に居心地の悪さを感じながらも、同級生で初恋相手でもある浅尾(国仲涼子)とちょっと良い仲になっていくことで、新しい人生への期待も生まれてくる。

彼が引っ張るドラマにはかなり引き付けられるものがありました。

後半にかけて迷走を開始するドラマ

ただし、市長の汚職やゴミ屋敷、浅尾の封印された過去といったサブプロットの数々が北見の物語とうまく馴染んでおらず、物語が進むにつれて「あれ?」という感じになっていきます。

前回の内部告発において「暴く」という行為で痛手を受けた北見が、新生活においても暴くのか暴かないのかという選択を迫られるような内容であれば一本筋も通ったと思うのですが、どうもそういった形で複数プロットがまとめられていないのです。

市長の汚職については視聴者目線でもそれほど悪いことが起こっているようには見えず、また北見も職場でこそ反発してみせるものの、個人として悩み苦しむレベルの向き合い方をしていないので、この件の内部告発を巡っての山場は特にありませんでした。このプロットは特段なくてもよかったように思います。

ゴミ屋敷については、その住人とのコミュニケーションすらロクに取れない中で北見がなぜそこまで肩入れしているのかが見えてこないし、このゴミ屋敷をどうしたくて北見が動いているのかもよく分からないので、メインプロットである北見自身のドラマに対してさほど影響を与えていません。

浅尾の過去については、↓のネタバレパートで書きますがその内容がぶっ飛びすぎていて作品のリアリティを奪う方向で作用しています。もはや内部告発というメインの題材と関係ないし。

せっかくよかった北見のドラマがサブプロットによって中断され、本筋がおかしな方向にねじ曲がったまま映画が終了した。そんな感覚を持ちました。

ラストの解釈 ※ネタバレあり

ラスト、いろいろあって北見と浅尾の関係は終わったものの、前妻との復縁には成功し、娘と一緒に釣りに出かけます。

いつもの場所で釣りをしていると、湖を覗き込んだ娘がボソッと「深いね。ここに落としたら絶対に見つからないね」と言います。

その言葉をきっかけに沈みゆく死体と、雨の中スーツケースを引く人物の後ろ姿のイメージがフラッシュバックし、絶望的な表情を浮かべる北見。

ここで映画は終了するのですが、ちょっと分かり辛かったので解釈を書いておきます。

まずスーツケースですが、これは中盤で登場したアイテムでした。北見がゴミ屋敷の中から偶然見つけたのですが、ゴミの山の中からこれが出てきた瞬間、ゴミ屋敷の住人が狂ったように騒ぎ出し、その中に何が入っているのか、なぜ住人がそれほど騒いでいるのか分からないまま、その場面は終了します。

その後北見は、浅尾の元夫がゴミ屋敷の住人の一人娘を車で轢き殺したこと、その事故が原因でゴミ屋敷の住人がおかしくなったこと、事故を起こした後に元夫は行方不明になって今に至っていること、浅尾と息子は元夫の暴力に苦しんでいたことを知ります。

これらの情報から、元夫の排除という目的で一致した浅尾とゴミ屋敷の住人が元夫を殺害したのではないか、死体を隠すためにあの屋敷はゴミ屋敷になっているのではないか、死体を入れたスーツケースが出てきてしまったので、あの時住人がパニくったんじゃないかと北見は推測します。

どうしても事実を確かめたくなった北見は再度ゴミ屋敷へと向かい、問題のスーツケースをこじ開けようとするのですが、そこに浅尾がやってきて、「もしそれを開ければうまくいっている私たちの関係も終わるが、それでも開けるのか」と言います。

うわべの均衡か事実の追及かという、内部告発をした時と同じ命題を突き付けられる北見ですが、愚直な北見は今回も事実の追及を選択し、スーツケースをこじ開けます。

しかしスーツケースの中に入っていたのは土であり、あると思っていた死体ではありませんでした。

北見の捜査はそこでいったん終わっていたのですが、湖における娘の一言によって、無関係だと思っていたもう一つのイベントと本件が繋がりました。

ある土砂降りの夜、浅尾の息子が家に帰ってこないという事件がありました。その時には土砂降りの中で息子が何をしていたのかなんてことを北見は考えてもいなかったのですが、後々振り返ってみると、北見にスーツケースが見つかってしまったので、息子がその中身を湖にまで捨てに行き、かわりに土を詰めてきたのではないかという推測が成立します。

浅尾による元夫の殺害と死体の隠滅はあったに違いない。そのことに北見は絶望したというわけです。

このオチはサスペンス映画としてはなかなか面白いとは思うのですが、内部告発を題材にした社会派映画のオチが組織vs個人とか経済vs倫理という命題から完全に外れ、過去の殺人事件の謎解きで終わった点には落胆の方が大きかったです。そんな終わり方をするのという。

で、このオチがハッピーエンドかバッドエンドかというと、これはハッピーエンドだと思います。

北見の運命はスーツケースをこじ開けるかこじ開けないかを浅尾に迫られた場面で決まりました。北見はそこでうわべの均衡よりも事実の追及を選択、かつて内部告発に踏み切ったのと同じ選択をしたというわけです。

この時には、土が詰まっているだけのスーツケースを開けたために浅尾を失って落ち込んだ北見でしたが、オチから振り返れば、情状酌量すべき背景があったとは言え過去に殺人を犯した浅尾とは切れておいて正解でした。

浅尾と切れたおかげで元妻との関係が復活し、何より大事に思っていた娘の成長を見守ることができるポジションに復帰できました。しかも愚直に事実を探求するという北見の姿勢が報われた結果でもあるのだから、やはりこれはハッピーエンドです。

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