日本のいちばん長い日(2015年)_これはこれで面白い再映画化版【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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戦争
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(2015年 日本)
終戦70年を記念した二度目の映画化ですが、会議体を主体にせず人間ドラマを中心とし、内閣は陸軍将校によるクーデターをどう抑え込むのかというポリティカルスリラーとしての味付けを加えたことで、これはこれで面白い映画となっています。

あらすじ

1945年4月、鈴木貫太郎内閣が組閣された。組閣目的は太平洋戦争を終わらせることにあり、鈴木(山崎努)は阿南惟幾(役所広司)を陸軍大臣に迎える。連合軍から出されたポツダム宣言に対して内閣はなかなか結論を出せずにいたが、広島・長崎への原爆投下、ソ連参戦を受けてようやく宣言受諾を決定。しかし主戦派の陸軍将校達は国体護持を目的にクーデターを画策していた。

スタッフ・キャスト

監督・脚色は『検察側の罪人』の原田眞人

1949年静岡県出身。『さらば映画の友よ インディアンサマー』(1979年)で監督デビュー。特撮の東宝とガンダムのサンライズが組んだ自称「史上初の実写巨大ロボットムービー」である『ガンヘッド』(1989年)の監督・脚本を務めました。

90年代に『KAMIKAZE TAXI』(1995年)や『バウンス ko GALS』(1997年)で高い評価を受け、『金融腐蝕列島〔呪縛〕』(1999年)以降は社会派のテーマを娯楽作に翻案できる監督として重宝されています。『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年)、『クライマーズ・ハイ』(2008年)あたりがその系統の作品ですね。

近年は日本映画界における大作の担い手の一人となっており、『関ヶ原』(2017年)、『検察側の罪人』(2018年)などを手掛けています。最新作は岡田准一主演の『燃えよ剣』(2020年)なのですが、コロナ禍の影響で公開が延期されています。

メインは監督業なのですが、英語に堪能であることを活かして戸田奈津子の日本語訳が却下された『フルメタル・ジャケット』(1987年)の字幕製作や、『ラスト・サムライ』(2003年)での大村役などでも知られています。

主演は『Shall we ダンス?』の役所広司

1956年長崎県出身。高校卒業後には千代田区役所で働いていたのですが、仲代達矢が運営する無名塾の試験に合格して俳優に転身しました。1980年にテレビデビューし、1984年のテレビドラマ『宮本武蔵』で初主演を務めました。

原田眞人監督の『KAMIKAZE TAXI』(1995年)で高評価を受け、『Shall we ダンス?』(1996年)、『失楽園』(1997年)が大ヒット。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『うなぎ』(1997年)にも主演し、短期間で日本を代表する俳優となりました。

原田眞人監督作品の常連で、他に『金融腐蝕列島〔呪縛〕』(1999年)、『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年)、『関ヶ原』(2017年)にも出演しています。

作品概要

1967年版との相違点

岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』(1967年)と同一の著作を原作としているのですが、名作の誉れ高い1967年版と同じことをしても仕方ないと判断したのか、本作はまったく異なるアプローチで作られています。

  • 1967年版がそのタイトルの通り1945年8月14日~15日の一日にフォーカスした会議体主体の流れをとっていたのに対して、2015年版は1945年4月の鈴木貫太郎内閣の組閣から終戦までの数か月を描き、その背景にある人間ドラマにスポットライトを当てている。
  • 1967年版では陸軍大臣阿南(三船敏郎)が好戦派として描かれていたのに対して、2015年版では役所広司扮する阿南は戦争をやめるしかないことを個人的には理解しており、配下の陸軍将校達の暴発を防ぐために好戦派を装っているという描写となっている。
  • 1967年版では昭和天皇(8代目松本幸四郎)をはっきりと映さないなど特別な配慮をしたのに対して、2015年版では本木雅弘が演じる登場人物の一人として扱っている。

後で個別に見ていきますが、これらの変更点は総じてうまく機能しており、1967年版とはほぼ別物になっているものの、これはこれでイケる再映画化版となっています。

感想

人間ドラマを主体としている

最大の変更点はこれですね。

前作は会議体での話し合いが作品の大部分を占めており、これが後の『シン・ゴジラ』(2016年)にも影響を与えることとなったのですが、1967年版は完璧すぎてこれ以上アレンジのしようもなかったのか、本作は会議を重視していません。

作品中盤にて阿南がいったん会議を中座する場面が象徴的なのですが、1967年版では中座後にも会議を描き続けたであろう場面において、2015年版では物語の視点はいったん会議を離れ、中座した阿南の後を追いかけていきます。

この会議がどんな結論を出したかはみなさんご存知ですよねということで、本作は会議の背後で各登場人物が何をしていたのかを追及しているのです。

各人物描写も1967年版からは大幅に変わっており、内閣総理大臣の鈴木貫太郎(山崎努)は好々爺として描かれ、重大事項も「まぁいいんじゃないですか」と言ってサラっと流すような飄々とした姿勢を見せます。

こういう人物であればこそ、終戦という重い意思決定とそこに向けた諸条件の整理ができたということの説明にもなっており、本作のドラマには実に説得力がありました。

主人公である陸軍大臣阿南(役所広司)にしても家族との描写が際立つようになっており、個人的な背景が描かれたことで観客にとって馴染みやすい人物となりました。

加えて、俳優が三船敏郎から役所広司へと変わったことの成果も現れており、三船が演じる阿南が軍人然としていてどこか余裕がなく感じられたのに対して、役所が演じる阿南は交渉力や調整力も発揮するより幅のある人間となっています。

鈴木貫太郎内閣が戦争を終わらせるための内閣だったことを考えると、役所広司が演じる阿南の人格の方が私はしっくりきました。

陸相阿南は部下の抑え込みに奔走

こうして内閣のドラマが整理されたことで、映画全体の方向性も1967年版から大幅に変わっています。

1967年版は上も下も大混乱の中で陸軍将校達のクーデター未遂が起こったという描き方だったのに対して、本作では少なくとも閣僚達は自分達のやるべきことを理解し、諸条件の整理に奔走しています。

そんな中で最大の不安要素は日本国内で本土決戦の準備をさせられてきた陸軍将校達であり、元気いっぱいの彼らは暴発寸前。

おまけに東条英機が「天皇陛下が誤ったご判断を下された場合には、力づくにでも正すことが忠臣である」などと言って焚きつけたものだから、彼らは「もしもの時は俺らが動くぜ!」とやる気満々になっています。

こうした組織を抱えた阿南の状況は絶望的であり、陸軍内が2派に分かれていると報告する腹心に対して「主戦派と終戦派に分かれているのか?」と尋ねると、「阿南を担ぐか担がないかで分かれている」との回答を受けます。

すなわち陸軍内に戦争をやめるという選択肢はなく、終戦論を口にした途端に阿南は孤立無援の状態に置かれるというわけです。そこで阿南は彼らの要望を聞き、閣議では将校達の意見を代弁しているフリをして組織内でのイニシアチブを維持することにします。

こうして阿南がどうやって将校達を抑え込むのかという明確な軸ができたことで、作品は面白くなりました。

加えて、若手将校達の描き方も1967年版より人間的となっています。1967年版では目を血走らせた狂信者の集まりのような描写だったのに対して、本作では将校内でも濃淡があって、本土決戦自体は支持するもののクーデターまでやるべきかという消極論を唱える者もいます。

しかし畑中少佐(松坂桃李)のような過激派が事態をどんどん進展させて後戻りできない方向へと導いていくものだから、消極論者達もずるずるとクーデターに巻き込まれていくわけです。この辺りの動きもよく考えられています。

天皇を登場人物の一人に加えている

本作では昭和天皇(本木雅弘)が明確に描写されているのですが、こちらもドラマに対して良い影響をもたらしています。

どれほど事態が極まっても声を荒らげることはなく、国民にとって最善の意思決定を内閣に要望します(当時でも天皇に直接の決定権はなかったため)。

議会制民主主義と君主制との間での葛藤を抱えた人物であり、個人的な思いや考えを表明することは極力控えて閣議にすべてを委ねているものの、何か問題があれば自分が出て行くという覚悟も持っています。

阿南の娘の結婚式がどうなったのかを気に留め、わざわざ足を運んでまで阿南に確認するという細やかな配慮のできる人物であり、王とはこうあって欲しいと思えるような理想的な人物として描かれています。

こうして天皇の存在が大きくなったことで、作品の争点も明確になりました。

この時期、陸軍の若手将校達だって一発逆転で戦争に勝てるなどとは思っておらず、本土決戦で敵を手こずらせ、こちらの立場が有利になってから和平交渉を開始するという一撃論を唱えていました。

そして彼らが有利な和平交渉にこだわったのは、国体護持を自分達の使命だと考えていたためです。国体護持とは平易に言うと天皇の地位を守るということであり、彼らは天皇を守るためにクーデター騒ぎまでを起こしたのです。国民のためという姿勢が全くないというのはどうかと思いますが、とりあえずそういうことでした。

作劇上、ここで天皇を人格者として描くことで、陸軍将校達が一体何を守りたくて頑なになっているのかが明確になりました。これは1967年版では不明瞭だった点であり、本作の改変はなかなか気が利いています。

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