日本のいちばん長い日(1967年)_日本人論として秀逸【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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戦争
戦争

(1967年 日本)
恥ずかしながら2015年版しか見たことがなく、Amazonプライムでの配信でようやっと鑑賞したのですが、物凄い熱量と密度を誇る大作ぶりに度肝を抜かれました。事実の切り取りに専念して思想的な色が付けられていないという点も良くて、ポリティカルサスペンスとしての完成度も高く、誰が見ても凄いと感じられる映画ではないでしょうか。

あらすじ

第二次世界大戦下の1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の連名で日本の降伏を要求するポツダム宣言が出された。翌日、鈴木総理大臣官邸で緊急閣議が開かれたが、結論が出ず当面は保留とされた。しかし英訳ミスもあってこのことが連合国に黙殺と伝わり、8月6日には広島に、8月9日には長崎に原子爆弾が投下され、戦局は極まった。8月10日の御前会議にてポツダム宣言の受諾が決定したが、徹底抗戦を訴える陸軍青年将校達は猛反発し、クーデターの計画を練り始めた。

スタッフ・キャスト

製作は藤本真澄と田中友幸

両名ともに日本映画黄金期を支えた大プロデューサーです。

藤本真澄は『青い山脈』(1949年)、『社長シリーズ』(1956-1970年)、『若大将シリーズ』(1961-1971年)などの青春映画・コメディ映画を多数プロデュース。生涯で300本近い作品をリリースし、その3分の2をヒットさせた剛腕でした。

田中友幸は特撮映画・アクション映画を多数プロデュースしており、『ゴジラ』(1954年)の生みの親として有名です。また黒澤明作品も手掛けており、東宝の制作部門のトップとして没年である86歳まで作品をリリースし続けました。

東宝の二大プロデューサーの共作ということで、本作がいかに気合の入った企画だったかが分かります。

監督は岡本喜八

1924年鳥取県出身。明治大学卒業後の1943年に東宝に入社し、助監督となりました。戦時中に招集され、戦友たちの死に直面したことが、後の戦争映画へと繋がっていきます。

『結婚のすべて』(1958年)で監督デビューし、『独立愚連隊』(1959年)で脚光を浴びました。

当初、本作の監督は『切腹』(1962年)と『怪談』(1964年)でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した小林正樹に内定していたのですが、プロデューサーの藤本真澄との折り合いが悪く降板し、岡本に白羽の矢が立ちました。

撮影前にすべてのカット割りを決めておくという技巧派であり、本作には2000枚以上の絵コンテを書きました。『風とライオン』(1975年)のジョン・ミリアス監督は岡本の熱心な信奉者だと言われています。

脚本は橋本忍

1918年兵庫県出身。国鉄勤務を経て陸軍歩兵連隊に入隊しましたが、結核にかかり永久服役免除。療養中に読んだ映画の本に触発されて脚本家を志し、軍需会社に勤務しながら脚本を執筆しました。

1949年にサラリーマン生活を送りながら芥川龍之介の『藪の中』を脚色したのですが、これが黒澤明監督の『羅生門』(1950年)として映画化されて、ヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞。その直後に会社を退社して専業脚本家となりました。

続けて『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)などの黒澤明監督作品の脚本を執筆。他に『ゼロの焦点』(1961年)、『切腹』(1962年)、『白い巨塔』(1966年)なども手掛け、日本映画界最強の脚本家となりました。

テレビドラマ『私は貝になりたい』(1958年)で監督デビューし、監督としても高い評価を獲得。中居正広が主演した2008年版の脚本も執筆しています。

1970年代に入ると『日本沈没』(1973年)、『砂の器』(1974年)、『八甲田山』(1977年)、『八つ墓村』(1977年)と大ヒット作を連発しました。

作品概要

東宝35周年記念作品

本作は東宝35周年記念作品として製作され、東宝が誇るスタッフ・キャストを一堂に参加させた超大作でした。ただし製作すること自体に意義があり、ヒットは期待されていなかったようなのですが、その硬派な姿勢が吉と出たのか、作品は大ヒットを記録しました。

なお、岡本喜八の大ファンである庵野秀明監督は『シン・ゴジラ』(2016年)を製作する際に本作をベースにしており、劇中登場する学者の役で岡本喜八監督の写真を使っています。

感想

事実の切り取りに終始した良作

こんなことを言うと右翼的だといわれるかもしれませんが、私は戦争をしてごめんなさい映画が好きではありません。

戦争をしてごめんなさい映画は負けたという事実から遡って戦時中に起こったことに後知恵で色付けをするので、どうしても作り手の考え方が前に出過ぎてしまうのです。

そもそも単純な善悪で色分けをする映画というものは面白くありません。勝った側にも何らかの野心はあったし、負けた側にも一定の理念はあったという物語の方が、客観的に面白いのです。

日本の戦争映画が押しなべて面白くないのは、この「戦争してごめんなさい」に帰着せねばならないという社会的背景を背負っているためだと思われます。

その点、本作は戦後22年目という戦中世代がバリバリの現役だった時代に製作されたので、戦時中の様子を作り手が勝手に上書きする余地が少なく、事実の切り取りに終始しているので、結果として面白い映画に仕上がっています。

日本人論として興味深い内容

本作の何が面白いかというと、国家存亡の危機というギリギリにまで追い込まれたところで、日本人の本質がドバっと現れているということです。監督と脚本家がどこまで意図していたのかは分かりませんが、本作は戦争映画というジャンルを超越して、より普遍的な日本人論としても優れています。

同じく敗戦国であるドイツの敗戦時の様子が描かれた『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2004年)と比較すると分かりやすいのですが、日本人はどこまで行っても個ではなく組織であり、論理ではなく情緒なんですね。

ドイツはヒトラーという独裁者がすべての意思決定を下しており、イエスマンしかその周囲には居ない状態。蚊帳の外に置かれた将校たちは戦争に負けることが分かっているのでヤケクソになっていて、ひたすら酒飲んで騒いでいます。もはや組織が崩壊しているのです。

一方日本はというと、会議体は機能し続けています。ただし降伏文書の記載をどうしようかとか、国民に敗戦を知らせるためのラジオ放送を何時にしようかとか、くそどうでもいいことばかりを長時間話し合っていて、肝心の「ポツダム宣言受託」という意思決定は自分達で下せず、天皇に決めてもらいに行くような有様です。

そして、天皇が宣言受諾を決定すると全員がおいおい泣きます。大のおとながそんなに泣くのかというくらい泣きます。

内閣はそんな状況なのに、一方で軍隊はなぜかやる気満々。また一兵卒レベルならともかく、高官クラスがその状態。戦況を把握すればもはや勝てる状況にないことは明白なはずなのに、本土決戦に持ち込めばとか、生き残っている成人男性の半分を特攻させればとか、ありえない理屈を引っ張り出して勝ち目を探すと主張するわけです。

というか、もはや理屈ですらありませんね。軍人は大臣クラスまでが情緒で判断していて、冷静な戦況分析を誰もしていないのです。

こうなってくると、酒を飲んでウサ晴らしをしていたドイツ軍将校たちの方がまともに見えてきます。その前段階において、戦争に勝てないという現実は見えていたのですから。

日本人は論理的ではない

ここから分かる日本人の傾向は、論理的ではないということです。

日本人のイメージ調査をすると「勤勉」「知的」「シャイ」という言葉が並ぶのですが、「勤勉」はともかく、「知的」「シャイ」は意外とそうでもありません。

私は仕事で海外との商談をすることもあるのですが、日本人と中国人が会議をして交渉が決裂した場合など、中国人はあの感じで猛烈にまくし立ててはくるものの、会議が終わるとケロっとして「協力して良いものにしていきましょう」などと声をかけてくれます。一方、日本人出席者は本当にキレていることが多い(笑)。

日本人は意外と論理や実利というものが見えておらず、情緒的に反応しているのです。そして、追い込まれると感情を剥き出しにする人の多いこと。

本作で言えば、宮城事件を起こした青年将校たちがこれに当たります。

日本軍の最高司令官は天皇であり、兵士達は天皇への絶対の忠誠を叩き込まれているはずなのですが、その天皇が「戦争をやめる」と決定してもそれを不服とし、決定内容を覆したくてクーデターを起こすという矛盾した存在となっています。

彼らがこだわったのは国体護持であり、ポツダム宣言を受諾すれば天皇の地位が保証されないと言って立ち上がったのですが、受諾を決定したのは当の天皇であるというとんでもない論理矛盾を引き起こしています。

しかし自分達が無茶苦茶なことを言っているという自覚はないんですね。もうキレちゃってるので。

目ん玉ひん剥いて国体護持を叫ぶ彼らは狂信者にしか見えないのですが、実は全員が高級官僚であり、高い地位と教養を持っているにも関わらず、暴走し始めるとこうなっていくのです。これが日本人の怖いところですね。

日本の知識層は思考の転換が苦手

彼らは「天皇陛下のために戦う」「戦争に勝つ」「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という叩き込まれた三大原則に忠実に生きており、パラダイムシフトの時が来たということを頑なに受け付けません。

その根底にあるのは、考えないことの気楽さではないかと思います。自分が信じてきたものを一旦捨て去ること、ゼロベースで考え直すことはなかなか難儀な作業であり、一本気に生きることの方が楽だったりもします。日本の知識層にはこの傾向があります。

昭和に大成功した日本型経営というモデルをなかなか変えることができないまま2020年代に突入してしまったことなどは、その最たる例ではないでしょうか。このままじゃジリ貧だということが薄々分かっていても、変えることの大変さ、変えたところでうまくいくかどうかは分からないという不確実性へのおそれから、昔の成功モデルに安住してしまうんですね。

本作においても日清・日露・第一次大戦と日本は負けたことがないというセリフが出てきます。それは、勝つことを前提とした従前モデルへのこだわりと、負け戦を前提としたソフトランディングモデルへの切り替えができないという凝り固まった思考を表しています。

ポリティカルサスペンスとして一級の出来

分刻みで描かれる宮城事件は素晴らしい出来でした。

複数の場所で何人もの将校が動き回る複雑な展開なのですが、その全貌を描きつつもフォーカスを充てるべき人物を数人にまで絞り込んでおり、観客が把握可能な情報量を維持し続けています。

重要な要素を抽出する技術、覚えておく必要のない要素を捨象する技術はものすごいなと感心しっぱなしなのでした。

加えて、唐突に残酷描写を入れたり、当時の大スター加山雄三を登場させたりと、要所要所で映画的なアクセントを加えており、観客の関心をどこにフォーカスさせるのかいうコントロールも行き届いています。

血走った目で玉音放送の原盤を渡せと迫ってくる将校たちに対して、「あれ?そこにありませんでしたっけ?」と言ってのらりくらりと要求を交わす宮内庁職員という対比構造もよく出来ており、銃を突き付けている軍人がテンパっており、銃を突き付けられた文官こそが肝が据わっている構図は痛快でもありました。

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コメント

  1. 通りすがりの映画好き より:

    「個より組織」「論理より情緒」の部分に、妙に納得しました笑

    私は1967年版を観た後に2015版を観たのですが、宣言受諾を知った時の畑中少佐の描かれ方?に時代を感じました(黒沢年男さんのの熱量が凄過ぎる!)