ビースト・オブ・ノー・ネーション_イドリス・エルバが強烈【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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戦争
戦争

(2015年 アメリカ)
少年兵問題を扱ったヘビー級の社会派作品なのですが、戦場の非情な現実を前にしつつも分かりやすい犯人探しをせず、全員に理由があるという切り口に作り手側の良心が宿っています。少年たちを兵士に仕立て上げるイドリス・エルバの家父長とも悪魔とも捉えられる複雑な個性は見事なものでした。

作品解説

脚色・監督・撮影は『007/ノータイム・トゥ・ダイ』のキャリー・ジョージ・フクナガ

本作は、医師で作家のナイジェリア系アメリカ人ウゾディンマ・イウェアラの同名小説を、日系アメリカ人監督キャリー・フクナガが脚色し、監督した作品です。

長編デビュー作『闇の列車、光の旅』(2009年)が示す通り、キャリー・フクナガは民族的な社会問題を題材にしたフィクションを得意としています。

映画学を専攻する以前には歴史文学や国際政治を学び、フランスのグルノーブル政治学院への留学経験もあることからも彼の関心の対象は明らかなのですが、ユニークなのはノンフィクションにはこだわっていないということです。

『闇の列車、光の旅』もそうだったし、本作も現実の社会問題をテーマにしたフィクションです。そしてフクナガは、フィクションにドキュメンタリーの手法を持ち込んでリアルに描くということを得意としています。

その手腕がフルに生かされたのがテレビドラマ『TRUE DETECTIVE/二人の刑事』(2014年)で、これは犯罪小説を元にしたフィクションなのですが、フクナガの技術によって実録モノのような生々しさがありました。

加えて銃撃戦の演出にもセンスを見せており、『TRUE DETECTIVE』第4話での10分間長回し銃撃戦はテレビドラマ史上の伝説の域に達しています。

こうした活躍が実を結び、ダニー・ボイル監督降板後の『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021年)の監督に抜擢。アメリカ人が007シリーズを監督するのは史上初のこととなります(異なるプロデューサーの元で生み出された『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を含めるならば2例目)。

エイブラハム・アターがヴェネツィア国際映画祭新人俳優賞受賞

本作は2015年9月3日にヴェネツィア国際映画祭で上映されて高い評価を受け、主人公アグー役のエイブラハム・アターが新人賞を受賞しました。

アグー役のオーディションはロケ地であるガーナで行われたのですが、なかなか良い子役が見つからずにいました。そんな中、放課後にサッカーをしていたエイブラハム・アターが偶然にも目に留まり、カメラテストの結果、フクナガ監督が彼で行けると確信したことからの起用となりました。

感想

元裕福な少年の地獄巡り

主人公アグー(エイブラハム・アター)は西アフリカの紛争国の子供なのですが、国連軍の監視を受けている緩衝地帯なので戦禍には巻き込まれずに済んでおり、また父親は地主でインテリなので、物質的にも精神的にも恵まれた生活を送っています。

しかし戦力の均衡は崩れて彼らの地元も戦禍に巻き込まれ、進駐してきた政府軍からスパイと見做されたことから家族は処刑されます。

ここから、一人だけ逃げ切ることのできたアグーのサバイバルが始まるのですが、裕福な少年が容赦のない現実に晒されるというストーリーからはスティーヴン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国』(1987年)を思い出しました。またスタジオジブリの『火垂るの墓』(1988年)も同じ骨格を持っていますね。

戦争という究極の大人の事情を描くに当たっては、その対極にある子供のイノセンスを中心に据えるアプローチが効果的だというわけです。

なおフクナガ監督は本作以前のインタビューにて、影響を受けた作品として『太陽の帝国』を真っ先に挙げており、両作の関連性はあると考えて間違いないでしょう。

悪魔であり優秀なリーダーでもあるコマンダー

空腹に耐えながら山で野宿するアグーは、反政府ゲリラと遭遇。

このゲリラには先ほどの正規軍とはまた違う怖さがあって、少年兵中心なので基本的には阿呆の集まり。放課後の学童クラブのノリで銃を撃ったり人を殺したりしているし、銃を構えれば大のおとなでもこちらの言いなりになることを面白がっているフシもあります。

いつぶっぱなしてくるか分からない怖さはこちらの方が上ですね。

アグーも、自分より小さい子供に絡まれてえらい目に遭うのですが、政府軍に家族を殺されたという境遇からこちらに引き入れることが可能と判断されたためか、少年兵見習いとして迎え入れられます。

そんなゲリラのトップに居るのがコマンダーと呼ばれる男(イドリス・エルバ)。

この男がアグーに銃を持たせたり捕虜を殺させたりと酷いことを押し付けるのですが、他方でゲリラ全体を疑似的な家族のような形でまとめあげ、戦災孤児たちに衣食住を与えているわけです。彼がいなければアグーだって山中で餓死していただろうし。

兵士一人一人としっかりとコミュニケーションを取り、子供達が些細な報告をあげてきても「ありがとう、よく教えてくれた」と言って自信をつけさせたりと、見れば見るほど教育者としては優秀なので、その評価には非常に困ります。

また戦闘に入ると自身が先頭に立って進軍するので、指揮官としても腹が座っています。

昔、ダニエル・クレイグ主演の『ディファイアンス』(2008年)という映画があって、これは第二次世界大戦中にナチスの迫害を逃れて森に立てこもったユダヤ人たちが組織化され、最後はドイツ軍と戦闘をする話でした。

『ディファイアンス』は英雄譚として描かれていたのですが、家父長的なリーダーに率いられた一般の若者が銃を取ってゲリラ活動をするという話は本作と変わりません。すなわち、コマンダーは英雄と同じパーソナリティを持っているのです。

この手の「悲惨な紛争もの」では誰か悪い奴を設定して、そういう奴らのせいで子供達が大変な目に遭うんだという短絡的な描き方をするのが常なのですが、本作では悪魔の所業を行うコマンダーを優秀なリーダーとしても描くことで、現実はそれほど単純ではないということを示します。

善悪二元論では片付けられない話

少年兵たちは被害者である、彼らを育成したコマンダーも唾棄すべき悪人ではない、では一体何が悪いのかというと紛争を起こすメカニズムということになるのでしょうが、この点も一筋縄ではいきません。

話を序盤に戻します。

政府軍に対してアグーの家族をスパイであると証言するのは地元の老婆であり、表面上、彼女は狂人として描かれているのですが、彼女から発せられる「あの一族が私たちの土地を奪った」というセリフからは、ルワンダ内戦のような根深い部族間抗争が背景としてあることが示唆されます。

すなわちアグーの先祖は、老婆本人もしくは彼女の先祖から土地を奪い、その土地の地主として君臨したという歴史があるのではないかと。

もしそうだとすると政府軍の力を使ってアグー一家を排除した老婆にも一定の理はあるということになるので、一体誰が悪いのかと言われると、これまた答えの出ない話になります。

気になった場面がもう一つ。

コマンダーが反政府ゲリラの本部に出頭する場面で、待合室には場に似つかわしくないスーツ姿の東洋人が同席しています。

このキャラクターが出てくるのはこの場面限りで、彼が一体何者で、何の話をしに来たのかも描かれないのですが、状況から察するに、現政権から国の統治を奪おうとしている反政府勢力との協力関係を作り、自国の利益に繋げようとする第三国であると考えられます。

このような外国からの干渉も紛争を発生させ、激化させる要因になっており、戦っている当事者だけが悪いわけではないということが示されます。

善悪二元論で片付けられない紛争の根深さを描いたという点からも、本作の考察の鋭さが伺えます。

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