(2002年 アメリカ)
評価の高いドキュメンタリー作品だが、私には一方的な解釈を押し付ける独善的な内容に感じられた。興味深い分析もなければ具体的な代替案の提示もなく、行動力だけはある自称ジャーナリストの自己満足的な活動を見せられた気になった。
作品解説
異例のヒットとなったドキュメンタリー映画
本作は製作費400万ドルのドキュメンタリー映画であり、しかもアメリカ銃社会がテーマという超ローカルな内容なのだが、全世界で5800万ドルもの売り上げを記録した。
河瀨直美監督『東京2020オリンピック』(2022年)の大コケからも分かる通り、リアルタイムのメディアが発達した現代においてドキュメンタリー映画には客が入らないのだが、そんな中でも本作は異例のヒットとなったのである。
さらには批評面でも大成功し、カンヌ国際映画祭55周年記念特別賞、ベルリン国際映画祭観客賞、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞など、全世界で多くの賞を受賞した。
感想
コロンバイン高校銃乱射事件
結構な話題作で劇場公開時に鑑賞し、我が家にはセル版DVDもあるのだが、個人的には好きではない映画。あらためて見たが、やはり受け付けなかった。
奇妙なタイトルは「コロンバイン高校銃乱射事件はボウリングのせいじゃないか」という意味。
コロンバイン高校銃乱射事件とは、1999年4月20日に2名の同校生徒が学校で銃を乱射し、12名の生徒と1名の教員を射殺。24名の怪我人を出し、犯人は自殺という痛ましい結果をもたらした事件である。
犯人2人はトレンチコートマフィアを自称しており、体育会系からの執拗ないじめを受けたことの恨みを晴らすべく武装したのだが、そんな彼らが愛聴していたアーティストがマリリン・マンソンだったので、一時期、マンソンがバッシングを受けるということがあった。
タイトルはこの世論を揶揄したもので、「犯人2人は事件前にボウリングをしていたのだから、マンソンを批判するならボウリングの悪影響も疑ってみたら?」という皮肉が込められている。
なのだが、後述する通り、監督のマイケル・ムーア自身も安易な決め付けや短絡的な悪者探しをするので、第三国人の目からすると同じ穴の狢ではあるが。
偏見だらけのドキュメンタリー
では具体的に本作の何が気に入らなかったのかと言うと、一方的な思い込みのみで走るという点に面白みを感じなかったのである。
マイケル・ムーアは短絡的にマリリン・マンソンのせいにした保守派の価値観に疑問を呈し、自ら銃撃事件の根本原因を探ろうとする。
そして隣国カナダもアメリカと同じ銃社会であるにも関わらず、銃犯罪の発生率は遥かに低いという事実に辿り着く。
そこで銃の存在自体が問題ではなく、恐怖を煽る社会風土が人々に引き金を引かせているのではないかという結論をいったんは出すのだが、その後も銃器を販売する小売店や全米ライフル協会への非難をやめない。
これでは結論ありきで突っ走っているようにしか見えないし、真実を求めるジャーナリズムではなく市民運動家的な独善性も感じられる。
コロンバインの被害者である車いすの少年をKマートに連れていくくだりなんて最悪だった。あんなことをされれば企業側が大人の対応をせざるを得なくなるのだが、ジャーナリストであればパフォーマンスではなく言論で相手を納得させるべきだった。
第三国人である私は銃規制に特段賛成でも反対でもなく、アメリカ社会で何が起こっているのかを知りたくて見ているのに、途中から考察をやめてしまったことにはガッカリだった。
そして、根拠も提示せずに全米ライフル協会が悪いと言い切ってしまうのは、マリリン・マンソンを悪者にした保守系メディアと同じじゃないかと思うのである。
チャールトン・ヘストンは立派だ
そして劇場公開時にとりわけ話題となったのがチャールトン・ヘストンへの突撃取材だが、ここでのムーアの振る舞いは特に酷いと感じた。
このサイトをお読みの方ならご存知の通りチャールトン・ヘストンは1950年代から70年代にかけて大活躍した大物俳優である。
ヘストンは1998年に全米ライフル協会の会長に就任し、2003年までの5期に渡って在位した。
で、本作でヘストンはマイケル・ムーアからの突撃取材を受け、痛いところを突かれてインタビューを打ち切ったように見える映像が予告などで繰り返し使用されたことから、随分と評判を落とした。
なのだが、本編を見ると印象が全然違うではないか。
自分に対して敵意を持つ相手が自宅に押し掛けてきたとなれば、普通なら「アポをとって出直して欲しい」と言って断る。少なくともリベラル系の言論人ならばそうした対応をとるはずだ。
しかしヘストンはムーアを自宅に入れて、カメラを回す許可も出した。そして敵意剥き出しの質問攻撃を受けても、怒ったり取り乱したりせず冷静に対応している。
公開討論の場ではなく自宅でそうした発言をされるのは常識的に考えて無礼なのだが、ヘストンはムーアの態度に対して不快感を示さないよう努めている。なかなか紳士的な男ではないか。
確かにヘストンの歯切れが悪い場面もあるのだが、相手を論破するつもりで周到に準備してきたムーアと、事前情報なしでいきなり自宅に押し掛けられたヘストンでは、条件があまりに違いすぎるということは理解すべきだろう。
ヘストン側がきっちりと準備できていれば、結果はまた違ったのかもしれない。
そしてマイケル・ムーアはゲリラ取材が持ち味と言うのだが、それはフェアな討論の場では勝てないことの裏返しではないかとも思う。
もう一つヘストンを擁護しておくと、彼は頭の固い保守派として認識されているが、1960年代から70年代にかけての公民権運動では人種差別反対の旗振り役となり、ワシントン大行進にも参加した男の中の男である。
そうした確たる実績を斟酌しない本作での扱いも不快に感じた。
【余談】アメリカで銃規制が進まない理由
映画の感想はここまでで、以降は鑑賞後にあれこれ考えたことを備忘的に書いていく。関心ないよという方は、ここで読むのを終えていただいても大丈夫です。
銃のような危険な代物がスーパーで売られているのは私の目からもおかしいし、もしも日本で銃販売を解禁しますと言われれば、全力で反対する。そこはマイケル・ムーアと同調できるところだろう。
アメリカ銃社会はそれほどまでに異常な状態にあるのだが、他方で銃規制は一向に進まない。それはなぜかと言うと、憲法に定められた国民の権利だからである。
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。
アメリカ合衆国憲法修正第2条
映画では銃規制に反対する全米ライフル協会が屁理屈を言っているように見えていたが、彼らの主張は「憲法に定められる権利を守れ。国家権力がそこに制限を掛けてはならないと書いてあるだろ」というものであり、修正第2条を念頭に置くと、至極当前のことを訴えているに過ぎない。
じゃあ憲法を変えればいいじゃんとなるが、改憲が難しいのは日米共通の問題である。
アメリカでの改憲には上下両院で2/3以上の賛成を得て、かつ、全米50州のうち2/3の批准が必要であるとされており、絶望的なまでに不可能なことだと言える。
加えて、アメリカという国のアイデンティティも絡む話だから厄介。
修正第2条が定められたのはアメリカ独立から15年後の1791年であるが、『パトリオット』(2000年)などを見ても分かる通り、独立戦争では民兵が戦力の一端を担っていた。
つまり国民が武装し圧政に立ち向かったという物語はアメリカという国家のアイデンティティの根幹部分にあるため、これは変えようがないのである。
だから民主党は「武装の権利はあるけど弊害が生じた部分には法規制をしましょう」というややごまかしのような主張をして、共和党は「憲法には権利に制限を掛けるなと書いてあるだろ」と反論する。
銃犯罪の深刻さを考えれば民主党の主張はごもっともなのだが、純粋な憲法論議となると共和党の方が正しいことを言っている。
両方とも正しい、これが厄介な状況を生んでいる。
日本ではトンデモ発言として報道されたドナルド・トランプの「教員が銃を持て」という発言も、あの社会のややこしい状況を考えると、決してバカにはできないのである。
コメント
いつも楽しく拝見させて頂いております。
初めてコメントさせていただきます。
同じくコロンバインド高校銃乱射事件をテーマにした、ガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」のレビューをお願いしてもよろしいでしょうか?
コメントいただき、ありがとうございます。
エレファントは劇場公開時に見たっきりなので、再見してからレビューしますね。