パラダイス-人生の値段-_着想だけは良かった【5点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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(2023年 ドイツ)
余命が取引される社会で破産したカップルが辿る地獄という着想こそ良かったけど、そのネタをどう発展させていくべきかのビジョンはなかったようで、行き当たりばったりの誘拐計画というどうでもいい本筋に突入していく。冒頭20分だけは見る価値あるけど、それ以降は飽きたら見るのを止めても問題ない。

感想

「時間=金」という真理

ネットフリックスの映画ランキングの上位に入っていたので、何となく視聴。

余命が取引される社会と聞いて真っ先に思い出したのは、アンドリュー・ニコル監督のSFアクション『TIME/タイム』(2011年)だった。

不老不死が実現した未来において余命が貨幣の代替物になったという設定こそ鋭かったが、その後に続く展開を思い浮かばなかったのか、主人公が銀行に押し入っては溜め込まれた時間を奪って貧困層に配るという、訳の分からん終わり方をして失笑を買った『TIME/タイム』。

おまけに篠田麻里子の吹き替えが酷いを通り越して逆に見せ場になったこともカックンであり、個人的にはいい思い出のない作品だった。

そして本作であるが、『TIME/タイム』と同じく第一幕だけは面白かった。

余命を人から人へと移す技術が確立された未来。富裕層は他人に対して高額オファーを出して余命を買い取り、貧困層は金を稼ぐために自分の残り時間を差し出している。

街に目をやると、大学生と思われるグループの中に一人だけ中年男性が混ざっている。彼は自分の余命を売って学費を得たのだろう。

「時間=金」という構図は興味深い。それは経済社会の真理を突いたものだからだ。

私自身、一日の時間の大半を、金を稼ぐという目的のために費やしている。

将来金を稼ぐ能力を獲得するため幼少期から勉強に精を出してきたことまでを考えると、我々は金を稼ぐために膨大な時間を差し出してきたと言える。

そうした現実社会をカリカチュアしたのが本作の設定であるからこそ、一見すると荒唐無稽な世界観であるにもかかわらず、そこに何かしらのリアリティを感じるのである。

主人公マックスは、寿命売買の仲立ちを行う大企業AEON社のエージェントであり、社長賞を受賞するほどの敏腕である。

今日も貧しい移民の若者相手に「君の人生をほんの5年だけ売れば、家族が望む暮らしを送れるよ。それは素晴らしい選択肢じゃないか」と言って勧誘活動に勤しんでいる。

ある意味でマックスの言うことは的を射ている。

貧困層がまとまった金を稼ぐためには膨大な時間が費やされるということを考えると、余命を売って手っ取り早く大金を稼ぐという方法も、時間を金に換えるという点では本質的に等価ではないかと思えてくるのだ。

だからマックスは自分が正しいことをしていると思い込んでいる。自分自身が当事者として巻き込まれるまでの話だが。

大企業でも有望なマックスは自信満々で、身の丈を越えた高級マンションに妻エレナと二人暮らしをしている。将来も上り調子だろうと踏んでいるわけだ。

しかし、ある週末にエレナの実家に帰省して戻ってきたところ、大事なマンションが燃えているではないか。

消し忘れたキャンドルの火が出火原因なので火災保険は下りない。銀行からは住宅ローンの一括返済を求められているが、そもそもが身の丈に合わないローンだったので返せるアテはない。

そうこうしているうちに銀行は強制執行に踏み切り、担保として差し入れていた妻エレナの40年分の余命が奪われてしまう。

若くて美しかったエレナはヨレヨレの初老になり、妊娠していた我が子も流産してしまう。

他人に対するこれまでの振る舞いも忘れて「こんなの間違ってる!」と憤るマックス。

ここまでの展開はとても面白く、本作は上々の滑り出しをしたと言える。

第二幕以降はグダグダに

何としてでも妻の寿命を取り戻したいマックスは各方面を当たって回り、そのうち、AEON社CEOソフィー・タイセンこそが妻の寿命を奪った張本人だという事実に辿り着く。

どうしても妻の寿命を返して欲しいマックスはソフィーを誘拐し、リトアニアの闇医者の元で手術を行うという手はずを整える。

それまで社会派的に推移してきた物語が、突如誘拐という方向に振り切れたことには大いに違和感あったが、こちらの戸惑いなどお構いなしに、やると決めると即実行のマックス。

有能ではあるが所詮はサラリーマンに過ぎなかったマックスが、複数人のボディガードを従えた世界有数のセレブの誘拐にいとも簡単に成功するというくだりは、あまりに強引すぎたが。

この辺りから本作のリアリティラインはどんどん崩れていき、ド素人のマックスが何だかんだでうまくこなしていって、ついにリトアニアにまで辿り着いてしまうという、ご都合主義の塊のような物語が展開される。

もうグダグダである。

第三幕に入ると、ソフィーだと思っていた人物が、実は娘のマリーだったことが発覚するだの、AEON社への武力行使を躊躇しないテロ組織までが絡んでくるだの、より一層サスペンスアクションの度合いを強めていくのだが、こうした要素が強くなればなるほど、「時間=金」という第一幕でぶち上げた大テーマが希薄化してしまう。

きっかけとなったマンション火災もエレナの余命が欲しかったソフィーの陰謀だったことが発覚するに至り、この設定に込められた寓意など吹き飛んでしまった。

最終的にはテーマなどほぼ関係のないところに落ち着くのだから、『TIME/タイム』と同じミスを犯したと言える。社会性を帯びたSFは発展のさせ方が難しいのだろうか。

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