(2022年 アメリカ)
ダイバーシティの時流の中で評価されただけの凡作。ギャグはつまらないし、ぐるぐると同じことを繰り返すだけで物語は進んでいかないし、長尺がキツくて仕方なかった。
感想
ネットフリックスで配信されていたのを鑑賞。
アカデミー賞7部門をはじめとして全世界の賞レースを総なめにし、興行的にも大成功した作品なので期待したが、見た感想は「つまらん」だった。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)、『バタフライ・エフェクト』(2004年)等、SF設定の中で現在の人間関係の重要性を再認識する主人公という映画はさほど珍しくもないので、その内容にさほどの目新しさは感じなかった。
マルチバース設定をミニマルな個人のドラマに落とし込んだのも『アナザー・プラネット』(2011年)という前例があるし。
自分とは何者かを模索する若者を主人公にしがちな中で、おばさんを主人公にしたことが本作の独自性だろうか。
ミシェル・ヨー扮するエヴリンはコインランドリーを経営する中国系移民。彼女自身は家族のために頑張っているつもりではいるが、せっかちな性格が災いして周囲に対する配慮に欠ける言動が多く、実は夫ウェイモンド(キー・ホイ・クワン)との関係も娘ジョイ(ステファニー・スー)との関係もうまくいっていない。
税務署から呼び出されたある日、別の宇宙の夫からの交信を受けて、別の宇宙の自分の力を得る方法を身に付け、マルチバースの脅威ジョブ・トゥパキと戦うというのが、ざっくりとしたあらすじ。
後半部分はちょっと何言ってんだか分からないけど、とりあえずそういう話だ。
自分のおかげで家は回っていると思い込み、自分の動きに合わせてくれない家族に対して辛辣なことを言うおばさんって確かにいるので、彼女の人物設定は面白かった。
ただし演じているのは『ポリス・ストーリー3』(1992年)、『グリーン・デスティニー』(2000年)のミシェル・ヨーである。
しがない主婦は仮の姿で、カンフーを身に付けたエヴリンこそが本当の彼女に見えてしまうという逆転現象が起こっているので、本質的にはミスキャストじゃないかと思う。
くたびれたおじさんおばさんが実はカンフーの達人だったという『カンフーハッスル』(2004年)のように作るべきだったと思うけど、やはりミシェル・ヨーという看板がないと製作費を引っ張れなかったんだろうか。世知辛い世の中だ。
おかしなことをやればやるほど遠くのバースの自分の力が身に付くという設定で、厳しい状況を乗り切るために突飛な行動をとる必要があるという、緊張の緩和が笑いの要素になっているんだけど、これが下ネタワンパターンでクスリとも笑えなかった。
アメリカ人なら大爆笑だったのだろうか?そのあたりの感覚の違いはよく分からない。
物語は「追い込まれる→変な行動→特殊能力で反撃」の繰り返しで、2時間以上かけるほどの量はない。途中で飽きてしまった。
その果てに待っているのは、別の宇宙の自分を見ることで今の自分がいかに恵まれているのかを知るという、誰もが予測可能なハッピーエンドなので、見終わった後は「やっと終わってくれたか」という感じ。
結局、本作が評価されたのって、ダイバーシティという潮流の中で評価せざるを得ない要素を多く取り込んだからではないかと思う。
- アジア系移民のファミリーストーリー
- 女性の人生観
- 性的マイノリティの苦悩
これだけ揃えられると、アカデミーとしては評価せざるを得ない。効率よく評価されるという点では、ある意味マーケティングの行き届いた作品だと言えるけど、本作が歴代作品賞受賞作と肩を並べて見続けられるかというと、そうでもないんじゃないか。
10年も経てば、「こういうのが評価される時代もあったね」なんて言われるのかも。
コメント
なるほど