(2018年 日本)
豪華キャストの熱演に支えられてそこそこ見ていられるし、いくつも並んだエピソードの中には面白いものもあったのですが、全体を貫く芯のようなものがなく最後まで個別エピソードがバラバラなままだし、最も重要な少年Aへの考察が甘いし、明確な欠点をいくつも抱えているので、つまらなくはないが評価低めです。
感想
最後まで交わらない群像劇
過去に罪を犯した人物、何かしらの負を背負った人物が何人も登場し、「贖罪とは」が描かれる群像劇。描かれるているものはざっとこんな感じで、さながら不幸の博覧会という感じです。
- 連続幼児殺害事件
- イジメに加担して同級生を自殺に追い込んだ
- 無免許運転で子供を轢き殺した
- 仕事に打ち込み過ぎる余り家庭を顧みてこなかった
- 妊娠した未成年者が堕胎しようとしている
- 過去のAV出演が原因の風評に付きまとわれている
一つ一つがかなりヘビーなドラマであり、豪華キャストの熱演にも支えられて見応えがあるのですが、2時間程度の上映時間にあまりにぶち込み過ぎで視点が散漫になっていました。
劇中では上記とは別の連続幼児殺害事件が現在進行形で発生しており、その犯人は一体誰なのかというミステリーを軸にしてすべてのエピソードをまとめるというビジョンはあったように思うのですが、その構成に失敗したためにてんでばらばらなままで終わってしまいました。
中でも佐藤浩市が演じる無免許運転のエピソードと、富田靖子が演じる家庭不和と堕胎のエピソードは完全に独立しており、他のエピソードとはかすりもしていなかったので、これらは無くてよかったと思います。
また、序盤では口数の少ない登場人物達の仕草や表情で心境を語ろうとする高いレベルの演出が施されていたのに、終盤になると説明的なモノローグで店じまい的に処理していく感じもガッカリでした。構成に失敗したのが丸出しという。
主人公がいろいろとおかしい
主人公は元雑誌記者の益田(生田斗真)。
正義感の強い益田は上司のゲスい編集方針に反発し、暴力を振るってしまったことから出版社を辞めたという設定なのですが、就職の時点でその雑誌のカラーは分からなかったのでしょうか。
この日本社会において社会正義を為し遂げたいのであれば雑誌という選択肢はまず外れるわけで、当然の仕事をしたのに殴られた上司が気の毒になります。
で、本職を失った益田はド底辺の町工場に流れ着くのですが、そんな極端なキャリアチェンジがあるかとツッコんでしまいました。元出版社勤務ならそこそこの学歴はあるだろうし、20代なら普通にサラリーマンとして転職できるでしょ。
あまりにありえなさ過ぎて、潜入取材のため従業員として町工場に紛れ込んでいたというドンデンでもあるのかと思っていたのですが、そんなこともありませんでした。
益田は中学時代に友人をイジメ自殺で失ったという過去を持っており、その時の後悔をいまだに引きずっています。
で、その友人の母さちこ(坂井真紀)との交流を持ち続けており、一人息子を失ったさちこは、見ることのできなかった息子の成長を益田に投影しているかのようでした。
しかし末期癌でもういよいよというさちこの元に駆けつけた益田は、なんとその場で「実は僕もイジメに加担していた側でして…」と衝撃の告白を始めます。
「やめて、私今死んでるところなのよ」と涙ながらに訴えるさちこ。
そりゃそうです。いじめで辛い思いをしていた息子にも益田君という安らぎはあったはずだという点に彼女は救いを見出しており、その後の益田との関係性を生きがいにしてきたのに、今まさに死ぬところでそれをひっくり返すのかと。
偽りであっても十数年もすがってきた物語を最後の瞬間に壊して欲しくないというさちこ側の心境には全く配慮せず、自分の罪の意識を軽くしたくて真実の押し売りをする益田の姿はヤバかったですね。
言いづらかったので今の今まで言えなかったけど、死んじゃったら永遠に告白できなくなるので臨終の人に衝撃のカミングアウト。画面に向かって「やめてあげて!」と叫びそうになりました。
『ブレイブハート』(1995年)で、「私のお腹にいるのはメル・ギブソンの子よ」と耳打ちして臨終のパトリック・マッグーハンを絶望に追い込んだソフィ・マルソー以来のやり口ですが、これを悪人に対してではなく被害者の母に対して行うという益田の鬼畜ぶりが光ります。
本作で一番のサイコパスは益田だったのではないかと思います。
少年Aの扱いはかなり雑
もう一人の主人公は鈴木(瑛太)。1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の少年Aがモデルになっています。
本作で描かれるその他の罪が常人でも犯しうる過失の先にある最悪の事態だったのに対して、鈴木の罪は人殺しに快楽を覚えるという本能的な衝動に近いものなので、随分と性質が違います。
で、この人物がいかにして罪と向き合っているのか、殺人衝動を持つ自分自身をどう認識しているのかが本作の一番興味深い部分であり、難しい部分でもあったのですが、驚いたことに本作はそうした考察を放棄しています。
瑛太の熱演のおかげでそこそこ見られるキャラクターにはなっているものの、結局のところ鈴木が罪とどう向かい合っているのかは描かれていません。
その考察の甘さを誤魔化すかのようにエキセントリックなキャラにしているのですが、ああいう作り込んだ感じよりも、一見すると普通の人間なのにたまに狂気を垣間見せるという見せ方の方が怖かったはずだし。
肝心かなめの部分が仕上がっていないので、やはり本作の出来は良くないと思います。
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