ちひろさん_ちひろ=お釈迦様【5点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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人間ドラマ
人間ドラマ

(2023年 日本)
人気コミックのNetflix製実写版。基本、いい話ではあるんだけど、起伏に欠けるので面白いわけでもなかったり、有村架純の演技は良いんだけど、本当に主人公に合っているのかと考えると疑問符がついたりで、ちひろさん同様に掴みどころのない映画だった。

感想

良い話ではあるけど面白くはない

劇場公開もされているらしいが、私はネットフリックスで鑑賞。

原作は安田弘之著のコミック(2013-2018年)なんだけど、漫画(というか本全般)をほとんど読まない私は未読。ネット情報によると、原作からの改変はほとんどないらしい。

主人公は弁当屋のバイトであるちひろ(有村架純)。元風俗嬢という前職を隠していない変わった人であり、世俗に囚われぬ彼女の生き方が、周囲も変えていくというのがざっくりとしたあらすじ。

  • 厳格な家庭環境にも学校でのうわべの友人関係にも馴染めない女子高生オカジ(豊嶋花)
  • シングルでホステスをしている母親との生活時間帯が合わず、ほとんどの時間を一人で過ごしている小学生マコト(嶋田鉄太)
  • 開店資金を持ち逃げされたちひろの元同僚バジル(van)

これらの人々がちひろからの影響を受けることになるのだが、かと言ってちひろは何かをしろともするなとも言わず、ただ困ったときに身を寄せる場になることで、彼らを緩く癒していく。

そしてコミュニケーションのきっかけとなるのが食事であり、人はただ生きているだけで腹は減り、ちひろは食事の機会を提供する。だからみんなちひろの元に集まりやすい。これが弁当屋のバイトという設定にもつながっているようだ。

一つ一つのドラマには明確なゴール設定も解決策の模索もなく、各自が何となく楽になっていくだけ。

これはこれで趣があると言えるが、この内容で130分は長すぎるようにも感じた。途中でダレるのだ。

本来は連続ドラマ、それも60分ではなく30分でやるとちょうど良い内容なのだろうと思う。

有村架純は名演だがミスキャスト

主演の有村架純はこれまで気にしたことのない女優さんではあるのだが、本作では名演を見せたと言える。

掴みどころがないのだが、たまにハッとさせられることを言う。こうしたふわふわとした役柄を見事ものにしているのだ。

また生足を出したり下着姿になったり、物凄く軽いものではあるが一応はベッドシーンも披露したりと、アイドル的なポジションにいた彼女が30代を前にしてより幅の広い役柄に挑戦しようとしているという意気込みも感じた。

そういった意味で彼女のパフォーマンスには文句はないのだが、そもそも有村架純が適役なのかという疑問は残る。

ちひろには酸いも甘いも嚙分けた人生の達人的な一面があるのだが、有村架純にはそのようなイメージがない。

そして元風俗嬢という肩書は周囲の男を刺激する。有村架純のルックスで「元風俗嬢です」と言い、心の垣根を設けずに誰とでも接しているさまを見ると、いつか危険な目に遭うんじゃないかと、物語の本質とは無関係な部分でハラハラさせられた。

ちひろというキャラクターには、相手に変な気を起こさせないためのある種の凄みのようなものがなければ物語は成立しないと思うのだが、有村架純にはそうした要素はない。

ショムニのテレビドラマ版に主演した江角マキコのような人がちひろのイメージであり、有村架純は本質的な部分でミスキャストだったと思う。彼女自身は悪くないが、彼女をキャスティングした人は判断ミスをしたと思う。

ちひろ=お釈迦様

兎にも角にも、ちひろの強みは無為自然であることだ。社会人が当然の如く持つ欲求だのしがらみだのから解放されることで、彼女は本質のみを見抜く力を得たらしい。

原作者である安田弘之氏の人生訓なのか、最下層にいる者こそが賢者のように振る舞うという物語が定番となっている。

序盤に登場するホームレスのじいさんを「師匠」と呼ぶのも、世俗からの解放こそが覚醒への道であることを象徴しているものと思われる。

『ショムニ』も、大企業という組織体における最下層であった庶務二課の面々が、偉ぶった奴らを斬るという内容だった。

本作も同じくで、ちひろも元々は俗世に囚われる生活を送り、自殺寸前にまで至っていたということが仄めかされるが、困った女性の最後の就職先ともいわれる風俗業界に流れ着いたことで、すべてから解放される境地に至った。

彼女は風俗業界を現在の自分のスタート地点であると考えているから、その経歴を隠さないし、業界を辞めた後にも源氏名であるちひろを名乗り続けている。

自分にも他人にも何も期待せず、自分がどうありたいのか、他人からどう見られたいのかも気にしない。来るもの拒まず去るもの追わずで、人間が関係が重くなりそうになると自分自身が姿を消すという決断も下す。

なんだけど、唯一断ち切れないのが血縁というもので、実の弟からの電話に面倒くさそうに出ては、母親の葬式にも行かないと言う。

オカジやマコトに接する際のヒューマニスト的な一面からは信じられないほど身内に対してはドライな態度をとるのだが、これは妻子を捨てて修行の道に入ったお釈迦様の物語のようだ。

仏教的な価値観が根底にあると考えると、なかなか深い話だったようにも思うが、あくまで現代のおとぎ話としての組み立てなので、良くも悪くも深刻になりすぎていない。

そのことが私にとっては物足りなかった。

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