ジャンヌ・ダルク(1999年)_聖女は電波系【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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中世・近代
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(1999年 フランス・アメリカ)
フランスの聖女を狂人として描いた大怪作。「神が『戦争しろ』なんてお告げを与えるわけがない」という当然のことを空前の規模で描き上げた意義深い作品でもあり、国際情勢が荒れている今こそ再評価すべきだと思う。

感想

フランス映画界のヒットメーカー リュック・ベッソン監督の時代劇。

公開当時はなかなかの話題作だったけど、私はあまり気に入らなかったのでその後に見返すことはなかった。ただし、どういうわけだかうちの棚にはセル版Blu-rayがある。いつ買ったのかさっぱり覚えておらず、私は映画ソフトを買う際に記憶が飛ぶのだろうかと若干不安になってきた。

未開封のまま数年間放置状態だったが、最近映画館で見たリドリー・スコット監督の『ナポレオン』(2023年)が妙に印象に残っていて、同じくフランスの歴史的英雄を描いた本作の存在を思い出したので、ようやっとBlu-rayを開封して観た。

おおよそ四半世紀ぶりの鑑賞となったけど、再見すると「こんな凄い映画だったっけ?」と驚いた。

何が凄いって、オルレアンの乙女、カトリックの聖女であるジャンヌ・ダルクを、完全な狂人として描いているのである。

13歳の少女ジャンヌは、お花畑を駆け回り、羊たちと戯れるアルプスの少女ハイジのような満たされた生活を送ると同時に、教会に通い詰める熱心な神様ファンでもあった。

しかし時は百年戦争の真っただ中、ジャンヌの育ったドンレミ村にも憎きイギリス軍が進駐してくる。阿鼻叫喚の最中、愛する姉は、ここで文字にすることも憚られるような胸糞の悪い方法で殺害される。

「あれだけ熱心に祈り続けたのに、なぜ姉さんは殺されたの?」

ジャンヌのもっともな問いに対し、神父さんは「神様にも何かご計画があるのだろう」とイマイチ要領を得ない回答しかしてこない。

もはや教会も神父さんも信用できん、自分自身が直接神と繋がるしかないと悟ったジャンヌは、やがて「神の使い」を自称するようになる。

もうこの時点で電波全開である。

公開当時から決して評判の良くなかった本作だけど、その批判の矛先としてよく挙げられていたのが、主演のミラ・ジョヴォヴィッチの演技だった。

しかし改めてみると、決してこなれていたわけでもない当時のミラの不安定な演技が、本作のジャンヌ像にはよく合っている。

神経質に顔を強張らせたり、ヒステリックに騒いだりと、演技のうまい女優さんなら絶対にやらないだろうというタイプの演技で、観客の目から見て直感的に「うまい」と感じるパフォーマンスではなかったことが、評価に差し障ったのだろう。

ちなみに、ミラは本作のオーディションを一度落とされているらしい。

もともと本作は、後に『ハートロッカー』(2008年)でアカデミー賞を受賞することになるキャスリーン・ビグロー監督が10年ほど温めてきた企画であり、当初、リュック・ベッソンはプロデューサーとして参加していた。

その際に、当時のベッソンのパートナーだったミラもジャンヌ役のオーディションを受けていたのだが、90年代後半に絶大な人気を誇っていたクレア・デーンズが主演の有力候補であり、ビグローはミラを起用する予定がなかったようだ。

「うちの嫁を使わねぇのか」と怒ったのかどうかは知らないが、ベッソンはプロデューサーから降板。

すると当時のビグロー監督の信用力では莫大な製作費の調達が困難となり、ビグロー版の企画は頓挫。

すかさずベッソンは『薔薇の名前』(1985年)のアンドリュー・バーキンと共にジャンヌ・ダルクの脚本を書いて、自らの監督作としてブチあげたが、当然のことながら盗作だとしてキャスリーン・ビグローから訴えられた。

ただし当時のリュック・ベッソンの勢いには凄まじいものがあり、盗作裁判も何のその、フランスの大手ゴーモンとハリウッドの老舗コロンビア・ピクチャーズからの資金調達に成功し、8500万ドルもの製作費を用立てた。

主演はもちろんうちの嫁!

ただし本作製作中にベッソンとミラは離婚した。世の中、うまくいかないものである。

また興行的不振が影響してか、ベッソンはしばらく本作や『フィフス・エレメント』(1997年)クラスの大作を撮れなくなったのだから、踏んだり蹴ったりである。

とまぁ話は大きく脇道に逸れてしまったけど、言いたいのは「ミラ・ジョヴォヴィッチの演技は悪くなかったよ」ってこと。

数年間で「神の使い」としての名を広めたジャンヌは、時のフランス君主シャルル王太子(ジョン・マルコヴィッチ)に謁見するのだけど、当の王太子は「神の使いってなんだよ」「嘘くせぇなぁ」という態度をとる。

しかし義母のヨランド妃(フェイ・ダナウェイ)の、「あの子が本当に神の使いかどうかは知らないけど、民がそう信じているんだったら利用できるでしょ」という鶴の一声で、ジャンヌには軍隊が与えられる。

早速、主戦場であるオルレアンに赴くジャンヌだったが、如何せん軍事に関してはド素人なので、現地の最高司令官デュノワ伯(チェッキー・カリョ)を大いに困らせる。

「すぐに全軍でオルレアン要塞を攻め落としましょう」

「全軍を出すと陣地がガラ空きになってしまうけど…」

「神様が守ってくださるから大丈夫!」

もう滅茶苦茶である。

結局、現地の指揮官レベルを納得させられなかったジャンヌは、翌朝、勝手に軍隊を出動させてしまう。キレるデュノワ伯。

とはいえ「神の使い」のご威光には絶大なものがあり、本気出したフランス軍兵士たちの勢いでオルレアン要塞を本当に落とせてしまう。

シャルル王太子とヨランド妃の思惑通りに事は進み、奪還したノートルダム大聖堂で正式に即位。シャルル7世となる。

百年戦争はフランスの王位継承権問題が発端であり、シャルルの即位によって潮目は変わったと言えるので、本来、ジャンヌはここでお役御免だったのだけど、彼女は戦略的意義の乏しいパリへと進軍していく。

要は、ジャンヌの目的は姉を殺した憎きイギリス軍への復讐であり、神だの王だのは大義名分に過ぎなかったというわけである。この解釈は凄い。シビれた。

かくして敵からは忌み嫌われ、味方からは疎まれるようになったジャンヌは孤立し、イギリス軍に捕まってしまう。

そこから先は教会による異端裁判となるのだが、実態はイギリスによるジャンヌへの報復であることは明白で、宗教裁判を押し付けられた司祭たちはまったく乗り気ではない。

「さっさと認めてしまえば悪いようにはしないから」という裁判長の助言も空しく、ジャンヌはあくまで「私は神の使いよ」の一点張り。

するとそこにダスティン・ホフマンが現れる。明言はされないが、神ということなのだろう。なお、ビグロー版でキャスティングされていたのはジャック・ニコルソンだったけど、ニコルソンはどちらかと言うと悪魔的なので、ホフマンのキャスティングで正解だったと思う。

「私の名前を使って人を殺しまくったらしいじゃないか」「私はそんなことしろなんて一言も言ってないけど」と言う神は、ジャンヌが聞いたと思い込んでいた「神の声」が、実際のところジャンヌ自身の内なる声でしかなかったこと、彼女は信じたいものを都合良く解釈していただけだったことを明らかにしていく。

このジャンヌと神との問答こそが本作最大の見せ場なんだけど、名優ダスティン・ホフマンとがっつり渡り合ってみせたミラ・ジョヴォヴィッチの演技は賞賛に値すると思う。公開時、なぜあんなに叩かれたんだろう。

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コメント

  1. カトケン より:

    個人としては本作冒頭の「姉が惨殺される」という下りが特に気に入りませんでしたね。史実ではジャンヌには妹はいても姉はおらず、家族を殺されたというのも創作なので(村が襲われたのは事実ですが、ほの時は皆で避難していたとの事です)、ジャンヌの動機が矮小化され過ぎた気もします。後大砲を積極的に白兵戦で使用したのはジャンヌであるという所がスルーされていたのもいただけませんでした。

    まあブレイブハートやグラディエーターに比べれば本作は史実に沿ってはいますが、なぜこの様な創作が付け加えられたと思いますか?

    因みに、個人的にジャンヌ映画で好きなのは、そちらと同年のクリスチャン・デュゲイ監督・リーリー・ソビエスキー主演の「ヴァージン・ブレイド ジャンヌ・ダルクの真実」です。

    • ハリウッドにおける「実話」の範囲は思いのほか広いので、伝わりやすさ重視で身内の死を入れたんでしょうね。悪者にされた英国からすれば堪ったもんじゃありませんが。
      「ヴァージン・ブレイド」を見られたんですね!羨ましい
      ここ数年VHSを探してるんですが、なかなか見つけられなくて