(2019年 アメリカ・オーストラリア)
人物描写などはかなり端折り気味で、シェイクスピアの原作を知らないと厳しい内容でした。特に主人公ヘンリー5世の王としての姿勢なり人生観なりが分かりづらかったので、苦渋の決断で戦争を始める辺りが響いてきません。ただし本物志向の戦闘場面には迫力があり、合戦を見る映画だと割り切ればイケます。
作品解説
ウィリアム・シェイクスピア原作
ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ヘンリー四世 第1部』(1596年-1599年頃)、『ヘンリー四世 第2部』(1596年-1599年頃)、『ヘンリー五世』(1599年頃)を原作としています。
主人公のヘンリー5世は実在した英国王であり、休戦中だった百年戦争を蒸し返してアジャンクールの戦い(1415年)に勝利。また内政面でも成功を収めてランカスター朝の絶頂期を築き、現在でも英国内では人気のある王様のようです。
脚本・監督は『アニマル・キングダム』のデヴィッド・ミショッド
そんな原作を現代風に脚色したのはオーストラリアの映画人デヴィッド・ミショッドで、実在する犯罪者一家を描いた『アニマル・キングダム』(2010年)で注目を集め、これまた実在する米陸軍大将スタンリー・マクリスタルを風刺的に描いた『ウォー・マシーン:戦争は話術だ!』(2017年)が代表作です。
『アニマル・キングダム』に出演したジョエル・エドガートンが共同で脚色を行い、またヘンリー5世の臣下フォルスタッフ役で出演。なおシェイクスピアの原作を現代風に翻案するというアイデアはエドガートン発のようです。
同じく『アニマル・キングダム』に異常者役で出演したベン・メンデルソーンがヘンリー5世の父ヘンリー4世役で出演しています。
また『ウォー・マシーン』に主演したブラッド・ピットの製作会社であるプランBが本作を製作しています。
【余談】百年戦争と中世英国史
ここからは作品の歴史的背景について備忘的に記しておきますが、興味のない方は読み飛ばしていただいて結構です。
一般的な百年戦争のイメージとは、イギリスとフランスが百年間戦争して、フランスが負けかけてたけどジャンヌ・ダルクの登場で盛り返して、最後はフランス勝利で終わったんでしょ、というものです。
ただし、そもそも何でこんな大戦争が起こったのかということを分かっている人は少なくて、高校時代に世界史をとっていた私も、その背景はすっ飛ばして関係する王様の名前だけを暗記して済ませていました。悲しいかな、受験勉強とはそういうものです。
百年戦争(1339-1435年)の特徴を端的に述べるとこんな感じです。
- 主権国家間の戦争ではなく、イギリス王家vsフランス王家の揉め事だった
- フランスの王位継承問題と領地問題が原因だった
話を4世紀ほど前に戻します。927年にグレートブリテン島で成立したイングランド王国は大陸からの干渉を受け続けており、デーン人(デンマーク人の祖先)に王座を取られたりしていました。
1066年に仏ノルマンディー公ギヨーム2世が英国王ウィリアム1世として即位してイギリスでノルマン朝が起こるのですが(ノルマン・コンクエスト)、ここにイギリス王でありながらフランス王の臣下でもあるという二重の立場が発生します。
イギリス側からすれば、私は英国王だがフランスにも領土を持っているし、いざという時にはフランスの王位継承も可能であるという認識を示す一方、フランス側からすれば、君はイギリス王なのだからフランス国内での権益はすべて王に返還せよという話になるわけです。
3世紀後に起こる百年戦争の種は、この時蒔かれました。
13世紀に入ると、毛織物の一大産地としてヨーロッパ経済の中心地だった仏フランドル地方の実権を巡って両国の争いは激化します。豊かなフランドルの併合を狙うフランス王に対抗して、フランドル伯はイングランドと同盟を締結。
これに対抗するフランス王はイングランドと敵対するスコットランドと組むなど、お互いに痛い所を突き合い、国家意識が形成される以前ならではの混沌とした状況が発生します。
別の映画の話で恐縮ですが、『ブレイブハート』(1995年)でイングランド人がスコットランド人に対してやたら敵対的だったのは、当時こうした事情があったためです。
そこに追い打ちをかけたのが1328年のカペー家断絶で、フランス王家は男子の継承者を失ったことからヴァロワ伯フィリップが国王として即位したのですが、母方がカペー家の出身であるイングランド王エドワード3世が、我こそが王位継承者としてこれに異を唱えました。
ただしこれは戦争をするための口実であって、本気で王位継承できるとは思っていなかったようですが。
なおエドワード3世のフランス人の母親というのは、『ブレイブハート』(1995年)でソフィー・マルソーが演じたイザベラ・オブ・フランス。
あの映画では、イザベラはウォレスの子を妊娠ということになっていたので、エドワード3世はウォレスの血を引いているということになりますが、さすがに作り話が過ぎますね(笑)。
このエドワード3世は本作の主人公ヘンリー5世の曽祖父に当たります。
こうして百年戦争が始まったのですが、基本的には王家の諍いであり、国民や一般の兵士はこれに巻き込まれた形になります。作品中でヘンリー5世が「大将同士、サシで勝負をつけよう」と呼びかけるのは、こうした背景に起因しています。
感想
人間関係などが分かりづらい
『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021年)の公開が迫る中、ティモシー・シャラメの主演作ということでNetflixでたまたま目についたので鑑賞。
予備知識0の状態で見た私が悪かったのか、ビュンビュン飛ばしていく前半部分のお話はあんまりよく分かりませんでしたね。この映画、オリジナルの『ヘンリー5世』のあらすじやキャラクターが頭に入っていないと、相当厳しいと思います。
冒頭、後のヘンリー5世の父であるヘンリー4世(ベン・メンデルソーン)が戦争をしているのですが、武勲をあげた部下からの「ウェールズの捕虜にされている従兄弟の身代金を払ってください」というお願いを、「あいつは裏切り者だ」と寄る辺もなく切り捨てます。
その十数分後、ここで切り捨てられた部下は王室に楯突く側で戦場で再登場するのですが、王とテーブルを囲むほどだったので腹心中の腹心だと思われた部下が、次の場面では敵に寝返っているという展開の早さに、私の理解は追いつきませんでした。変わり身が早すぎないかと。
ちなみにこの部下はホットスパーと言って史実及び原作においてはヘンリー4世の側近として超重要な人物らしいのですが、本作ではその人となりについてほとんど触れられることなく登場し、変わり身までの過程で一体何があったのかも触れられずに退場していきます。
原作を知っている観客ならばその物語を脳内補完できたのかもしれませんが、一見にはかなり厳しい尺の詰め方でしたね。
で、父王ヘンリー4世は身内に対しても冷徹な姿勢を示し、放蕩息子である長男ハル(ティモシー・シャラメ)に面と向かって「不適格だからお前に王位は与えない」と宣言し、大勢の部下の目の前で、次男トマスに継がせる意向を示すという公開処刑を行います。
ただし戦争に辟易として世捨て人のように振る舞っていたハルからすれば「そもそも王位になんて興味ありませんから」という感じなので、親子の意見は一致。
なんだけど、結局ハルは呼ばれてもいないのに弟トマスの初陣に出て行って、当のトマスからウザがられながらも滅茶苦茶英雄的な行動で武勲をおさめたりするものだから、この人の立ち位置なり人生観なりがよく分からなくなってきます。
為さざるを最善とする世捨て人なのか、王室の人間としての責任感を持ち合わせ、善政を行わなければならないという使命感に燃えているのか、一体どっちなんだか判然としないわけです。
その後、トマスが戦死してハルがヘンリー5世として即位するのですが、ここでも立場上仕方ないので引き受けただけなのか、それともやる気があるんだかが判然としません。なのでこの人物になかなか魅了されませんでした。
で、前半で戦争を忌避していたヘンリー5世はフランスへの侵攻を決意するのですが、大嫌いな戦争にこちらから打って出るという翻意の過程も丁寧に扱われていないので、急な心変わりに見えてしまっています。
フランスが殺し屋を差し向けてきたという理由こそ述べられるものの、王位に居る者が命を狙われるなんて日常茶飯事であり、反戦主義を曲げて今すぐにでも矛を取らなきゃいけないほどのショッキングなことでもないだろうと思うし。
行動原理がよく分からんと言えば、ヘンリー5世の側近であるジョン・フォルスタッフ(ジョエル・エドガートン)も同じく。
ハルの飲み仲間として登場し、即位後には側近として迎えられるのですが、そもそもどんな経歴を持っているのか、高貴な身分なのか庶民出身なのかすら示されないので、観客にとって掴みどころのない人物となっています。
なんですが、突如中盤にて冴え渡った軍事作戦を提案し、死の可能性が非常に高い囮部隊の隊長にも名乗りを上げるものだから、フォルスタッフが何者なんだか余計に分からなくなってきます。
ちなみに原作ではシェイクスピア作品でお馴染みの道化的ポジションであり、一応は騎士という立場にはいるものの、臆病者で戦場には一番最後に現れるタイプでした。
すなわち本作のフォルスタッフには原作から大幅な変更が加えられており、日本で言えばうっかり八兵衛に助さん(参謀)と格さん(切り込み隊長)の個性を合わせたような、超絶ランクアップを果たしたというわけです。
英語文化圏の人々が見るとこのキャラ変更には「おぉ!」と燃えるものがあったのかもしれませんが、そもそもフォルスタッフなるキャラクターに馴染みのない日本では、そこら辺の妙味は通用しませんでした。
フルアーマーに燃える
そんなわけでドラマ部分は総じてしんどかったのですが、本物志向の戦闘シーンには燃えましたね。
投石器で敵の城壁を攻めるという歴史映画ではありがちな見せ場も、本作は重量感に拘っていることからかなりの迫力がありました。
そして兵士達が身に纏っている甲冑も重量感があってカッコよかったです。
ストーリーにおいても甲冑そのものが意味を持つことから、その描写にはかなりのウェイトが割かれており、30キロ近かったというフルアーマーの甲冑を俳優達がちゃんと着込んで演技をしていることから、その重量感や堅牢さが見た目にもはっきりと伝わってきます。
ロバート・パティンソンはバイザーで完全に顔が隠れる場面でもスタントマンを使わず、自分でちゃんと演じたそうですよ。さすがはバットマンです。
日本にもフルアーマーダブルゼータガンダムなるものがありますが(存在はしてないんですが…)、あのゴテゴテ感がやりすぎではないと言えるほど、本家のフルアーマーもゴテゴテしてますね。
ここまでゴテゴテしたフルアーマーが登場するのはジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』(1981年)以来ではないでしょうか。最高でした。
で、フルアーマー同士の合戦という歴史映画でもめったにお目にかかれない場面が登場することもポイント高いです。
数百人の重装兵がひしめき合い、最前線では身動きが取れなくなる場面などは大迫力でしたが、戦場では実際にああなったんだろうなという説得力が感じられたし、ああいう場面での圧死を防ぐという機能も甲冑にはあったのではという想像も走りました。
そして鎖帷子を身に纏っただけの軽装兵との戦いがあったりと、本作の見せ場はバリエーション豊富。
フルアーマーの合戦を見る映画だと割り切ると、なかなか楽しめます。
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