[2015年ギリシャ]
5点/10点満点中
現実世界の多くの現象を比喩した作品であり、その対象は一つや二つに留まらないことから考える楽しみのある作品ではあるのですが、構図ばかりが立っておりドラマとしては洗練されていないため、直感的に面白さを感じるような映画ではありませんでした。一度見ればもう十分かなという感じです。
■恋愛を強要する社会
本作の舞台となるのは個人に対して結婚・恋愛が強要される社会です。独りで街を歩いているだけで職質を受け、婚活パーティで相手を見つけられなければ「人に非ず」と言わんばかりに動物に変えられてしまいます。なぜかどの動物になりたいのかの希望は言えるようで、主人公がロブスターを希望したことが作品のタイトルとなっています。
この恋愛を強要する社会とは、家族主義を推進する保守的な政治体制や伝統的な社会風土をカリカチュアしたものと考えられます。良い歳をして結婚をしていない人間は半人前と見られたり、どこかに異常があるんじゃないかと後ろ指刺されるような社会は現実世界と地続きですが、では結婚の何がそんなに良いのかというと、食事を喉に詰まらせてもそこに配偶者がいれば死なずに済むとか、配偶者がいれば強姦魔が寄ってこないとか、本当に備えるべき現実的なリスクとは思えない例ばかりが列挙されます。結婚しろしろと言う割に、当の社会が結婚のメリットを突き詰めて説明しきれていないという矛盾が、このパートでは示されています。
■リア充を排除するコミュニティ
上記の社会のルールから外れた主人公は「ロブスターに変えられるくらいなら」と森のコミュニティに逃れるのですが、ルールから逃れてきた人々の受け皿であるにも関わらず、こちらはこちらで「恋愛禁止、リア充禁止」のローカルルールが徹底され、メンバーはリーダーからの厳しい監視を受け、もし禁忌に触れれば厳しい罰が待っているという、表社会以上に息苦しい世界となっています。
こちらは非モテにこだわりすぎて自家中毒を起こしたオタクの姿を見ているようでした。恋愛を強要される筋合いはないとは言え、かといって自然に起こった恋愛感情までを否定する必要もないのに、「俺の主義に反する」みたいな感じで自分自身を型に嵌め、あるべき自分像を守ろうとするオタクの非生産的な活動がこれですね。
同時に、自由や平等といった否定しようのない美しい理念を掲げる集団ほど、その理念から外れる言動を許さず凶暴化するという、フランス革命以来世界中で繰り返されている矛盾をカリカチュアしたものとも考えられます。
■集団に異常者が温存されることの恐ろしさ
本作には2名の異常者が登場します。婚活パーティにいた冷酷な女と、ゲリラ村にいた女リーダーです。
冷酷な女は他人が自殺しても「騒がしいわね」で終わらせるし、主人公の元・兄である犬を蹴り殺すという異常行動までとっており、彼女は間違いなく反社会的人格の持ち主です。
他方、女リーダーの方ですが、彼女が豚をかわいがっている場面がワンシーンだけ挿入されており、この場面より、かつての恋人か片思いの相手を豚に変えられ、永遠に恋が成就しなくなったという個人事情が推測されます。おそらく彼女は自分の恋がうまくいかなかったものだから他人の恋路までを目の敵にしているだけの人間なのですが、恋愛を強要されることから逃れてきた人々の集合体というこのコミュニティの特殊性より、彼女の歪んだ目的は正当化され、制度化されていったようです。
両者に共通するのは他人への共感度の極めて低いサイコパス的傾向なのですが、彼女らはそれぞれが属する社会の方向性にピタリとはまっていることから排除されるどころか温存されており、方や模範的な市民とされ、方やコミュニティのリーダーとなっているわけです。この辺りは、社会全体が狂気に包まれていれば、その社会で優秀とされている人間もまた狂気を帯びた人間であるという普遍的な考察として受け取りました。
■相手との共通点探しという不毛な作業
本作のテーマの一つは恋愛の滑稽さで、好みの異性をみつけた男たちは意中の女性との共通点を自分の中にも無理やり見出そうとし、もしそれがなければ作り出そうとし、「僕たち一緒だよね」と言って接近していきます。よく鼻血を出す女に惚れたベン・ウィショーは鼻を机に打ち突けてまで出血させ、「大変、鼻血出っちゃったぁ」なんてやっています。主人公も同じくで、冷酷な女に惚れた主人公は自身も冷酷な人間になりきって「僕ら、フィーリングが合いますねぇ」だし、レイチェル・ワイズ演じる目の悪い女に惚れると「僕も近眼なんです」ですからね。
じゃあ共通点さえあれば恋愛はうまくいくのかというと、そういうわけでもないようです。この共通点探しの究極の例が作品のクライマックスにて提示されます。女リーダーの策略によって失明させられた近眼の女より、主人公は「あなたも目を潰してよ」と要求されるのですが、カップルの女性側が失明したからこそ男性側の視力はますます重要になってくるという局面なのに、なぜ彼までが目を潰す必要があるのか。本来カップルとは別人だからこそ補い合えるはずなのに、そこに同質性を求めることの無意味さがこの場面に集約されています。
なお、本作で唯一うまくいっていたのが鼻血を出す女とベン・ウィショーのカップルですが、二人を別れさせたい主人公が「こいつは鼻血なんか出していなかったよ」と暴露しても、「だから何よ」で終わり。彼女は鼻血という共通点に惹かれていたわけではなく、無理に鼻血を出してまで自分に合わせようとしてくれていたパートナーの本質に惹かれていたのです。
■構図のみが立った映画なので、面白くはない
以上の通りよく考えられた映画ではあるのですが、これがドラマとしてはまったく面白くありません。構図のみの映画だからです。構図のみの映画がなぜこれほど面白くないかというと、登場人物はみな何かしらの象徴であるために、一人の人間らしい行動をとらないからです。例えば前半の婚活パーティ。45日以内にカップル成立しないと動物に変えられるというシチュエーションならば、最低限の許容範囲だけは設定した上で、それ以上ならば誰だっていいのでとりあえず相手を見つけようと必死になるはずなのですが、参加者は誰も焦っていないどころか「私はあと3日で終わりよ」みたいな悠長なことを言い続けています。
森のゲリラ村にしても、リーダーが理不尽を押し付けているとはいえ、所詮は華奢な小娘一人。いくらでも力で抑え込めるだろうし、そもそも村を抜け出して社会に戻ることのハードルは低そうなので、誰かと恋に落ちた時点でさっさとこの村を卒業すればいいのに、みんな我慢して居続けています。こういうドラマを見せられてしまうと、登場人物への共感の接点はどんどん狭くなっていきます。
The Lobster
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:ヨルゴス・ランティモス,エフティミス・フィリップ
製作:ヨルゴス・ランティモス,セシー・デンプシー,エド・ギニー,リー・マギデイ
製作総指揮:サム・ラヴェンダー,アンドリュー・ロウ
出演者:コリン・ファレル,レイチェル・ワイズ,ジョン・C・ライリー,ベン・ウィショー,ジェシカ・バーデン,オリヴィア・コールマン,レア・セドゥ
撮影:ティミオス・バカタキス
編集:ヨルゴス・マヴロプサリディス
製作会社:Faliro House Productions,Haut et Court,Element Pictures,Lemming Film,Scarlet Films
配給:Feelgood Entertainment(ギリシャ)Haut et Court(仏)Element Pictures(アイルランド),De Filmfreak(蘭),Picturehouse Entertainment(英),ファインフィルムズ(日)
公開:2015年5月15日(カンヌ国際映画祭),2015年10月16日(英),オランダの旗 2015年10月22日(蘭),2015年10月28日(仏),2016年3月5日(日)
上映時間:118分
製作国:ギリシャ,フランス,アイルランド,オランダ,イギリス
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