ローマンという名の男 -信念の行方-_成功も失敗も不意にやってくる【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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社会派
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(2017年 アメリカ)
成功の一歩手前にまで来ていたのに、たった一つの最悪な選択のために自分自身も他人も裏切ってしまった男の悲しい物語であり、その普遍的な問題提起には対岸の火事とは思わせないパワーがありました。残酷な大人の寓話として私は楽しめました。

あらすじ

弁護士のローマン・J・イズラエル(デンゼル・ワシントン)は人権派弁護士ウィリアムの経営する弁護士事務所で長年働いてきたが、コミュニケーション能力に問題があるため裏方の法律アドバイザーに徹していた。ある時、ウィリアムが心臓発作で倒れて意識不明の重態になり、ウィリアムの家族が事務所の清算を希望したことから、ローマンはピアス(コリン・ファレル)が経営する大手事務所に転籍することとなる。仕事に対するスタンスも、業務の進め方も異なるピアスの事務所で悪戦苦闘するローマンは新しい職場を探し始める。

スタッフ・キャスト

監督・脚本は『ナイトクローラー』のダン・エルロイ

1959年カリフォルニア州出身。

『ジェイソン・ボーン』シリーズの脚本家であるトニー・ギルロイは兄、『パシフィック・リム』(2012年)の編集技師であるジョン・ギルロイは双子の兄弟、そして90年代に美人女優として有名だったレネ・ルッソが奥さんというエンタメ一族の出身です。

ダートマス大学を卒業後に脚本家となり、初期にはアンソニー・ホプキンス主演のSFサスペンス『フリージャック』(1992年)や、デニス・ホッパー監督の『逃げる天使』(1994年)などを手掛けました。

監督デビュー作『ナイトクローラー』(2014年)が高評価を獲得し、同じくジェイク・ギレンホール主演のホラー『ベルベット・バズソー: 血塗られたギャラリー』(2019年)も手掛けています。

主演のデンゼル・ワシントンがアカデミー主演男優賞ノミネート

1954年ニューヨーク州出身。

1981年に映画に初出演し、リチャード・アッテンボロー監督の『遠い夜明け』(1987年)でアカデミー助演男優賞にノミネートされました。そしてエドワード・ズウィック監督の『グローリー』(1989年)でアカデミー助演男優賞受賞。

スパイク・リー監督の『マルコムX』(1992年)とノーマン・ジュイソン監督の『ザ・ハリケーン』(1999年)でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、アントワン・フークア監督の『トレーニング・デイ』(2001年)でアカデミー主演男優賞を受賞しました。

そして初監督作『フェンス』(2016年)と本作で2年連続アカデミー主演男優賞にノミネートされました。

登場人物

  • ローマン・J・イズラエル(デンゼル・ワシントン):条文や判例を細かく暗記しているほど優秀な弁護士だが、対人能力に問題があることから法廷には立たず、裏方の法律アドバイザーとして安い給与で働いてきた。長年勤務してきた法律事務所の代表ウィリアムが心臓発作で意識不明となり、家族が事務所の閉鎖を望んだことからピアス(コリン・ファレル)が経営する大手弁護士事務所に転籍するが、営利を目的とした仕事のしかたが肌に合わず苦労する。
  • ジョージ・ピアス(コリン・ファレル):大手弁護士事務所の代表。ウィリアムの教え子だった縁でその事務所の清算に関わることとなり、その過程でローマンの能力に気付き、自身の経営する弁護士事務所に在籍させることを決める。
  • マヤ・オルストン(カルメン・イジョゴ):公民権運動を行うNPO法人の古参スタッフ。若いスタッフとのコミュニケーションに苦労している。
  • ダレル・エラビー(デロン・ホートン):ローマンが担当する刑事事件の被疑者。雑貨店強盗に関与し、17歳にして第一級殺人罪で終身刑が求刑されているが、ダレル自身は殺人を犯したのは共犯者カーターであると主張している。

感想

コミュ障弁護士に訪れた転機

主人公はデンゼル・ワシントン扮するローマン・J・イズラエル。

彼は名乗る際に必ずエスクワイアを付けるのですが、これは法曹界の人間に対し使われる敬称であり、それをわざわざ自分自身に付けているということは、法律の仕事に誇りとこだわりを持っているということと、ちょっとイタイ人であることを示しています。

実際、ローマンは変人です。条文や判例を細かく暗記していて法律的な意見がとめどなく溢れ出すのですが、検事や裁判官との間で見解の相違が生じても決して妥協することがなく、これ以上主張を続けるとむしろ不利に働くという場面であっても自説を曲げることをしません。

長年の上司兼パートナーだったウィリアム弁護士は、良く言えば彼の長所を伸ばせる役割を与えてひたすら得意なことだけをやらせており、悪く言えば欠点を放置したまま何十年もの時間を過ごさせたために、元からあったローマンの癖はより強固なものとなっていました。

ウィリアムが意識不明の重態となり事務所の清算が始まった時、清算作業を行うために事務所を訪れたジョージ・ピアス弁護士(コリン・ファレル)は、ローマンのコミュ障ぶりに面食らいます。ただし同業者ですら驚くほどの知識を持っている点も見過ごさず、使い道はあるとして自分の事務所で雇うことに決めます。

しかしここからがローマンにとっての試練でした。

下町の個人事務所から都心の大手事務所への移籍でこれまでの仕事のやり方がほぼ否定され、ライフワークである大胆な司法制度改革案をピアスに提示しても「俺たちがやっているのは経営だ」と冷たい態度であしらわれます。

ピアスのやり方が相容れないと感じたローマンは、長年携わってきた公民権運動のNPO法人に職を求めて訪れます。ただしその活動の表に立ってきたのはやはりウィリアムで、ローマンが団体と直接のアプローチを図るのは初めてのことであり、ここでもエキセントリックな人柄が障害となってコミュニケーションはうまくいきません。

ある日講演に立つと、ローマンが善意から発した言葉がきっかけで若いフェミニストと口論になり、何十年も熱心に取り組んできた公民権運動にも自分の居場所がなくなりつつあることを実感します。

さらに追い打ちをかけたのが本業での失敗でした。

ローマンは強盗殺人容疑で17歳にして終身刑を求刑されているダレルという少年の弁護を担当していたのですが、検察の司法取引に乗らなかったことからダレルは身柄保護も受けられなくなり、その結果、被害者関係者の仇討ちで殺されてしまいます。

これにはピアスも激怒し、完全なうちの事務所のミスであり、遺族から訴えられれば確実に負ける。過失を認めたと思われたくないので一応お前を雇い続けてはおくが、ほとぼりが冷めればクビにすると強い口調で宣告されます。

スタンスの相違こそあっても仕事と給料は与えてくれていたピアスからも解雇を宣告され、ローマンはいよいよ食い扶持を失うところにまで追い込まれます。

生き残るためには金を稼げるようにならなければならない。金を稼ぐためには今までのやり方を捨てなければならない。

ローマンは守秘義務を破って情報を売り、それまでのミニマリストのような生活をやめて高い靴やスーツに身を包み始めます。

ローマンが打ちのめされ、絶望し、正義派の彼が悪銭を受け取るまでの過程が論理的に整理されており、実に破綻なくまとめられたスマートな導入部でした。

加えて、あまりにも頼りないローマンの振る舞いは、ちょっと匙加減を間違えると観客にフラストレーションを抱かせかねなかったところ、デンゼル・ワシントンの演技によって持ち前の正義漢が空回りする不器用な人に見えているので、ギリギリ観客から嫌われずに済んでいます。こちらもお見事でした。

やめた後に評価され始めるという不条理

しかし人生とは皮肉なもので、ローマンが変化に舵を切って間もなく、突如としてそれまでの頑固な行為が成果を上げ始めます。

ダレルが殺された件については、ローマンが熱心な弁護活動をしていたことを遺族も評価しており、過失で事務所が訴えられる可能性はなくなりました。これを受けてピアスは辛く当たり過ぎたことをローマンに謝罪します。

加えて、困った人々に名刺を配るというローマンの活動が奏功して新規契約が相次いで決まったことから、これまでは富裕層相手の商売だけをしていたピアスも貧困層に向けた法律相談に可能性を見出し始めます。今度はピアスがローマンから学ぶ側となったのです。

完全に失敗したと思っていた公民権運動にしても、そのスタッフのマヤ(カルメン・イジョゴ)から食事の誘いを受け、地道な活動を続けるローマンを尊敬しているとの思いを伝えられます。

上手くいっていないと思っていたことが実は正しい筋道に立っており、突如として成果が現れ始める。結果から振り返るとローマンはもう少し我慢していれば、自分自身が変わらずとも道が開けるところだったのです。

しかし彼は守秘義務違反を犯して悪銭を受け取っており、後には引けないところにまで来ていました。何という運の悪さでしょうか。

残酷な大人の寓話

普通の人生でもこうしたことは起こりえます。やめるべきか、それとも踏みとどまるべきかと迷う瞬間は多くの方が経験したことがあるのではないでしょうか。

私などは堪え性がなく、普通のサラリーマンを続けていられなくて士業に鞍替えしたのですが、昔の同期を見ていると、もしあの時辞めずに首尾一貫したキャリア形成をしていれば、それはそれで素晴らしかったのではないかと後悔することもあります。

しかし時間とは過ぎ去るのみであり、次の展開を知ってからやり直すなんてことはできません。今の自分がどのステータスにいるかどうかだって限られた情報から推測する以外になく、成功への接近度合いを完全に把握することなど不可能です。

不完全な判断材料の中での選択の連続であり、一度決めた道を引き返すことはできない。それが人生なのです。

本作にはそうした人生の不条理な一側面を切り取ったような鋭さがあり、ローマンの身に起きた悲劇は残酷な大人の寓話として機能しています。観客が自分の人生を見つめ直すきっかけになるような映画だと思います。

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