ソー:ラブ&サンダー_子供に戦わせちゃダメ【5点/10点満点中】

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マーベルコミック
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(2022年 アメリカ)
「戦いよりも愛が大事」という主たるメッセージに対して、劇中で主人公たちが真逆のことをするという理解に苦しむ話になっている。戦いの不毛さを知って死んだ父を持つ子を戦士に育ててはいけないと思う。

作品解説

評価は微妙、興行成績は上々

MCUフェーズ4は批評面では苦戦を強いられている。

キャラクター同士、作品同士は密接に絡み合ってはいるものの、複数の作品が一つの方向に向かって動いているというわけでもなく、「何となく見なきゃいけない気はするけど、いざ見てみると何も得るものがなかった」という批判が多く寄せられているのである。

そんな逆風の中で公開された本作も批評面での苦戦を余儀なくされ、ロッテントマトでの批評家支持率は65%とMCU史上最低クラスとなった。

しかし興行面では依然として絶好調であり、全米トータルグロスは楽々と3億4117万ドル、全世界トータルグロスは7億5536万ドル。MCUのドル箱ぶりはまだまだ続きそうだ。

感想

濫作とはまさにこのこと

上記「作品解説」の通り、とにかく評判の悪い映画だし、ちょっと待てばディズニープラスで配信されることが分かっているので、劇場公開時にはスルーした。

案の定、公開から2か月足らずでディズニープラスに来てくれたので早速見たけど、映画館に行かなくてよかったと心底思った。

よくこの出来でOKが出たなと思えるほどで、現在のMCUは数か月おきに新作がリリースされるという異常な供給量となっており、個々の作品のクォリティコントロールがうまくいっていないのではないかと思う。

例えばソー(クリス・ヘムズワース)とゴア(クリスチャン・ベール)が初めてまみえる場面。

ゴアが地球のニュー・アスガルドを襲ってきて、ソーやヴァルキリーらがこれに立ち向かうのだけど、圧倒的な力を誇示したゴアがソーを倒せそうなのにとどめを刺さず、中途半端なところで戦いを切り上げて去って行ってしまう。

ここでソーを殺してしまうと話が終わってしまうという作劇上の都合は分かるのだけど、それにしても突然戦いをやめるというのは強引すぎる。

子供の頃見ていたアニメで、滅茶苦茶に強い敵がひとしきり暴れて実力を見せつけた直後に「ふっふっふっ」とか言って去っていく展開が物凄く嫌いで、「パワーアップした主人公に倒されることになるんだから、今のうちに殺しておけよ」とテレビに向かってツッコミを入れていたのだが、まさか製作費2億5000万ドルの大作でそんな安っぽい展開を見せられるとは思ってもみなかった。

この場面は戦力描写もおかしくて、ソーはMCUの中でもかなり強い方のヒーローであり、しかも同等レベルの力を持つヴァルキリーとジェーンまでがいる。そしてゴアはこの3人をも圧倒するほどの力を持っている。

その争いともなれば豪快な破壊が起こってしかるべきなんだけど、実際には住宅地の真ん中の道路で戦っているだけで、周囲の建物が傷つくこともなければ、舗装が割れることすらない。

そしてゴアに吹っ飛ばされたソーが車にぶつかる場面では、当たったドアが凹むだけ。ソーが飛ばされるとなれば、車十数台が巻き添えになるほどの大ごとになってなきゃおかしいんだけど。

どう考えても彼らの実力と見合っていない。

この場面に割ける時間も人員もなかったので、手間がかかりそうな描写を諦めたんじゃないかと思う程の手抜きぶりで、とても白けてしまった。

厭戦なのか好戦なのか

ただし褒めるべき部分もあって、ゴア役のクリスチャン・ベールとジェーン役のナタリー・ポートマンは実に素晴らしい演技を見せてくれる。さすがはオスカー経験者である。

クリスチャン・ベール扮するゴアは惑星レベルの干ばつで娘を失った父親であり、いくら祈っても神は現れなかったばかりか、後に民衆の存在を気にも留めていなかったことを知り、神殺し”ゴッド・ブッチャー”となった。

彼はヴィランではあるが大いに同情の余地はあるし、クリスチャン・ベールはコミック映画とは思えないほどの重厚な演技で観客を魅了する。

ナタリー・ポートマン扮するジェーンは『マイティ・ソー』シリーズ初期2作品のヒロインだが、研究者として生きる彼女と、ヒーローとして生きるソーとの間には困難な溝が生じてしまい、随分前に関係を解消していた。

現在のジェーンは末期癌に蝕まれており、ソーの持つムジョルニアの力で延命できるのではないかという期待からニュー・アスガルドを訪れたところ、これを扱えるようになって新たなマイティ・ソーになっていた。

見た目は健康的になったジェーンだが、体の中の癌はどんどん進行していく。病魔に蝕まれていくジェーンの姿を、ナタリー・ポートマンは鬼気迫る演技で見せつける。こちらもまたコミック映画のレベルを完全に超えていた。

この二人が象徴する通り、本作のテーマは「愛する人との死別」である。

最終的にソーはジェーンを失うことになるのだが、ゴアのように怒りには向かわない。ジェーンとの最後の時を大事にして、すぐそこに勝ちが見えていたゴアとの最終決戦を降りてしまうのである。

そんなソーの姿を見て我に返ったゴアもまた、神への復讐ではなく娘の復活を最後の願いにする。

この通り、作品全体のドラマは厭戦へと向かうのだけど、最悪なのはその後の展開だった。

ゴアの娘を引き取ったソーは疑似的な親子関係を築くのだけど、二人でやるのは宇宙の悪い奴らの討伐運動。

立場の違う相手を暴力で屈服させるというのは生前のゴアがやっていたこととまったく同じで、これでは最後の最後に反省したゴアのドラマが覆ってしまうではないか。

考えうる最悪のオチをかまされてしまって、私は茫然としてしまった。これはないよ、マーベルさん。

ポストクレジットはもういいよ

MCU定番のポストクレジットのおまけ映像。

昔の映画館ではエンドロールが始まると多くの客が立ち上がっていたんだけれど、MCUがおまけ映像を流すのが定番になってからというもの、普通の映画でもエンドクレジットを最後まで見る客が大半となった。

それくらい影響の大きいポストクレジットのおまけ映像なんだけど、最近のはインパクトに欠ける。

MCU初期作品では、すでに製作が発表されているキャラクターのチョイ見せがあって、それで期待値が上がったのだけど、最近のポストクレジットで出てくるのは、いつ、どういう形で登場することになるのかも分からないパッと出のキャラクターがばかりなので、あまり意味がない。

本作で出てくるのはゼウスの息子のヘラクレス。次にどの作品でお見掛けすることになるんだか現時点では分からないので、期待も何もあったもんじゃない。

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