(2022年 アメリカ)
クライムサスペンスのようでクライムサスペンスではない映画。主題は資本主義社会の歪みに関する考察なのだろうが、金持ち一人を悪く描きすぎているために、この命題もあまり効いていない。大して面白くはなかったので、見なくても損はないと思う。
感想
クライムサスペンスではない
泥棒が金持ちの別荘に盗みに入ると所有者と鉢合わせというあらすじからは『パニック・ルーム』(2002年)のようなクライムサスペンスを連想したのだが、実際に見ると全然違う話だった。
泥棒は滅茶苦茶に手際が悪く、無抵抗な夫婦二人を閉じ込めたり縛ったりすることすらまともにこなせない。そして殺意がないことは明らかなほど犯罪者オーラが出ていない。
そんな空気を感じ取った金持ち夫婦は泥棒に対して怯える素振りを見せず、盗るものだけ盗って出て行け、君に対して関心はないんだよと言わんばかりの態度を示す。
底抜けの金持ちである夫婦にとっては、家に置いてある現金や宝飾品など、近所の子供にお菓子を配る感覚で無くなっても惜しくない程度のものなのだろう。
がしかし、敷地のすぐ外に誰が何のために設置したのかも分からない監視カメラがあって、泥棒は「俺の顔を録られてしまった。これから逃亡生活を送らなきゃならないので逃亡資金が欲しい」と言い出す。
通常なら「そんなこと知らんがな」と言いたくなる場面であるが、泥棒を安全に追い払いたい一心の金持ちは「じゃあ50万ドルやる。それで十分か?」という提案をする。
しかし状況が状況なので後日振込というわけにもいかず、かといってそれだけの現金を即日用立てることもできないので、3人で明日まで待つしかなくなるというのが本編。
そんな3人の珍妙なやりとりが前半部分で繰り広げられるのだが、これが笑いに転化しているわけでもなく、何をもって面白いと感じればいいのか分からない時間がしばし続く。
被害者が泥棒に対して逃亡資金の面倒も見てやると申し出るなんて大笑いどころなのだろうが、これがクスリとも笑えないので、やはり演出が失敗していると言わざるを得ない。
金持ち役のジェシー・プレモンスは故フィリップ・シーモア・ホフマンの跡目を継ぎそうな良い俳優だし、奥さん役のリリー・コリンズはいくらでも見ていられるほど美人で、役者は揃っていると言える。
にも拘らず、どうしてここまで低調な仕上がりにできるのだろうかと不思議に思ったほどだった。
金持ちは悪くないよね
なのだが、上映時間が30分を経過した辺りから、メインのドラマが動き始める。
温厚な金持ちっぽかったジェシー・プレモンスが実はすごいゲス野郎であり、彼のゲスさ加減が物語のエンジンとなっていくのである。
彼は画期的な業務改善アルゴリズムの考案者で、それが多くの企業に導入されたことから巨万の富を得たのだが、当該アルゴリズムによって世間では大量の失業者が出たらしい。
多くの失業者の屍の上に彼の贅沢な生活は成り立っているわけだが、金持ちはそのことを悪びれもしていないどころか、泥棒に対して「君も僕を逆恨みする失業者の一人かな?」なんて言い方をする。
そんな金持ちの姿勢が一貫して否定的に描かれているのだが、私としてはこの金持ちが悪いとは全く思えなかった。
新たなテクノロジーの導入によって人員をカットしようと決めたのは各企業であって、道義的な責任も当該企業に帰属するだろう。
開発者が悪いというのは酷い言い掛かりに思えてならないし、社会全体の生産性を向上させる技術をネガティブに捉える風潮とは、「みんな等しく貧乏になろう」と言っているのと同じである。
そんな価値観を私は肯定できない。
またこの金持ちは、奥さんが生きがいにしている慈善活動を内心でバカにしている。
採算度外視でやってられるのは僕の財力という後ろ盾があるからだよね、君の活動に価値があるとは思わないが、満足できるならやってりゃいいよという態度だし、僕らの子供ができた暁には現場から一線引いてよとも明言する。
後半の発言はこのご時世にタブーだとは思うのだが、前半部分についてはあながち間違ってもいない。
食い扶持を得るという活動から解放されたおかげで慈善活動に専念できているという事実は、間違いなくあるのだから。
私を含めて世の多くの人々は、金を稼ぐという活動のために人生のほとんどの時間を費やしている。子供の頃の勉強だって将来における就業機会を得るためという側面が強いのだから、やはり人は己の人生をかけて金を稼いでいる。
金とはそれほど重要なものなのである。
金のために自分の主義主張を曲げねばならない、イヤなことだって引き受けねばならないこともあるのだが、この奥さんは使い切れないほどの金を旦那が稼いでくれているおかげで、自分がやりたい道を追及していられるのである。
一方にそんな事実があるにも関わらず、資本主義の権化のような旦那ばかりが責められるのは、何だかバランスが悪いなと思ったりで。
資本主義の歪み
その後、第四の登場人物である庭師が現れることで、この映画のやりたいことがハッキリする。それは、資本主義における各段階の人々の対話である。
- 金持ち:資本家、権力者
- 奥さん:権力者に寄り添うことでメリットを享受する弱者
- 泥棒:わが身に降りかかる不幸をすべて誰かのせいだと考え、社会保障は自分の権利だと訴える失業者
- 庭師:権力者に対して従順で勤勉な労働者
それぞれの主張には正論もあれば身勝手な部分もあって、そうした人々の対話によって資本主義社会の実像に迫ろうとしたことがこの企画の骨子なのだろうと思う。
しかし、前述の通り金持ちだけを突出して悪く描きすぎているので、社会的な考察はかえって薄まっている。
このテーマならばすべての登場人物をフラットに扱って「あなたはどう考えますか?」とすべきだったのに、金持ち一人を悪く描いたことで、作り手側がテーマに対する答えを出してしまっているのである。
資本主義の功罪とは人類社会の永遠のテーマなのだから、答えは出さない方が良いと思うのだが。
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