(2020年 日本)
ある一人のヤクザの姿を通して激変するヤクザの20年史を描いたドラマであり、密度の高い作品なので最後まで楽しめました。ただし情緒に流れがちで理詰めで行くべき部分が弱いという藤井道人監督の弱点もドバっと出ており、ツッコミどころもやたら多いのが悩ましいところです。
作品解説
監督は『新聞記者』の藤井道人
1986年東京都出身。日大芸術学部映画学科在学中より脚本や演出を手掛け、岡田将生主演の『オー!ファーザー』(2013年)で長編監督デビューしました。
今のところの代表作は現実の政界スキャンダルを元にしたサスペンスドラマ『新聞記者』(2019年)であり、非大手作品ながらも日本アカデミー賞を受賞するという快挙を成し遂げました。
他に読売テレビの連続ドラマ『向かいのバズる家族』(2019年)も手掛けたのですが、こちらは視聴率1%台を何度か記録するという大惨敗となりました。
感想
基本は面白い映画です
2時間15分というやや長尺ではあるものの、3つの年代をまたがる物語なのでこれでも短いくらいであり、密度の高い映画なので飽きる暇はありません。最後まで緊張感を持って見ることができたので、面白い映画だったと思います。
SNS描写が雑
ただ、これは監督の代表作『新聞記者』(2019年)でも感じたのですが、社会問題を扱っている割にはリアリティへの目配せが足りておらず、やたら雑な部分があるのが作品のボトルネックとなっています。
おかしい場面は現代パートである2019年に集中しています。それは殺人で有罪判決を受けた主人公・山本(綾野剛)が14年ぶりに出所し、暴対法で様変わりしたヤクザの周辺環境を見て回るというパートであり、ほとんど人権をも奪われた状態にあるヤクザの扱いに山本は愕然とします。
行くあてのなくなった山本は、出所前に惚れていた元キャバ嬢の由香(尾野真千子)に接触するのですが、現在はシングルマザーとして生きる由香からは反社との交際は自分の立場をも危うくするので二度と姿を見せないで欲しいと言われます。
そうして一度は冷静な判断を下した由香ですが、結局は山本を家に上げてしまいます。
いくら山本が「お前を養う」と言ってきても、それは浦島太郎状態の山本が様変わりした社会の状況も理解せず吹いているだけのこと。シングルマザーとして強く生きてきた由香が、そんな山本の浅はかな誓いをすんなり受け入れるという判断ミスを犯すのでしょうか。
交際を再開するならするで、いきなり事実婚状態になって社会に対して言い逃れのできないような形になどせず、きっちりと世帯を分けた上での密会から始めればいいと思うのですが。こうした由香の自ら不幸を呼び込むかのような非現実的な行動によって、ちょっと冷めてしまいました。
で、案の定山本が反社であることはバレてしまうのですが、SNSに上げられた画像から身バレするという展開も変でしたね。
「職場の知り合いが反社らしいです」と同僚にアップされた画像がSNS上で独り歩きしてしまうのですが、あんな得体の知れない画像がバズることなんてありえないし(「個人の顔写真を勝手に上げて大丈夫?」と投稿者が責められるのが関の山)、山本の画像から交際相手の由香までが特定されますかね。
そして由香の職場の人も、由香の娘のクラスメイトも瞬時に事を知ってしまうのですが、どこぞのセレブファミリーでもあるまいし、一公務員の交際相手が誰であるかなんてことに社会的な注目が集まるんでしょうか。
この監督は若い割にはSNSやネットなどの描写が下手で、年寄りが勘違いしたSNS像みたいな描写が多いので悪い意味で驚きます。『新聞記者』のネトサポ描写もたいがいでしたが、本作も酷いです。
そして、これを受けた役所は由香を解雇するのですが、SNSの噂話レベルで人が解雇されるなんてことも考えられません。
由香も由香でいかに噂になろうと「こんな人知りません」としらばっくれて、「SNSの書き込みをネタに私を疑うとはどういうことですか」と逆にパワハラや人権問題の領域に持ち込めばいいものを、図星ですって顔をするものだから余計に追い込まれていきます。
社会的テーマが没却している
このパートはヤクザの描写もイマイチでした。
山本が属する柴咲組は親分の見舞金すら満足に出せないほど落ちぶれている一方で、敵対組織である侠葉会は縮小したとはいえ、いまだ一定程度の富と影響力は保持しているようです。
マル暴の刑事ともズブズブであり、彼らがラスボスの役割を担うのですが、敵対組織が元気なのでは柴咲組が落ちぶれた理由が暴対法ではなく、ただヤクザ間の抗争に負けただけということになってしまいます。
それでは「人権をも奪われた現代ヤクザ」という本作の社会的テーマが没却してしまうので、侠葉会も等しく落ちぶれているべきだったのではないでしょうか。
「昔はしのぎを削ってたけど、今じゃ削るしのぎもないよな」って感じですっかり手打ちが終わっている方がテーマに合っているし、「俺は何のために刑務所にまで入ったんだ」と山本が余計に絶望することにもつながっていくと思うのですが。
映画界では強面俳優の排除が進んでる?
あと全体的に気になったのが、俳優がヤクザに見えないということでした。
綾野剛は良い俳優だと思いますが、線が細すぎるし顔にもドスが利いていないのでヤクザっぽくありません。彼の舎弟を演じた市原隼人の方がまだそれっぽかったのですが、やはりネームバリューの問題で一番手は綾野剛じゃなきゃダメだったんでしょうか。
舘ひろしも同じく。人情味あふれるリーダー像こそ体現できているものの、ヤクザの親分っぽくはないなと。敵対組織との話し合いで言葉にドスを利かせる場面なんて、全然様になっていませんでした。
昔は本物のヤクザにしか見えない俳優さんが大勢いたのですが、現在の日本映画界からはそうした強面俳優達の排除が進んでいるのでしょうか?
もしくは、今の日本映画界は綾野剛か菅田将暉を出さないと製作費が集まらないのか?
いずれにせよ、非イケメン俳優の食い扶持がなくなってきているのは問題だと思います。
あと、『ヤクザと家族』だけでいいのに『The Family』という副題を入れるのはナシにして欲しかったですね。日本映画界は横文字のダサい副題を入れるのが定例化しているのでしょうか。
コメント
ないわ