(2024年 アメリカ)
実話を元にしたオカルト映画だけど、貧困家庭が詰んでいくドラマのインパクトが強すぎて、悪魔憑きのインパクトは相対的に弱まっている。社会派ドラマとしてはアリだが、ホラーを期待すると肩透かしを食らうかも。
感想
Netflixにあがったのは2024年8月30日のことだったけど、なんやかんやで見るタイミングがなく、9月16日にようやっと鑑賞できた。
2011年にインディアナ州で実際に起こった悪魔憑き事件に着想を得たホラードラマ。
『プレシャス』(2009年)、『大統領の執事の涙』(2013年)のリー・ダニエルズが2022年に映画化を発表するや、MGMやミラマックスなど7つのスタジオが映画化権を求めて入札競争が発生。潤沢な資金力を持つNetflixが勝利した。
事件の当事者であるラトーヤ・アモンズもプロデューサーに名を連ね、2022年半ばよりピッツバーグで撮影開始。
配信用作品が初となるリー・ダニエルズは、Netflixからの要望に戸惑うこともあったようだが(とにかく緊張の連続にして欲しかったらしい)、そこは適度に折れながら作品を完成させた。
引っ越してきた家に悪魔が憑いていて、一家がいろいろ大変な思いをするというのがザックリとしたあらすじ。
『悪魔の棲む家』(1979年)、『ポルターガイスト』(1982年)、『死霊館』(2013年)等々、ホラー映画ファンならば何度見てきたか分からないほどの定番シチュエーションだが、本作の場合は被害者が黒人一家であり、かつ貧困家庭という点に特殊性がある。
悪魔憑き=白人中流家庭という何となくのイメージを崩す構図であると同時に、アフリカ系アメリカ人のドラマというリー・ダニエルズ監督のホームともいえる題材にホラーをどう取り込むのかという点に興味があった。
さて、その成果やいかにというところだが、ホームドラマがヘビー過ぎて悪魔憑きが割とどうでもよかったというのが正直な感想だ。
主人公エボニー(アンドラ・デイ)は、3人の子どもと、母親アルバータ(グレン・クローズ)とともに細々と生活する貧困家庭の長である。
軍属の旦那は家族と別居中。夫婦仲はとっくに破綻しているのだが、離婚はしていないっぽい。
そして黒人一家であるにも関わらず母アルバータは白人。かといってエボニーの容姿は人種的ミックスにも見えないので、二人の間に血のつながりはなさそうだ。
知人からも「奇妙な親子」と呼ばれていることから、どうもこの二人は訳アリっぽいのだが、その辺りの事情は明確に説明されない。
推測するに、かつてアルバータにとって大事だったのは夫(=エボニーの父)であり、連れ子のエボニーはオマケのようなものだったのだろう。
そんな微妙な関係性の中にいる二人だが、夫(=エボニーにとっての父)に先立たれたことで血縁のない母と娘だけが取り残されてしまい、かといって自活するほどの経済力も持ち合わせていないことから、一つ屋根の下での生活を余儀なくされたのだろう。
アルバータは、育児に悩むエボニーに対してそこそこマトモなアドバイスもするのだが、一方エボニーは意固地になってんのかってレベルでアルバータに喰ってかかり、アルバータはアルバータで「そういう態度に出られても仕方ないわね」という諦めの表情を見せる。
かといって親子の情愛がまったくないというわけではない。
癌で闘病中のアルバータの治療費は、エボニーが黙って支払っていた。
マイケル・ムーア監督『シッコ』(2007年)でも描かれた通り、アメリカの医療制度は貧困層にとってはなかなかのハードモード。治療費の自己負担額は相当なものだと思うが、そもそも厳しい家計を何とかやりくりしながら、エボニーはアルバータの治療を支えていたのだ。
そして3人の子どもたちだが、こちらは全員揃ってひ弱な雰囲気を漂わせている
貧困家庭の子どもといえば非行を連想させられるが、本当に悲惨なのは非行に走るほどの腕っぷしも根性もない子供たちだ。このタイプは本当にどこにも居場所がない。
なのでエボニー家の子供たちには家の外に友人も相談者もなく、学校に通っている以外の時間を家にひたすら引きこもって過ごし、この家庭の実態は外側からはより見えづらくなっている。
「家庭という密室」、これが本作のキーワードだ。
そのケバだった雰囲気から「あの家庭ではきっと何か起こっているのだろう」という予断を生み、エボニー一家は児童相談所から完全マークされている。
確かにエボニーは良い母親ではない。先の見えない経済的苦境の中で常にイライラとし、子供たちに手が出ることもある。
しかし虐待と言えるほど酷いものでも常態化したものでもなく、子供たちに対する愛情もちゃんとある。
あんまり大きな声では言えないけれど、「ぶっちゃけ、この程度なら仕方ないよね」という暴力・恫喝って、子を持つ親ならある程度は分かる。
みんな「そんなことやってません」という顔をしているだけで、この場面だけ切り取られれば虐待と見做されるかもというギリギリのことって多くの家庭で起こっている。子供という不確実要素の塊を操縦するって、そう簡単なことではないのだ。
そんな状況下での悪魔憑きである。
悪魔は子供に取り憑いて家庭内を引っ掻き回す。対応せざるを得ない立場に追い込まれたエボニーは、一方で虐待親という社会的レッテルを恐れるあまり、事態を隠さざるを得なくなる。
こうして更に事態が悪化していくという負のスパイラル。
家庭環境を守るための児童保護システムが、ペナルティを恐れる親子を秘密主義に走らせ、問題を抱えた家庭をより孤立化させているという負の側面を、本作は容赦なく炙り出す。
かといって、児童相談所の職員は『アイ・アム・サム』(2001年)で描かれたような、子供を無理やりに取り上げようとする悪魔ではない。
本作では『プレシャス』(2009年)でアカデミー助演女優賞を受賞したモニークが演じているんだけど、ソーシャルワーカーのシンシアはエボニー一家を心配し、親身になって寄り添おうとする。
しかし、いざとなれば親子を引き離すことも可能な強権は、当事者親子にとっては大変な脅威である。
何がトリガーになって一家離散に追い込まれるかが分からない以上、エボニー親子は彼女に対して素直に事情を打ち明けることができない。こうして親子はどんどん詰んでいくわけだ。
最底辺の実態と児童保護精神が噛み合わず、その隙間に落ちたエボニー一家がどんどん追い込まれていく様は興味深く見ることができた。
問題は悪魔憑きが明らかとなる後半部分で、ここから映画は急激に失速する。
「これは悪魔の仕業ですね」ということを第三者に理解してもらえた時点で、エボニーが抱えていた苦悩の多くは解決してしまうのだ。
そこから先は『エクソシスト』ばりの派手なオカルト描写も登場するのだが、シングルマザーの社会的孤立に比べるとインパクトは弱いし、最後には悪魔祓いに成功するという結末が分かっている中でやんやされても、特に盛り上がることはなかった。
社会から虐待親のレッテルを貼られることの方が、悪魔に取り憑かれることよりも数段怖い。
これこそが現代社会の抱える闇なのかもしれない。
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