(2011年アメリカ)
森の小屋に、面識のない3名の若者が別々に辿り着く。小屋に来る直前の所在地はそれぞれバラバラであり、今居るこの小屋が一体どの場所にあるのかが分からない。森を脱出しようと歩いても、また小屋へと戻ってきてしまう。ここは一体どこなのか、脱出する方法はあるのか。
短い上映時間の作品なので空いた時間に何気なく見たら、激しく面白かった映画でした。ワンアイデアのSF映画っぽいという以外に何の事前情報もなく見られたことが幸運だったのですが、何も知らずに見るとかなり驚かされます。
スタッフ・キャスト
監督のジャック・ヘラーって誰?
監督はジャック・ヘラーという人で、本作が長編映画デビュー作のようなのですが、その後は監督業よりもプロデューサー業をメインとしています。プロデューサーとしての代表作は、ジャンル横断ウェスタンの佳作『トマホーク ガンマンvs食人族』(2015年)や大ヒット作第二弾『ゾンビランド ダブルタップ』(2019年)となっています。
アカデミー短編映画賞受賞のコンビが脚本
本作の脚本を書いたのはショーン・クリステンセンとジェイソン・ドランのコンビで、二人は『リッチーとの一日』(2012年)でアカデミー短編映画賞受賞しています。クリステンセン単独では、ブラックリスト入りしていた『ミッシングID』(2011年)の脚本も執筆しています。
ビッグネームの血縁者が出演
3人の主人公にはそれぞれビッグネームの血縁者がキャスティングされているのですが、映画を全部見ると、このキャスティングにも意味があることが分かります。
- スコット・イーストウッド(トム役):クリント・イーストウッドの婚外子。
- キャサリン・ウォーターストーン(サマンサ役):サム・ウォーターストーンの娘。
- サラ・パクストン(ジョディ役):ビル・パクストンの従妹
感想
この映画は死ぬほど面白いです。ただしネタが明かされると大きな楽しみが減るので、予備知識のない状態でご覧になることをお勧めします。以下の感想は、基本的にネタバレありで書いています。
大きな仕掛けはあるが、インチキはしていない
“Enter Nowhere”という原題は秀逸で、空間をテーマにしたSFであると観客に誤認識を与えつつも、完全なウソではないギリギリの表現にとどまっています。空間内がループしておりどれだけ進んでも小屋に戻ってしまうという設定も同様で、こちらもオチから振り返れば主題とはほぼ無関係であり、観客をミスディレクションする意図をもった設定ではあるのですが、クライマックスでこのループする空間が活かされる局面があるため「ズルい!」とは思いませんでした。
大胆なのに細部にも綻びが出ていない
また、登場人物間で最大50年もの年代差があるという点についても、地域差や個性の差を置くことで、ファッションや話し方に違いはあっても当事者達が違和感を持つには至らないというギリギリのところに収められています。かなり大胆なことをしながらも、綻びが出そうな部分にはちゃんと説明を付けているという丁寧な作りには感心させられました。
貧困の連鎖・犯罪の連鎖が裏のテーマ
ラスト。修正された人生を送るジョディが、冒頭と同じシチュエーションで別の女性が強盗に入る場面に遭遇しますが、この場面を見て、本作は貧困の連鎖・犯罪の連鎖を描いた作品であることに気付きました。強盗を働く者の家系図を遡ればどこかに大きな不幸があり、その不幸をリカバリーできなかったためにこうして子や孫が犯罪者になっている。あの店主は強盗に入られやすい商店を構え、犯罪者にならざるをえなかった者達に人生をリカバリーするための機会を提供しているのでしょう。
大胆なSF設定の裏側に潜むこうした社会啓蒙的な意図や、犯罪者にはそうならざるをえなかった背景があり、それを修正してやればまともな人生を送れるはずだという性善説的な人間観が作品に見た目以上の奥行を与えており、一発勝負のSFに留まらず鑑賞後にも余韻のある良作でした。
まとめ
大胆なアイデアを緻密な理屈で詰めた理想的なミステリーとして仕上がっています。そこに貧困の連鎖という社会的なテーマを盛り込み、これを破綻なくまとめてみせた本作の構成には恐れ入りました。見るべき佳作です。
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