(1998年 アメリカ)
発想・構成・演技のすべてが高いレベルで仕上がった傑作SF。犯罪ノワールから始まった物語が天地創造にまで至るという凄まじい風呂敷の広げ方と、それを100分程度でやり切った超絶怒涛のテンポには唸らされまくりだった。オチの付け方も最高最良で、欠点らしい欠点のない驚異の作品だと言える。
作品解説
アレックス・プロヤス入魂の作品
本作のオリジナル脚本を書いたのは『クロウ/飛翔伝説』(1994年)、『アイ,ロボット』(2004年)、『ノウイング』(2008年)で知られるオーストラリアの映画監督アレックス・プロヤスで、1991年頃に初期稿が完成。
後に『マトリックス』(1999年)などを手掛けるプロデューサーのアンドリュー・メイソンと共に製作を開始したプロヤスは、脚本の手直しのために『KAFKA/迷宮の悪夢』(1991年)のレム・ドブスを雇って、ベースとなるシナリオを完成させた。
プロヤスとメイソンはこのシナリオを持って映画会社を回ったが、ディズニーからは内容がよく分からないと言って断られた。
フォックスは真剣に検討してくれて、後に『ブレイド』(1998年)や『ダークナイト』(2008年)でアメコミ作品の大家となるデヴィッド・S・ゴイヤーを紹介され、脚本のさらなるブラッシュアップが図られた。
一時期はトム・クルーズも関心を示すほどの有望企画となったのだが、本作を熱心に進めていた役員が解雇されたことからこの企画もフォックスから離れ、準大手のニューラインシネマに行きつく。
ただしプロヤスはニューラインに辿り着いたことは幸運だったと語っている。
複雑で難解であることが醍醐味の作品であるにも関わらず、分かりやすくしろと言われることにうんざりしていたプロヤスは、製作規模を縮小してでも作品の核を守ることにした。その点でニューラインは条件に合っていたのだ。
ニューラインは社員の平均年齢が若く(社長のマイケル・デ・ルカは30代前半)、自由な社風で知られており、製作現場に口出しをしてくることはなかった。
撮影はプロヤス監督の母国であり、映画関係の免税措置が充実していたオーストラリアで1996年8月にスタート。
ハリウッドあるあるとして、明るい作品の撮影現場はギクシャクしがちで、暗い作品の場合は和気あいあいということがあるのだが、本作はそれを地で行く現場で、雰囲気や人間関係は滅茶苦茶に良かったらしい。
撮影は大きなトラブルもなく終了したのだが、一般客を対象にした試写で問題が発生する。
不本意な劇場公開版
大半の観客が「よく分からない」と言い出したのである。
ニューラインも製作陣もこれには大慌てで、急遽、世界観を補足するキーファー・サザーランドのナレーションを冒頭に入れることにした。
ダークシティの謎に迫ることが作品の骨子であるにもかかわらず、冒頭で半分くらいネタばらしをするというのは愚行中の愚行であるが、当時の関係者たちはそれほど焦っていたのだ。
この判断はニューラインから押し付けられたものではなく、変更は不要だと主張すればオリジナルバージョンで押し通すこともできたようなのだが、製作陣もあまりの反応の悪さに自信を失っていたようである。
プロヤスはこの時の判断を深く後悔しており、劇場公開から10年後に念願のディレクターズ・カット版をリリースするに至る。
ただしこのディレクターズ・カット版、どういうわけだか日本ではいまだにリリースされていない。
現在のソフト化権を有するワーナーのニューライン作品に対する冷遇には常日頃から目に余るものがあるのだが、評価の高い作品なのだからちゃんとしたソフトを販売してもらいたいものである。
興行的失敗と批評的成功
1997年10月に公開予定だった本作は2度の延期を経て、1998年2月27日に全米公開されたが、初登場4位と低迷。
全米トータルグロスは1437万ドル、全世界でも2720万ドルしか稼げず、興行的には失敗した。
なのだが批評家受けは良く、ロジャー・イーバートは1998年のベスト作品にあげた。
評価が高いのに客入りが悪かった現象についてプロヤスは、プロモーション戦略のミスを指摘している。
なぜかニューラインはホラー映画のような予告を作ってしまい、本来の顧客であるSFファンに作品が認知されていなかったらしい。
劇場公開時に伸び悩んだ本作はDVDリリースによって高い人気を獲得したのだが、そのファン層からは劇場公開されたことすら知らなかったとの反応が返ってきたようだ。
感想
DVDがとにかく高かった
10代の頃に見て衝撃を受けた映画であり、高額だったDVDも買った。
当時のニューライン作品は東宝ビデオがリリースしていたのだが、東宝ビデオの価格設定は超強気で、大した特典映像も付いていなくても6000円もした。
そんな高額DVDを購入し、後にはBlu-rayで買い直したのだが、それでも損とは言えないほど本作の視聴回数は多く、見る度に「よく出来た映画だな」と感心する。
脚本家として関わったデヴィッド・S・ゴイヤーも、今まで関わってきた作品の中で最も満足しているのが本作だと言っている。
何が凄いって、唖然とするようなアイデアがそこかしこにぶち込まれた斬新さと、それを破綻なくまとめてみせた構成力が異次元レベルなのである。
魅惑のノワール
裸の男(ルーファス・シーウェル)がホテルのバスタブで目覚めるのだが、記憶がない。
室内を探ると娼婦の死体を発見するのだが、自分が殺したのかどうか分からない。
そこにドクター・シュレイバー(キーファー・サザーランド)という男から電話がかかってきて「間違えて君の記憶を消してしまった。追っ手が迫っているので早く逃げろ」と言われる。
言われた通りに部屋を出ると、”ストレンジャー”と呼ばれる全身黒ずくめの男達に追いかけられる。
この導入部の時点で満点である。
本作は1940年代風のフィルムノワールを基調としているのだが、SFである以前に、ノワールとしての完成度が高い。
閉塞感溢れる大都市を舞台にし、主人公の物語とミステリーが密接に絡み合い、人間性に関わる問題が明らかになっていくという構成は、まさにノワール。
男はホテルの台帳から自分の名が”J・マードック”であることを知り、財布に入っていた身分証からファーストネームは”ジョン”であることを知る。そして身分証の住所にいた妻を名乗る女性エマ(ジェニファー・コネリー)から、既婚だが夫婦関係は破綻していたことを教えられる。
主人公が自分は何者であるかを探るこの流れも好き。ご都合主義的なところがなく、これを解き明かす過程で人間関係も見えてくる。完璧な構成ではなかろうか。
なお、ジョニー・デップが本作への出演を真剣に検討していたようなのだが、すでに有名人だったジョニデが主演だと、ジョンが自分の素性を確かめる過程はさぞや白々しく感じられただろう。
本業は舞台俳優で映画界では顔の知られていないルーファス・シーウェルだからこそ、自分が何者かが分からない男として説得力があったのだと思う。
そしてジョンの物語に連続殺人事件を追っているバムステッド警部(ウィリアム・ハート)が絡んでくるのだが、40年代の犯罪映画からそのまま抜け出てきたようなこのキャラがカッコよすぎた。
彼の家庭環境は崩壊していて自宅では一人。捜査資料を持ち帰るほど仕事熱心なのだが、現場では皮肉を言う余裕も見せる。ある種の諦めと達観を抱きつつも、社会や人生に対して完全に絶望しきっているわけでもない感じが実に良い。
元の脚本ではバムステッドに相当するキャラが主人公だったらしいが、それほどまでに練り上げられたキャラだということは伝わってきた。
昼がないことに気付かない人々
かくしてストレンジャーと警察の両方に追われることになったジョンだが、逃避行の過程で驚くべきことに気付く。
この都市には昼がないのだ。しかも住民たちは昼がないことに気付いてすらいない。
よくこんな話を考えついたものだとびっくらこいた。
深夜0時になるとすべての人々は眠りにつき、ストレンジャーが活動を始める。彼らは偽の記憶を植えつける注射を使って人々の地位を改変し、街の景観をも操作して毎日毎日新たな物語の中に住民たちを置いていく。
高速度撮影された植物のように地面からニョキニョキと建物が生えてくる様は圧巻であり、ここから映画はSFに突入する。
そして昨日はしがない労働者だった者が、翌日には資本家になっている。
こうした環境変化の中でも変わらないのが人間の心というものであり、ストレンジャーは夜な夜な実験を繰り返すことで、心とは何ぞやということを掴もうとしているのである。
この辺りの話は冒頭のナレーションで説明されるので特にネタバレではないのだが、こんなミステリーの核となる部分をハナっから説明してしまったのは残念な限りだった。
が、それを差し引いてもなお、本作の物語は魅力的でのめり込むものがある。
ここで核となるのがジョンとエマのラブストーリーで、二人は実験的に夫婦にされた関係なのだが、ロールプレイをさせられただけだと分かってもなお、惹かれ合う。
愛情や執着というものは記憶や経験のみから発生するのではなく、どんな状況でも湧き出てくるエモーションもあるのではないかという哲学的な考察にもなっているのだ。
その後、ジョンとバムステッドは街中の人々の記憶の中にあるのに、誰も行き方を思い出せない”シェルビーチ”に鍵があるのではないかとして、そこを目指す。
すべての事情を知っているドクター・シュレイバーに案内させて世界の果てに辿り付く二人だが、そこにあったのは海岸ではなくレンガの壁。そして壁を突き崩した先に驚愕の光景を目撃する。
ダークシティの正体を明かすこの場面にはビックリだったのだが、ネタバラシのタイミング、見せ方が完璧で、何度見ても唸らされる。
実は同時期に公開された某大ヒット作と同じオチではあるのだが、こちらの方が遥かに見せ方がうまいと思う。
超能力バトルが楽しい ※ネタバレあり
その後も物語は続く。
ストレンジャーは、彼らの超能力と人間の心を併せ持つマードックこそが目指すべき姿であるとし、ダークシティでの実験は終わりにしてマードックと一体化しようということにする。
そこでマードックはストレンジャーの拠点に拉致されるのだが、ドクター・シュレイバーの機転で覚醒したマードックvsストレンジャーの超能力バトルがハイライトとなる。
この部分はデヴィッド・S・ゴイヤーが執筆したらしく、それまでのノワール調から一転してバリバリのアメコミ風になるのが楽しい。
決戦は地下から空中へと移動し、豪快な破壊も見所である。ここまで来ると演出も音楽もノリノリでテンションの高い見せ場が炸裂する。
勝利したマードックはダークシティに光をもたらす。
それまでマクガフィン的なものだったシェルビーチが姿を現し、ハッピーエンドの象徴になるというオチの付け方も素晴らしかった。
SFという枠に留まらず、ここまで構成がよく出来た映画にはめったにお目にかかれないと言えるほどの一作である。
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