(2024年 アメリカ)
復讐の連鎖を描いた作品でテーマ性は深いが、直感的な面白味では負けている。前作を完全に越えたと言えるのは、見た目も立ち居振る舞いも鳥居みゆきみたいなキ〇ガイ皇帝(しかも双子)くらいかな。
感想
第一作の大ファンなので、公開初日に見に行ってまいりましたよ。映画館はいつものT-joy PRINCE 品川。
IMAXで見たけど、映画本編はラージサイズではなかったので、特にこだわりのない方は通常スクリーンで良いと思う。
興行的にも批評的にも大成功を収めた『グラディエーター』(2000年)は、その直後から続編企画が立ち上がっては消えていった。復讐を成し遂げた主人公が死んだ後に、語るべきドラマなど残っていなかったのだ。
が、『ナポレオン』(2023年)でも組んだ監督リドリー・スコットと脚本デヴィッド・スカルパが、前作で生き残ったマルクス帝の娘ルッシラ(コニー・ニールセン)とその息子ルシアス(ポール・メスカル)を軸にした物語を思いついた。
前作でのコモドゥス帝の死後、帝位を継承しうる立場にあるルシアスは暗殺の危険ありということでローマから遠く離れた僻地に飛ばされたのだが、そのまま消息不明になって無名のみなしごとして北アフリカ ヌミディアにまで流れついていたというのが、本作の前日譚部分。
息子の命を案じてローマを脱出させておきながら、その消息を完全に見失ったルッシラのうっかりさんぶりが光る。
ローマ風の名前は危険だという判断からかハンノと名前を変えてかの地に居つき、成長してかわいい嫁までもらったルシアスだったが、ローマ軍との戦争に負けて捕虜にされ、そこからグラディエーター人生が始まる。
序盤で描かれるローマ軍vsヌミディア軍の合戦は凄まじい物量と迫力で、スペクタクルの達人リドリー・スコットの手腕が早くも炸裂。86歳でこの肉食ぶりには恐れ入る。
戦の過程で奥さんを殺されたルシアスは、ローマ軍を率いていた大将軍アカシウス(ペドロ・パスカル)への復讐を誓い、ドン底から身内の復讐に燃えるグラディエーターという前作と同じ構図が出来上がる。
ここからルシアスの成り上がり物語が描かれるのだが、今回特に力を入れて描かれるのは動物さんたち。
猿と犬の中間みたいな謎哺乳類に始まり、背中にグラディエーターを乗せたサイ、海戦の下を泳ぐサメと、凶暴な動物さんたちが剣闘に彩を添える。
当時の技術でどうやってサメをコロッセオまで輸送してきたんだよという疑問も一瞬頭をよぎるが、見ているうちにそんなことどうでもよくなってくるほど、今回のアクションは質が高い。
どの見せ場でも毛が抜けるほど興奮させられた。
これらクセつよバトルに勝利することで剣闘士としての名をあげるハンノ=ルシアスだが、演じるポール・メスカルに前作のラッセル・クロウほどのカリスマ性はなく、主人公としてはもう一つだったかな。
後半に差し掛かると指導者として覚醒するんだけど、何度かある彼の演説は作り手が意図していたほど熱くはなっていなかった。
代わって画面を席巻するのは、グラディエーターのスポンサーである商人マクリヌス。
演じるのは監督の弟トニー・スコット作品の常連であり、本作出演者中でも最大のビッグネームであるデンゼル・ワシントンだ。
生意気なルシアスを「面白い奴がいる」と言って可愛がる器の大きさを示したかと思えば、大事なことは何も語らないというタヌキぶりも披露。何を最終目標にしてるんだかよく分からない人物像で、その意味不明さゆえに物語をひっかきまわす。
ネタを明かすと、彼はローマ帝国、特に故マルクス帝への復讐を誓う元奴隷で、ラスボスとして主人公の前に立ち塞がることとなる(ルシアスはマルクス帝の孫なのだ)。
物語の上ではヒールなのだが、ローマ帝国に故郷を滅ぼされ、皇帝の奴隷にされた彼には復讐すべき正当な理由がある。
復讐の不毛さこそが本作のテーマなのだ。
主人公ルシアスにしても、彼が復讐しようとしている大将軍アカシウスは人格者であり、そしてよりにもよって母ルッシラの現夫だ。
ルシアスが復讐を成し遂げることは、アカシウスという偉大な人物の喪失へと繋がる。
観客はルシアス頑張れ!という気持ちと、アカシウスを殺すのは違うんじゃないかという気持ちを、同時に抱くことになる。
前作は妻子の復讐を成し遂げる男のドラマで、シンプルさゆえの伝わりやすさがあったが、その後24年間で現実世界ではいろいろあった。
911テロがあり、対テロ戦争があり、ロシアはウクライナに攻め入り、イスラエルはパレスチナ人を殺しまくっている。
こうした国際情勢の中で「誰かにとっての正義は誰かにとっての悪」という感覚が人々に芽生え、復讐は容易に正当化できなくなった。
そんな中で、本作のような多層的なドラマが出来上がったのだろう。
「復讐」というテーマの捉え方において、本作は前作を凌駕していると思う。
ただし思索に富んだ作風ゆえに直感的な興奮にはつながっておらず、面白いかと言われるとなかなかYesとも言いづらい微妙な感じになっている。
が、そんなドラマにおいて純粋悪を買って出ているのがカラカラ&ゲタの双子皇帝である。
真っ白な顔に濃いめのアイラインと鳥居みゆきのような出で立ちで、その言動も鳥居みゆきのネタレベル。もはや何でブチ切れて命を粗末にするのかが分からず、前作のコモドゥス(ホアキン・フェニックス)が賢帝に感じられるほどのぶっ飛んだ暴君ぶりを見せてくれる。
こいつらのキ〇ガイぶりは最高で、前作を越えたと言える数少ない要素が、このバカ双子だった。
こいつらが出てくる場面だけは、別の映画かと思うほど俗っぽく娯楽っぽくなる。
現在、第三弾も企画中らしく、順当に考えればルシアスの物語だと考えられるのだけど、私はこんなバカがいかにして帝位に就いてのかを見たいかな。
あと、ルシウスがマキシマスの息子だったという設定はいらんかったかな。
前作とのつながりを維持するために必要な設定と判断されたのだろうけど、殺された妻子の復讐を遂げるマキシマスのドラマの意味付けが大きく変わってしまったので、余計なちょい足しだった。
臨終のマキシマスがルシアスを案じるセリフを言ったことにしたという改変などは最悪で、復讐を遂げ、黄泉の国にて妻子と再会したという前作ラストの余韻がぶち壊しになった。
『ブレードランナー』(1982年)におけるデッカード=レプリカント設定のちょい足しもそうだったけど、リドリー・スコットは元のドラマを台無しにする後付けをたまにする。
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