(1995年 アメリカ)
ジョディ・フォスター監督第2作目。家族問題を丁寧にドラマ化した作品であり、豪華キャストも含めて見所は多いのですが、監督がコメディに向いていないこともあって弾けきれていませんでした。良くも悪くも優等生的な映画。
作品解説
ジョディ・フォスター監督作品
1990年代は人気俳優達がこぞって監督業に進出した時期でした。
『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』(1991年)のケヴィン・コスナー、『許されざる者』(1992年)のクリント・イーストウッド、『ブレイブハート』(1995年)のメル・ギブソンはアカデミー賞を受賞し、その他にもロバート・デ・ニーロやトム・ハンクスも監督業に進出していました。意外なところだとジョニー・デップも『ブレイブ』(1997年)という映画を撮っています。
そんな中でジョディ・フォスターも『リトルマン・テイト』(1991年)で監督業に進出し、本作が監督2作目となります。
有名俳優の場合は自身が出演もすると言った方が資金を集めやすいようで、フォスターも例に漏れず監督デビュー作『リトルマン~」では監督兼主演だったのですが、その手腕を評価されてか本作では監督業に専念しています。
豪華スター共演
大スター ジョディ・フォスターがそのコネクションをフル活用した結果なのか、地味なホームドラマの割には物凄いメンツが揃っています。
特に注目はロバート・ダウニー・Jr.で、MCUからファンになった方々にとっては若かりし日のイケメンJr.は新鮮だと思うし、オスカーノミネート経験も持つ実力派俳優としての顔も見ることができます。
- ホリー・ハンター/長女クローディア
- ロバート・ダウニー・Jr./長男トミー
- アン・バンクロフト/母アデル
- チャールズ・ダーニング/父ヘンリー
- ディラン・マクダーモッド/トミーの友人レオ
- ジェラルディン・チャップリン/叔母グラディ
- クレア・デーンズ/クローディアの娘キット
- シンシア・スティーヴンソン/次女ジョアンナ
- スティーヴ・グッテンバーグ/ジョアンナの夫ウォルター
興行的には伸び悩んだ
本作は1995年11月3日に公開されたのですが、絶好調だったジョン・トラヴォルタ主演の『ゲット・ショーティ』(1995年)や、本作と同じくホリー・ハンターが主演したサイコスリラー『コピーキャット』(1995年)などに敗れて初登場7位と低迷。
その後もランキングを上げていくことはなく、トータルボックスオフィスは1751万ドルに留まりました。豪華キャストゆえか内容の割に高コストの作品なのですが、2000万ドルという製作費の回収もできませんでした。
感想
家庭内の愛情は平等ではない
とっくに成人して所帯を持っている子供達が実家に帰省した際に起こるドタバタを描いた作品なのですが、コメディを基調としながらも家族内のイヤ~な部分を露にしていく辺りが、本作の面白さとなっています。
サンクスギビングデーに実家に一同に会する家族+αは↓の通り。
- 母アデル(アン・バンクロフト)
- 父ヘンリー(チャールズ・ダーニング)
- 長女クローディア(ホリー・ハンター)
- 次女ジョアンナ(シンシア・スティーヴンソン)
- 末弟トミー(ロバート・ダウニー・Jr.)
- 叔母グラディ(ジェラルディン・チャップリン)
- ジョアンナの夫ウォルター(スティーヴ・グッテンバーグ)
- トミーの友人レオ(ディラン・マクダーモッド)
物語の主人公は長女クローディア(ホリー・ハンター)であり、彼女は3人姉弟の中で最も両親からの寵愛を受けてきました。母アデルに至ってはいまだにクローディアの画家としての才能を信じており、「あなたは出来るから頑張りなさいよ」なんて言葉をかけられています。
末弟トミーは自由奔放な壊し屋タイプ。気の向くままノーストレスで生きているのですが、可愛げがあるので批判の対象になることは少なく、みんなとうまくやっています。特にクローディアとの仲は良く、両親に言えないことでも相談し合える関係を構築しています。
一方、家族の中で浮いた存在なのが次女ジョアンナ。彼女はもっとも堅実なタイプなのですが、自己表現が下手で可愛げが不足しているので姉や弟の影に隠れがちで、両親からの寵愛を受けていません。また兄弟との関係も良くはなく、クローディアとトミーが親密な分だけ彼女が孤独を感じるという構図が出来上がっています。
この三兄弟でもっとも興味深いのがジョアンナで、中間子特有の僻みを抱えて生きています。
両親は私の事なんて見ていないし、姉と弟は二人だけで仲良くやっていて私を仲間外れにする。どうせ私の意見なんて無視されるのよというひねくれた態度をとっているのです。
また、姉と弟が都会に出て行って自己実現している中で、自分だけは地元に残って専業主婦をしていることのコンプレックスも抱えており、姉と弟からバカにされているのではないかという被害妄想を抱いています。
クローディアだってシングルマザーの上に職を失い苦労しているのですが、自分の可能性を一度も試さず常に守りの姿勢で生きてきたジョアンナからすればその人生は妬ましいほど輝いて見えているのです。
そうした成人後の兄弟間格差が、ターキーを挟んだ些細なトラブルから露になっていきます。その光景には適度な緊張感があり、多くの人にとって身に覚えのあることなのでイヤ~なものを見てしまったような不快感もありました。映画としては良い不快感なのですが。
妬みの中で過ごした人生
ただ、ジョアンナはまだマシな方です。
この中でもっともイタイのが叔母のグラディ(ジェラルディン・チャップリン)。彼女は一家の母アデル(アン・バンクロフト)の妹であり、生涯未婚なので世帯は別ながらも一家の家族行事によく参加しています。こういうおじさん・おばさんって親戚の中に一人は居ますよね。
そんな彼女から衝撃の一言が発せられます。十代の頃に姉の彼氏として知り合ったヘンリー(チャールズ・ダーニング)に一目惚れし、以来、ヘンリーを愛し続けていると。
義理の兄が生涯の恋愛対象だった彼女の人生がどんなものだったのかと想像すると、背筋が凍り付きそうになります。決して実ることのない恋心を抱き、姉と仲睦まじくするヘンリーの姿を年がら年中見続けなければならない人生。
すでに彼女は感覚的に突き抜けてしまっていますが、その人生は姉への激しい妬みの中にあったと思われます。家族行事の場で言う必要のない告白をしたのは、彼女なりの姉への反発ではないでしょうか。
基本的に彼女はコミカルに演出されているものの、かなり不幸な人生を送ってきた人物だと言えます。
良くも悪くも堅実な演出
そんな家族の葛藤を、ジョディ・フォスターは丁寧に演出します。情報の整理などは実に行き届いており、分かりやすさや、見終わった後の感慨深さなど、この手のドラマに必要な要件を楽々とクリアーした感があります。及第点には余裕で達しているのです。
ただし滅茶苦茶にうまいというわけでもないんですよね。
例えば人数の多いファミリードラマという点で本作と共通している『ゴッドファーザー』(1972年)は、いきなりパーティの場面から始まります。物語を進行させながら雑多なキャラクターの人となりを紹介していくという形式をとっており、本当にうまい監督ならば本作もいきなりサンクス・ギビング・デーの場面から始めたはず。
しかしフォスター監督にはそこまでの自信がなかったのかパーティー前日から本編を開始し、キャラクターの背景や人となりの説明にたっぷりと時間をかけるものだから、前半部分はとてもダラけます。
また、彼女がコメディを不得意としていることも分かりました。
本作の脚本を書いたのは『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』(1984年)、『ゴーストハンターズ』(1986年)のW・D・リクターなので、その内容はもっとぶっ飛んだものだったのではないかと推測されます。
実際、壊し屋であるトミーやグラディのキャラクターにその片鱗は見て取れるのですが、フォスターはコメディとして突き抜けた演出を行っていないために彼らを持て余しており、爆発力のある展開を生み出せていません。
結果、良くも悪くも堅実な映画に終わっています。コメディを撮れる人物が監督していればもっと面白くなったかもしれないだけにちょっと残念です。
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