(2021年 アメリカ)
表面的には娘を助けるために奮闘する親父を描いたコマンドー的な作品なんだけど、その実体はアメリカの保守親父が海外でマイノリティの立場となり、否応なく多様性を身に着けていくという社会派ドラマだった。面白いのでオススメ。
感想
思いがけず面白かった映画
どんな映画なのかも知らず、マット・デイモンが出ているという理由だけでアマプラで鑑賞したが、思いがけず面白かった。
遠い外国にて殺人罪で服役中の娘を救い出そうと犯人捜しをする親父の話で、それを演じるのは我らがマット・デイモンなんだけど、ジェイソン・ボーンのように華麗にはいかない。
主人公ビルは、複雑怪奇なフランスの法制度に阻まれ、言葉も通じない異国の地で悪戦苦闘する羽目となり、何もかもがうまくいかないのだ。
加えて親子仲もうまくいっていないらしく、『96時間』(2008年)のように「パパ助けて!」と頼られるわけでもない。
娘は明らかにビルを見下している風で、他に頼める相手もいないからパパに動いてもらっているだけなんですがという姿勢を崩さない。
それでも頑張るビルの姿を見ると「親父がんばれ!」と応援したくなるんだけど、この親父は親父で問題を抱えており、なるべくしてこうなったということが次第にわかってくる。
本作が独特なのはその語り口であり、まず違和感を与えて、その後になぜそうなったのかが分かるという見せ方をしてくる。
だから長い上映時間にも関わらず、物語への関心が高いレベルで維持され続ける。なかなか洗練された構成と演出だなと思って見ていたが、監督は『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年)でアカデミー作品賞と脚本賞を受賞したトム・マッカーシーだった。
「アカデミー賞監督の映画とも知らずに見たんかい!」とつっこまれるかもしれないが、事前情報なしに見ても相当なレベルの人が作った映画だろうと分かるのだから、やはり本作の出来は良いのだ。
保守親父の変化
タイトルのスティルウォーターとはアメリカの地方都市であり、主人公ビルの出身地にして現住所である。
冒頭、竜巻で被災した建物の解体作業に従事するビルは、「それでも住民はまたこの街に戻ってくる。アメリカ人は変化を好まないから」と言う。
スティルウォーターがあるのはオクラホマ州で、オクラホマと言えばアメリカの国論を二分している中絶禁止論争に対して、いち早く違法(すなわち中絶反対)との判断を下した州である。
共和党支持者の多い、いわゆる赤い州というやつで、その住民たちは時が止まったかのような価値観で生きている。
ビルもその中の一人なんだけど、娘を救うため異国の地で活動せざるを得なくなったことから、本人も無自覚のうちにその意識は変容していく。
言葉の通じないフランスでは地元民の助けが不可欠。しかし、もしも立場が逆ならばビルはアメリカにやってきた外国人に世話を焼いたりしないだろう。
よってビルは本来の自分とは価値観が正反対の人間と関わることとなる。
それが地元女性のヴィルジニー(カミーユ・コッタン)であり、彼女自身は白人ながらも、その娘マヤには明らかにアフリカ系の血が入っており、有色人種との交際があったことが分かる。しかもヴィルジニーは未婚の母。
人種的多様性に対して寛容であり、かつ、伝統的な家族制度に縛られない生き方をするヴィルジニーは、アメリカの保守層が嫌悪するタイプの人物である。
もしも娘の殺人罪と異国での捜査活動という異常事態がなければ、その人生で決して交わることはなかっただろう。
しかし背に腹は代えられない状態でビルは彼女と関わり合いになり、文句を言って彼女を怒らせるわけにもいかないのでおとなしくその価値観を肯定しているうちに、これまでこだわってきた保守的な価値観が自然に薄まっていく。
クライマックスでの「何もかもが変わって見える」というセリフは、アメリカ人の保守的気質に触れた冒頭のセリフに対応しているのだ。
リベラル白人だってずるいよね
なんだけど、リベラル白人を完全肯定するわけでもないのが、本作の面白いところ。
捜索活動の課程で、目的とする人物がいると思われる集合住宅を突き止めるビルとヴィルジニー。
すぐにでも調査を始めたいビルに対して、「あそこは土地柄が悪いのでこの時間に足を踏み入れちゃいけない。明日出直しましょう」と言うヴィルジニー。彼女もまた、地域性の違いによる色眼鏡は持っているのである。
いやいや、あの時のヴィルジニーは治安を気にしていたのであり、身の安全を守るためにという趣旨で発言していたじゃないかという反論があるかもしれない。
だとすれば、アメリカの貧乏白人だって同じだろう。
彼らは外国からの移民と生活圏を共有し、職業で競合する立場にいる。移民は彼らの生活に対してダイレクトに影響を及ぼす存在であり、何も差別意識だけで反対しているわけではないのだ。
リベラル白人たちはそんな彼らに移民と仲良くしろ、できないなら差別主義者だと言って批判するが、治安の悪い地域を避けようとするヴィルジニーだって、「わが身を守るためにある特定の人々を避ける」という点では大差がないのである。
その欺瞞をちゃんと描けていたことが、本作の大きな意義だったと思う。
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