アイ・アム・レジェンド_まさかのオメガマンのリメイク【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

スポンサーリンク
スポンサーリンク
終末
終末

(2007年 アメリカ)
無人化したNYの描写は圧巻だったし、この世界にたった一人生き残った男はどんなメンタルになっているのかという掘り下げもなされており、少なくとも前半はよく作り込まれていたのですが、後半にかけてどんどん期待から外れていきました。

©Warner Bros.

あらすじ

2009年、はしかウィルスを改造したがんの治療薬が開発されたが、このウィルスは猛毒性に変異して人類の大半を死亡させ、生き残った感染者も紫外線への耐性のない「ダーク・シーカー」という怪物に変化した。

3年後の2012年、NYで生存している人間はロバート・ネビル(ウィル・スミス)一人となっていた。ネビルはダーク・シーカーの脅威を避けながら生活しており、またマウスや生け捕りにしたダーク・シーカーへの実験により、ダーク・シーカーを元に戻す血清の研究を進めていた。

スタッフ・キャスト

監督は『ハンガー・ゲーム』シリーズのフランシス・ローレンス

1971年ウィーン出身、LA育ち。

MTVから映画界入りするという王道パターンで、キアヌ・リーブス主演の『コンスタンティン』(2005年)で監督デビュー。本作が長編2作目となります。

その後「2」以降の『ハンゲー・ゲーム』シリーズを手掛けて全作を大ヒットさせ、ジェニファー・ローレンスとの黄金コンビで挑んだスパイサスペンス『レッド・スパロー』(2018年)は面白かったのにコケました。

主演はウィル・スミス

1968年フィラデルフィア出身。ご存知、しばしば地球を救う男。

ラッパーから俳優に転身した後、『インデペンデンス・デイ』(1996年)と『メン・イン・ブラック』(1997年)で2年連続地球を救って大スターとなりました。もし『マトリックス』(1999年)のオファーを受けていれば世紀末救世主伝説にもっと泊が付いたところでしたが、代わりに出演した『ワイルド・ワイルド・ウェスト』(1999年)は期待ほど稼げませんでした。

2003年頃にマイケル・ベイ監督と共に本作の製作に挑んだのですが軌道に乗らず、代わりに『バッドボーイズ2バッド』(2003年)を製作しました。

脚色はベテランのアキヴァ・ゴールズマン

1962年NY出身。1990年代より『依頼人』(1994年)、『バットマン フォーエヴァー』(1995年)、『評決のとき』(1996年)などのヒット作を手掛け、『ビューティフル・マインド』(2001年)でアカデミー脚色賞を受賞。

ロン・ハワード監督作品の常連であり、その他に『シンデレラマン』(2005年)、『ダ・ヴィンチ・コード』(2006年)、『天使と悪魔』(2009年)も手掛けています。

また、フランシス・ローレンス監督のデビュー作『コンスタンティン』(2005年)では製作を担当しました。

作品概要

リチャード・マシスン著『地球最後の男』(1954年)、三度目の映画化

リチャード・マシスンは1926年生まれのSF作家で、優れたストーリーテリングの技術で一つのアイデアを丁寧に描写することを得意としています。

スピルバーグによって映像化された『激突!』(1971年)、傑作SFと名高い『ある日どこかで』(1981年)などが代表作。また『ジョーズ3』(1983年)の初期脚本も執筆しています。完成作品には相当ご不満をお持ちだったようですが。

本作の原作『地球最後の男』(1954年)は1964年にイタリア・アメリカ合作で映画化され、マシスン自身が脚色をしました。

この一度目の映画化作品『地球最後の男』(1964年)は公開時には批評的に失敗し、マシスン自身も失敗作だと認識しているものの、現在ではSFホラーのクラシックとして認識されています。

それは本作に影響を受けたジョージ・A・ロメロが製作した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)の評価を反映したものだと思われますが、ユルユルと歩く吸血鬼が家を包囲する様には確かに独特の不気味さがありました。

その後、ディストピアSFが流行った70年代において『地球最後の男オメガマン』(1971年)のタイトルで再映画化。

こちらはチャールトン・ヘストンと凶暴化した新人類の攻防戦がひたすら描かれるアクション路線となっており、SFらしい妙味はかなり減りました。

そして本作『アイ・アム・レジェンド』(2007年)が3度目の映画化企画となりますが、21世紀に入ってゾンビが走るようになったことに影響を受けて、本作のダーク・シーカーも異常に運動能力の発達した怪物となっており、彼らとの攻防戦はスピード感も迫力も圧倒的。

さらに『オメガマン』の都市描写をより強化し、過去2度の映画化企画の折衷を狙った作風となっています。

幻のリドリー・スコット監督版

本作が3度目の映画化企画と書きましたが、実は90年代にも一度映画化企画が持ち上がっています。

本作にもクレジットされているマーク・プロトセヴィッチが初期稿を執筆し、後に『グラディエーター』(2000年)を執筆するジョン・ローガンが第二稿を担当。

リドリー・スコットが監督し、世界最高のスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーが主演。1998年に製作を開始する予定でプリプロダクションもかなり進んでいました。

ただし1億2000万ドルもの製作費が計上されたためにワーナーが慎重モードとなり、加えて主演のシュワルツェネッガーが成功率半分という心臓の大手術を受けるという事態も発生。

手術自体は成功したのですが、主演俳優の健康状態がどうなるか分からない中で1億ドル超の映画は撮れないということで、製作は中止となったのでした。

興行的には大成功

本作は猛烈な大ヒットとなりました。

2007年12月14日に公開されると初動で7721万ドルを稼ぎ出し、ぶっちぎりの1位を記録。第2週にはニコラス・ケイジ主演の『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』(2007年)に阻まれてV2とはならなかったものの依然として売り上げは好調であり、全米トータルグロスは2億5639万ドルにのぼりました。

同じく世界マーケットでも好調であり、全世界トータルグロスは5億8541万ドルでした。

感想

終末を見せる圧倒的ビジュアル

冒頭、無人と化したニューヨークを一台のマスタングが疾走し、インパラの群れを追いかけています。アスファルト・ジャングルは本物のジャングルのような複雑な起伏を持ち、野生動物は四方八方へと逃げていく。それを追うロバート・ネビル(ウィル・スミス)。

終末をテーマにした映画は多く存在していますが、よく知っている街が廃墟と化した様をここまで鮮烈に映し出し、かつての街の構造を見せ場に生かすという芸当が出来ているのは本作のみ。

この圧倒的なビジュアルには度肝を抜かれました。

その他、沖合に停泊する空母の甲板に上がってのゴルフスイングや、かつての一等地を庭のように歩き回るなど、大都会で自分一人になったらという前提の画が見事に収められています。

地球最後の男の孤独

この世界を襲ったのはがん治療用に変異させたはしかウィルスの大流行であり、これによって地球人類の90%は死亡。残った10%は紫外線への耐性を失った怪物「ダーク・シーカー」に変異し、ウィルスへの抗体を持っていたネビルのみが人の形で生き延びています。

地球最後の男となったネビルは、自分自身に課した厳しい日課をこなし、あたかも社会生活を送っているかのように振る舞いながら孤独を紛らわせています。

朝は定時に目覚めてワークアウトを行い、かつてのニュース番組などの録画を家のテレビで流し、DVDの貸出と返却をしにレンタル店へ出向きます。

ネビルの置かれた環境を考えると、毎朝同じ時間に目覚める必要はないし、自分を見せる相手もいないのだからスタイルを保つことも不要。レンタル店のDVDだって全部家に持って帰ってしまってもいいのです。

しかし、もし今の状況を直視すれば、恐らく心が折れる。だから自分を誤魔化すためにわざわざやることを作っているのです。

そして重要なのが犬の存在。『マッドマックス2』(1981年)より終末世界のお供は犬と決まっていますが、ネビルが飼っているシェパードのワンちゃんが可愛くて賢くて健気で、確かにこの子がいれば孤独も紛れるよなという善きパートナーとなっています。

だからこそ、作品中盤でダーク・シーカーによってこのワンちゃんを殺されたことでネビルの心の柱がポキっと折れて、無謀な反撃に出るという構成はよく考えられています。

3年間、孤独に耐えている地球最後の男がいるとしたらどんな心境でいるのか、群れを失った人間がどうやって正気を保つのかという点が実によく掘り下げられた、実に見事な脚色でした。

ここまでは、ポストアポカリプス映画としてかなりハイレベルな出来だったと思います。

アナ登場から話がおかしくなる

犬の弔い合戦に敗れてネビルが窮地に追い込まれたところを、アナ(アリシー・ブラガ)が救助に現れます。彼女もネビル同様ウィルスへの抗体を持っていた生き残りであり、どこかにいるかもしれない生存者に宛てたネビルのラジオ放送を聞いてNYにやって来たのでした。

生き残りは自分一人だと思っていたところに、別の生存者が現れた。しかも若い女性。私がネビルの立場なら飛び上がって喜びそうなところですが、ネビルは極めて冷淡に接します。

アナが作ってくれた朝食をひっくり返し、勝手にベーコンを食われたことにぐちゃぐちゃと文句をつける。

3年間ラジオ放送を欠かさないほどネビルは人を欲していたのに、その呼びかけに応じてきたアナを邪険にする意味が分かりません。

アナは生存者達の集落があると言うのですが、ネビルは頑として信用しません。自分以外の生存者が確認されたのだから、他にも生きている人間がいると考えるのが自然だし、何よりネビルは人を求めていたはずなのに、なぜ目の前の希望を無下に否定するのか。

前半で丁寧に描写されたネビルの内面が、ここで一気に崩壊しました。

2種類のエンディングについて ※ネタバレあり

その後、ネビルはダーク・シーカーの大群の襲撃を受け、目を楽しませる大アクションの末にエンディングを迎えます。

そのエンディングは劇場版とアナザー版で正反対の内容となっているので、それぞれについて感想を記載しておきます。

『地球最後の男オメガマン』に忠実な劇場版

ダーク・シーカーの大群が目指していたのはネビル家の地下にあるラボであり、人体実験のためネビルにさらわれていた仲間の奪還が目的でした。

ただしネビルの実験は成功しており、さらわれたダーク・シーカーの個体は人間の姿に戻っていました。

ネビルは「お前らを直してやれるから攻撃はやめてくれ」と叫ぶのですが、激昂したダーク・シーカーには通じず、血清が目の前にあるのにラボは陥落寸前。

そこでネビルは完成した血清をアナに託し、自らはダーク・シーカーもろとも爆死して人類再興の道を作り、「伝説(レジェンド)」となったのでした。

ダーク・シーカーは最後まで悪い奴で、ネビルの英雄的な自己犠牲によって幕を閉じるという展開は、2度目の映画化企画『地球最後の男オメガマン』(1971年)に近いのですが、ありきたりなSFアクションという感じで妙味はありません。

正直、このラストは面白いと感じませんでした。

原作に忠実な別エンディング版

こちらはソフト化の際にオマケとして収録されたバージョン。現在はAmazonプライムでも無料配信されています。

ネビル家が襲われることや、血清の開発に成功していたことは劇場版と同じくなのですが、異なるのはネビルがダーク・シーカーの意図を理解することです。

これまでのネビルにとってダーク・シーカーは醜い怪物でしかなかったのですが、彼らは愛情から仲間の奪還にやってきており、一つの種族として新たな社会を形成していました。

彼らを「治してやる」というネビルの発想自体が、ダーク・シーカーからすればまったくの要らんお世話だったというわけです。

ダーク・シーカー側からすれば、手出しができない昼間に動き回り、車両や銃器を使いこなして仲間をさらっていくネビルは大変な脅威であり、ネビル自身は怪物を倒しているつもりでいたが、実はネビルこそがダーク・シーカーにとっての「伝説の怪物(レジェンド)」だった。

この構図を理解したネビルは血清を捨て、被検体だったダーク・シーカーの個体を群れに返してやります。

新たなる種族の誕生と、善悪の逆転。これぞSFという終わり方であり、原作が評価された点がきちんと映像化されています。

こちらのエンディングだとかなり腑に落ちるのですが、なぜワーナーは出来の悪い方のエンディングを劇場で流したのでしょうか。判断の理由がよく分かりません。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
記事が役立ったらクリック
スポンサーリンク

コメント