(2016年 アメリカ)
長大な物語を短くまとめすぎて何の感慨も抱けない内容になっています。人種問題や宗教と社会など、アメリカ社会を総括するような興味深いテーマが打ち出されているだけに、個別要素がアッサリ済まされていることは残念でした。
作品解説
原作は『ミスティック・リバー』のデニス・ルヘイン
本作はアメリカの小説家デニス・ルヘインの同名小説を原作としています。
ルヘインの小説は複数回映画化されており、もっとも有名な作品はクリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』(2003年)。
その他、本作の監督ベン・アフレックの『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(2007年)、製作レオナルド・ディカプリオの『シャッター・アイランド』(2009年)もルヘイン原作です。
製作・脚本・監督・主演はベン・アフレック
2012年に出版された原作の映画化権を押さえたワーナーは、レオナルド・ディカプリオ主演での映画化を企画し、彼の製作会社アッピアン・ウェイが制作に加わりました。
その後ディカプリオが離脱し、代わって『アルゴ』(2012年)でアカデミー賞を受賞したベン・アフレックが就任。彼は主演のみならず製作・脚本・監督とクリエイティブ面も一手に引き受けました。
赤字総額7500万ドルの大コケ
本作は2016年12月25日に全米公開されたのですが、事前の批評家レビューが思わしくなかったこともあって初登場11位という不調。
その後も売上高は芳しくなく、全米トータルグロスは1040万ドル、全世界トータルグロスは2270万ドルで、6500万ドルとも9000万ドルともいわれる製作費の回収すらできない大爆死となりました。結果、7500万ドルもの巨額赤字が出たと推定されています。
また本作の不振がベン・アフレックのアルコール依存症を加速させたとも言われています。
感想
2時間で描くには無理のある話
禁酒法時代のボストン。アイリッシュ系のジョー・コフリン(ベン・アフレック)は仲間達と銀行強盗をしているのですが、地元のアイリッシュ系ギャングのボスと女を巡るいざこざがあった上に、強盗にも失敗して服役。出所後にはアイリッシュ・ギャングと敵対するイタリアン・マフィアに自分を売り込み、フロリダ州タンパでのビジネスを任されるというのがざっくりとしたあらすじ。
登場人物が多いうえに話の展開も複雑で、本来はテレビシリーズでじっくりと描くべきボリュームの内容を僅か2時間強の上映時間に押し込めているので、無理が生じています。
一度ボストンで堕ちたジョーがタンパで成り上がっていく様が超駆け足で描かれるのでそこには何の感慨もなく、大勢が入り乱れる群像劇にも面白みがありません。
例えばタンパ警察のフィギス本部長(クリス・クーパー)の娘ロレッタ(エル・ファニング)は、ジョーに対して「父はあなたが好きだったのに、いつからかあなたを褒めなくなった」と言うのですが、事前にフィギスとジョーの関係が良好であるという描写が希薄であるため、二人の愛憎関係が際立っていません。
ジョーとグラシエラ(ゾーイ・サルダナ)の関係性も同じく。
グラシエラはジョーの取引相手であるキューバ系組織のボスの姉であり、ちょいちょい画面に出てくる程度の存在感だったのですが、いつの間にやらジョーはグラシエラに夢中になっており、そのうち結婚。こちらもまたジョーとグラシエラの関係性の描写が希薄だったため展開に唐突感が出ています。
加えて、アイルランド系やイタリア系と言ったいわゆる新移民同士の対立や、ヒスパニック系組織の台頭とKKKの暗躍、キリスト教原理主義者の社会的パワーや陰で社会を操るWASPの影響力など、アメリカ社会の混沌までを凝縮した野心的な内容なのですが、これまた無理のある脚色で台無しになっています。
尚、本作のファーストカットは3時間超だったと言われているのですが、ワーナーによる大胆なカットで2時間強にまで尺を詰められた結果、主人公の兄役だったスコット・イーストウッドの出演場面は全カットされました。
ジョーは夜に生きちゃダメ
さらに根本的な問題として、主人公ジョーが全然クールに見えないという問題もあります。
もともとジョーは真面目な愛国青年だったのですが、第一次世界大戦の戦場で地獄を見たことから、お国に尽くしてもロクなことにはならないという悟りを開いて「夜に生きる」ことにしました。
またジョーは誰かが勝手に決めたルールに従うことを良しとはしないという人生訓を獲得し、犯罪組織にも所属せず仲間達と強盗をします。
そんな一家言持つ男ジョーですが、アイリッシュ・ギャングのボスの女(シエナ・ミラー)と親密になったことが身の破滅を招きます。
格上の人間、影響力のある人間の交際相手に手を出せばタダじゃ済まないことなんて部活やってる中学生にすら分かるのに、自分の身は自分で守るという姿勢でいたジョーがその辺りの用心を怠っていたという点が何ともダサく感じます。
そして一度女関係で痛い目に遭ったジョーが、出所後のタンパではグラシエラと一緒になろうとするため懲りない奴に見えています。
社会や組織からは一線を引くという生き方を選択した以上、弱点となりかねない人間関係は持たないという代償は支払うべきだろうと思うのですが、アウトローが仕事とプライベート両方の充実を求める辺りが、やはりダサいわけです。『ヒート』(1995年)のニール・マッコーリーを見習いなさいよと。
ジョーは夜に生きちゃいけないタイプの人間ではないでしょうか。
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