帰ってきたヒトラー【2点/10点満点中_作り手達がリスク回避した駄作】

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社会派
社会派

[2015年ドイツ]

2点/10点満点中

世界的に評価の高い本作をかなりネチネチと批判するので、この映画を好きな方は、私のレビューを読まれない方が良いかもしれません。

■複雑なメタ設定

①ヒトラーが2012年にタイムスリップしてくるというフィクション

②ヒトラーに扮した俳優が街に繰り出すノンフィクション

③「帰ってきたヒトラー」という劇中劇

この3層が複雑に入り乱れる物語なのですが、これだけ視点が動く作品なので感情移入の依り代がなく、個別のネタレベルでは笑えたり興味を惹かれたりはしたものの、全体としては面白いと感じませんでした。

また、②については実際の街角インタビューを映し出しているのですが、1945年からタイムスリップしてきたヒトラーが街で話をしているという映画の建て付けと、インタビューに答えている市民たちはヒトラーに扮した俳優さんと話しているという構造上のズレが見ているうちに段々と気になってきました。

特に、資金に困ったヒトラーが似顔絵描きで金を稼ぐというくだりなどは、ヒトラーは画家を目指していたという史実を背景としながらも、演じている役者さんは絵については素人なので、ド下手な絵しか描けないわけです。で、下手な絵を描いて市民から顰蹙を買うという姿を延々と見せられるのですが、私はこれをどう受け止めればいいのかがよくわかりませんでした。映画の構造上は本物のヒトラーが絵を描いていることになっているのだから、そこはプロ並みの画力で市民を驚かせるという展開の方が正しかったのではないかと。

■「進め!電波少年」+「モニタリング」

上記3層のうち、とりわけドイツ社会におけるタブー中のタブーであるアドルフ・ヒトラーを街に放ち、人々の反応を観察するというバラエティ番組のような社会実験こそが作品の目玉となっているのですが、主に移民問題について思っていても口に出しづらい意見をヒトラーという飛び道具を使って庶民からうまく引き出している点は興味深く感じました。

そして普段言いづらいことを言わせたことにより、彼らは無教養のレイシストだから移民を拒否しているのではなく、移民の隣人として生活しなければならない立場にあるからこそ、簡単には容認できないという現実問題が明らかになってきます。道化を装いながら社会が抱える問題点を突くという、社会派コメディに要求されることがきちんとこなせているという点は、大いに評価できます。

■作り手が社会問題に回答を出してしまっている

このように意義のある問題提起があったにも関わらず、結局本作の作り手たちは安全な方向に逃げてしまいます。ラストではヨーロッパ各地の民族主義政党をおどろおどろしい演出で羅列し、「ナショナリスト=レイシスト」というありがちなレッテル貼りをして「お前らみたいなのが第二のヒトラーを生み出すんだ」と、問題に善悪を付けてしまうのです。「移民排斥には断固として反対します!」という立場を表明しておくことが政治的に正しいからなのですが、観客に考えさせるべき問題に作り手が答えを出したことで社会派エンターテイメントとしての価値はかなり落ちたし、ブラックコメディの着地点としても面白くないと感じました。

また、思想はどちらの方向にも振り切れすぎても健全とは言えません。外国人排斥がダメなのはもちろんのことで、その価値観を決して否定しませんが、同時に、流入してくる移民との共生を余儀なくされる立場の人達のNOの声をまったく無視し、文句も言わずに仲良くしなければレイシスト扱いという振り切り方が決して正しいとは思えません。どちらの話も聞いてから結論を出すことが、もっとも適正な意思決定プロセスではないのでしょうか。本作は途中までそれができていたのに、最後の最後で学級委員長的な結論を出してしまった点が残念でした。最後まで道化を貫けばよかったのに。

■これが歴史の教訓?

ナチスを生み出したのは世界一民主的と言われたワイマール共和国であり、絵にかいた餅状態の憲法と綺麗事ばかりの左派政党が国民の抱える現実問題に対応できずにヒトラーの台頭を招いたという分析もあります。つまり食えない綺麗事を押し付けていれば、そのうち国民は得体の知れないモンスターに頼り始めるということこそが歴史の教訓なのですが、果たして本作はその教訓に立った論を張れているでしょうか。

例えば「移民の振る舞いに困っています」と訴えている食堂のおばさんを「あなたはナチス支持者と同じになってしまいますよ」と脅すことが、第二のヒトラーを防ぐ手立てになるのでしょうか?私はそうは思いません。このおばさんが抱えている不満を聞き出し、現実的な改善策を提示してやることこそが、ヒトラーのような劇薬を頼りにさせずに済む唯一の方法ではないでしょうか。

■ドキュメンタリー部分の一部に創作が混じっているというインチキ

鑑賞後にwikiの記事を読んで知ったのですが、ドイツ国家民主党関連のシーンはすべてが本物ではなく、党本部の建物や党首は現実のものではないようです。いわゆるヤラセってやつです。

フィクションも織り交ぜた作品とはいえ社会実験的な要素を強く押し出した内容でこれは禁じ手だし、構成上どうしてもその場面を入れる必要があったのであれば、誰が見てもフィクションだと判別がつくような見せ方をしておかねばならなかったと思います。その点、ノンフィクションパートに混入させるような形でこれを見せてしまったことは作り手として不誠実だったし、ヤラセをしてしまったという点で、本作は社会派作品としての価値をかなり落としました。

■フィクションパートの出来も悪い

フィクションパートはカルチャーギャップコメディとして作られているのですが、ほんの70年前の人物であるヒトラーが原始人か未開人のような描き方になっており、さすがにそれはやりすぎじゃないのと冷めてしまいました。

例えばクリーニング店に軍服を出しに行く場面。非常識な要求をするヒトラーがしばらく店主と押し問答をした挙句、パンツも洗えとか言って裸になり始めるのですが、さすがに70年前のドイツにだってクリーニング店はあったのだから、これはやりすぎ。

また、犬を飼うぞと言ってドッグブリーダーの元を訪れた際には小型犬を初めて見たような顔をし、小さい割に強情で懐かない犬を最終的に撃ち殺すのですが、さすがに70年前のドイツにだって小型犬はいたし、当時の価値観からしても懐かない犬を撃ち殺すなどという選択肢はなかったはずです。こうした描写は、「もしヒトラーが現在のドイツに現れたら」というIFの物語から明らかに逸脱しています。

Look Who’s Back

監督:デヴィット・ヴェント

脚本:デヴィット・ヴェント

原作:ティムール・ヴェルメシュ

製作:ラース・ディートリヒ,クリストフ・マーラー

製作総指揮:オリヴァー・バーベン,マルティン・モスコヴィッツ

出演者:オリヴァー・マスッチ,ファビアン・ブッシュ,カッチャ・リーマン,クリストフ・マリア・ヘルプスト,フランツィkaスカ・ウルフ

音楽:エニス・ロトフ

撮影:ハンノ・レンツ

制作会社:コンスタンティン・フィルム,ミトス・フィルム

配給:ギャガ(日本)

公開:2015年10月8日(ドイツ),2016年6月17日(日本)

上映時間:116分

製作国:ドイツ

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