15時17分、パリ行き【4点/10点満点中_短い尺すら持て余したつまらない再現ドラマ】(ネタバレあり感想)

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実録もの

4点/10点満点中

■イーストウッド監督作品中、最低評価

Rotten Tomatoesでの批評家支持率が24%と異常に悪い数字であり、これはクリント・イーストウッド監督作品としてこれまでの最低評価だった1990年の『ルーキー』の29%をも下回る数字です。そして、世界的なこの低評価には私も同意します。

■本作がつまらない理由

過去パートと現在パートのリンクのさせ方が面白くない

物語における伏線の回収って、一見すると無関係と思われた描写が実はここに繋がっていたことに気付いた瞬間の快感だと思うのですが、本作はその気付きの与え方がうまくありません。

  • スペンサーが軍隊でレスキュー隊を希望して応急処置を学んでいたこと
  • 柔術の授業で羽交い絞めの方法をマスターしていたこと
  • 3人は一般の学校から落ちこぼれて宗教系の学校に通っていたために神の存在を信じており、いざという時には捨て身の行動ができるメンタリティが形成されていたこと

これらが事件当日の勇気ある行動へと繋がっていくのですが、それぞれのパフォーマンスの原因部分が丁寧に描かれる一方で結果部分が実にサラっと流されるので、気付きの楽しみがないのです。

バランスの悪い構成

本作は当事者3名の人格形成過程と、事件直前の観光部分に尺のほとんどが使われており、肝心の事件の描写が異常に短いという歪な構成をとっているので、重大事件の完全再現を期待した観客の興味には応えられていません。

特に観光部分は事件に直結する要素が少なく、なぜこれを事細かに描く必要があったのかが分かりませんでした。このパートで描くべきことって、3人が久しぶりに再会したことと、パリ行きの特急に乗ることを当日の朝までやめようか悩んでいたが、結局それに乗ったという2点だけだったと思うのですが。

何だか嘘くさい過去パート

3人の人格形成過程のドラマにリアリティが感じられなかったという点も、弱点となっています。ちょいちょいウソや誇張が混じってはいないかと。

例えば問題行動の多いスペンサーとアレクの保護者が学校に呼び出される冒頭部分。おたくの息子さんはADD(不注意優勢型の注意欠陥・多動性障害)じゃないですかとか、シングルマザーの子供は問題行動が多いんですよとか、不躾にも程がある話を連打され、これを言ってる校長の方にこそ何がしかの精神疾患があるんじゃないのという状況なのですが、さすがにこんなこと言ってくる奴はいないでしょ。昔の話ならいざ知らず、時代設定は2005年ですからね。

次に、軍隊の訓練課程で襲撃者の誤報が流れる場面。訓練教官からは机の下に身を隠せと命じられたにも関わらず、スペンサーだけは「もし教室に侵入された場合には俺が戦う」と言ってドアの陰で待ち伏せをし、これこそがスペンサーの勇気と向こう見ずさを示す伏線となっています。しかし、本当に訓練教官はこんなに不合理な命令を下したのかという点が引っかかりました。

机の天板部分が防弾というわけでもなく、また脚の部分がガラ空き状態の机に隠れても側面から体が丸出し状態であり、机の下に隠れることが武装した襲撃者に対する防御措置としてはまるで有効には見えません。

また、飛び道具に対しては距離が離れれば離れるほど丸腰側が不利になるのだから、飛び道具の優位性を最小化できるゼロ距離からの不意討ちを仕掛けるというスペンサーの判断こそがもっとも合理的に思えます。この点でも、教官は本当に机の下に隠れろなんていうバカな指示を出したとは考えられず、スペンサーの英雄譚を盛り上げるための誇張のような気がしてなりませんでした。

■事件当事者を俳優として使うという奇策

イーストウッドは、2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』にて尊厳死を扱ったことで障害者団体やキリスト教団体に叩かれた経験や、また最近ではポリティカルコレクトネスへの批判をしていることから、社会派作品を作った後にそれをイーストウッド自身の思想を反映したものだと拡大解釈されたり、作品の本質から外れたアラ探し以外の何ものでもない批判が社会正義とされる風潮にうんざりとしている様子です。

“内心ではみんなポリティカルコレクトネスに媚びるのはうんざりしているんだ。俺たちは今、お世辞だらけの時代に生きている。俺たちは本当に、軟弱な時代にいるんだ。誰もが細心の注意を払っている。みんな、レイシストだとか何だとか責めているのを目にする。俺が育った時代なんて、こんなことは人種差別なんて呼ばれなかった。” 「Esquire」2016年9月号

そこでイーストウッドは事件の当事者を役者として使い、あらゆるセリフを当事者本人の口から言わせることで監督による解釈・歪曲はないこと、ただそこで起こったことを切り取っただけであることを主張しているように見えます。

要は、イーストウッドは作品の弾除けとして当事者達を使っただけであり、そこにリアリティの醸成とか、プロの役者以上のパフォーマンスといった作品のクォリティへの貢献を事件当事者達に期待されていないのです。

私は吹き替えで観たので、母国語の観客たちの「見ていられないほどひどい演技」「プロの俳優の存在意義がよくわかった」という感想にまでは至らなかったものの、それでも本人を使うという奇策に出ながら何の化学反応も起こっていないという点には肩透かしがありました。あえて本人にやらせるということは役者の真似事以外の何かがあるのだろうと思いきや、本当にただ本人に当日の行動を再現させているだけですからね。

■『運び屋』との関連性

本作と同年にイーストウッドは『運び屋』もリリースしました。88歳にして一年に2本もの新作をリリースするという異常なペースも然ることながら、実話をベースにするという共通項を持ちつつも、実話へのアプローチ方法が正反対だった点を興味深く感じました。

本作は事件の当事者を出演させるほど再現の精度にこだわったのに対し、『運び屋』は題材に対してイーストウッド自身の人生を重ね合わせ、ほぼ創作ともいえる内容となっています。そして、映画としての面白さでは『運び屋』が圧勝しているので、映画としての面白さと史実の追及は違うということがよく分かります。

私のような細かい人間は史実との違いにやたらと目を向けがちなのですが、忠実にやることが必ずしも面白さに通じているわけではないということには留意が必要だという教訓になりました。

The 15:17 to Paris
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ドロシー・ブライスカル
原作:ジェフリー・E・スターン、スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレック・スカラトス『The 15:17 to Paris: The True Story of a Terrorist, a Train, and Three American Soldiers』
製作:ジェシカ・メイヤー、ティム・ムーア、クリスティナ・リヴェラ、クリント・イーストウッド
製作総指揮:ブルース・バーマン
出演者:スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、ジュディ・グリア、ジェナ・フィッシャー
音楽:クリスチャン・ジェイコブ、トーマス・ニューマン
撮影:トム・スターン
編集:ブル・マーリー
製作会社:ワーナー・ブラザース、ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ、ラットパック=デューン・エンターテインメント、マルパソ・プロダクションズ配給:ワーナー・ブラザース
公開:2018年2月9日(米)、2018年3月1日(日)
上映時間:94分
製作国:アメリカ合衆国

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